なんでそうなるのか毎日わからないまま日が暮れる

なんでそうなるのか毎日わからないまま日が暮れる

なぜか毎日一つは謎が増える

司法書士の仕事をしていると、「なぜそうなる?」という出来事が日常茶飯事になる。むしろ、そうならない日は奇跡と言ってもいい。朝一番で届くFAXがまったく関係のない他人宛だったり、郵送した書類が相手に届かないと電話が来て調べたら、相手が引っ越していて住所変更を伝えていなかったり。こっちに責任があるような言い方をされるのも慣れたけど、それでも「え、なぜ?」と目を見開いてしまう瞬間が多すぎる。

説明が通じない電話対応の怪

電話が鳴るたびに身構えてしまうようになった。というのも、相手の話を何度聞いても内容が入ってこなかったり、こちらの説明をしても全然通じなかったりするからだ。例えば「登記識別情報ってなんですか?」という質問に丁寧に説明しても、「つまり必要なんですか?いらないんですか?」と逆ギレ気味に返される。いやいや、そうじゃなくて…という空気が漂い、どちらが困っているのかわからなくなる。

相手は怒っている こちらは困っている

理屈で説明しても、「それっておかしくないですか?」と押し返されることもある。「登記費用ってそんなに高いんですか?」と聞かれれば、「はい、登録免許税が…」と説明しても、「いやいやそんな税金があるなんて聞いてない」と。説明はしているし、資料も渡している。なのに、なぜか「言ってなかった」ことになってしまう。自分の言葉の届かなさに、自信が削れていく瞬間だ。

「そんな話じゃなかった」と言われる恐怖

最もつらいのは、話が終わったと思っていた案件で「先生、そんな話じゃなかったと思うんですけど」と後から言われることだ。メモも残してあるし、確認のメールも送ってある。それでもそう言われてしまうと、こちらが悪いような気になってくる。自分の中では確かに説明した記憶がある。でも相手がそう言うのなら…と、もやもやを抱えてまた業務に戻る。

思ってた書類じゃない問題

登記に必要な書類が揃わない、というのはあるあるだが、「そういう意味じゃなかった」と言われるケースが特にやっかいだ。「戸籍一式をお願いします」と伝えても、「抄本だけ取ってきました」と言われる。「いや、それじゃ足りません」と言うと、「全部って言われてない」と返ってくる。伝え方も悪かったかもしれないが、毎回説明書きまで添えていても、それでもズレる。

相談時と登記時で話が違ってくる

最初の相談で話していた内容と、いざ登記となったときに出てくる事情が違うことがよくある。例えば「相続人は子ども2人だけです」と聞いていたのに、登記直前で「実は前妻との子どもがいます」と追加される。「それ、先に言ってくれてたら…」という情報が多すぎる。もちろん聞き出しきれなかったこちらにも非はあるけれど、なんでそのタイミングで?と頭を抱える。

「いやそれ前も言いましたよね?」って言えない

一番しんどいのは、こちらが伝えたことがなかったことのように扱われるとき。「この書類、提出してもらってませんよ」と言ったら、「え?出しましたよ」と言われ、事務所中を探しても見つからず。でも後日「すみません、出し忘れてました」とあっさり言われる。こういうときに限って「言った」「言ってない」の水掛け論は避けたいから、こっちが謝る。ぐっと我慢する日々だ。

想定外が日課になっている

毎日、何かしらの想定外が起こる。それが仕事だと言われればそれまでだが、それにしても「それ想定できないでしょ…」という出来事があまりにも多すぎる。そろそろ心の耐久テストか何か受けている気分になる。

「ちょっとだけ聞きたいんですが」が重い

電話で「ちょっとだけ聞きたいんですが」と言われると、だいたい30分はかかると思った方がいい。話し始めると止まらず、「あ、ついでに…」が始まり、最終的に「今度事務所行ってもいいですか?」になる。それが悪いことだとは言わないけれど、こっちはすでに予定が詰まっていて、昼飯にありつけるかどうかの瀬戸際だったりする。「ちょっとだけ」の重みが最近怖い。

無料相談がなぜか3時間コース

「最初の30分だけ無料」としている相談が、いつのまにか3時間に。しかも「まだ無料ですよね?」と確認まで入る。「最初の30分は無料で、それ以降は有料になります」と事前に伝えても、「ちょっと長くなっただけでしょ」と言われる。時間を売っている仕事なのに、そこが一番伝わらない。断ると悪い人みたいになるのも地味につらいところだ。

そのあと謎に逆ギレされるという理不尽

しまいには「そんなにお金に厳しいんですね」と皮肉っぽく言われることもある。いや、誰だって時間に対価は必要だし、それが仕事というものでは?と思いながら、「そうですね…すみません」と返してしまう自分がいる。自分でも納得いかないが、トラブルになるのが面倒で、結局我慢するしかない。理不尽への耐性ばかり鍛えられている気がする。

事務員さんの鋭すぎる指摘

唯一の救いは事務員さんの存在だが、彼女の指摘が鋭すぎて、たまに心が折れそうになる。資料のミスを指摘され、「ここ、間違ってます」と冷静に言われたときは顔が引きつった。「またですか?」とは言わないけど、声のトーンに出てる。ミスを見つけてくれるのはありがたい。でもそれが毎日続くと、自分の存在意義を考えてしまう。

「先生それ間違ってますよ」の破壊力

「先生、それ間違ってますよ」と言われた瞬間、時間が止まる感じがする。その声に悪意はない。むしろ優しい。でも、こっちは朝から何件も対応してボロボロの状態で、「ああ、またか」と胸の奥がヒュッとすぼむ。経験年数を積んでも、こういう指摘に慣れる日は来ないのかもしれない。

頼れるが刺さる 胸にくる

本当に助かっているのは事実。でも、的確すぎて「自分がいなくてももう成り立つんじゃないか」と思うときがある。「先生は現場だけでいいですから」と言われたときの、嬉しさと寂しさの入り混じった感情。誰かに頼られるのは嬉しいけど、完璧にできない自分への情けなさも湧いてくる。

自分も人間なんですけど

司法書士って、みんな強くて冷静で、ミスしない人だと思われがち。でもこっちも人間。疲れるし、イラつくし、落ち込む。コンビニでおにぎり買うことすら忘れる日もある。

コンビニすら行く時間がない日々

気づけば14時を過ぎているのに昼飯を食べていない。コンビニに行こうとして玄関まで行ったけど、ふと「あの案件、確認漏れないかな」と気になって引き返す。結局、冷たいお茶だけ飲んで午後の業務に突入。誰もそれを褒めてくれないし、むしろ「体調管理が甘い」と言われたこともある。でもこっちは、やるしかないのだ。

弁当を買いに行ったつもりが案件を思い出して引き返す

「ちょっと行ってくる」と事務員さんに声をかけて外に出たはずなのに、歩きながら「そういえばあの添付書類…」と思い出して、近所のコンビニの前でUターン。そんなことが週に何度かある。結果、夕方になって空腹とイライラが混ざる。効率よく動きたい気持ちとは裏腹に、頭の中は常に案件でいっぱいだ。

そんな自分が嫌になりながらまた仕事に戻る

そんな日が続くと、「何やってるんだろう」と思う。別に誰に怒られたわけでもない。ただ、自分で自分にがっかりしてしまう。だけど結局、机に戻ってパソコンを開いてしまう。やらなきゃ終わらない、という義務感が支配している。いつからこうなったのかは、もう思い出せない。

それでもやめられない理由

こんなにしんどくて、報われないと感じる日もある。でも、それでもこの仕事を続けているのは、時々もらえる「ありがとう」があるからだ。わずか一言でも、それが本当に胸に沁みる。

誰かの「ありがとう」が沁みる

あるとき、手続きが完了した後に「本当に助かりました」と言ってもらえた。わざわざお礼の手紙まで送ってくれて、読んでいるうちに涙が出てきた。「この仕事を選んでよかった」と思えた瞬間だった。それは、何日分もの苦労を一瞬で報われた気にさせる、魔法のような言葉だった。

ときどき届く感謝の手紙で泣く

すべての案件がそうではない。でも、時折送られてくる直筆の手紙やメールが、心に残る。「先生にお願いしてよかった」と書かれていると、誰かの役に立てた実感が湧く。この仕事は、目立たないし、華やかでもない。でも、こういう瞬間があるから、やめられない。

この仕事には救いがあると信じたい

毎日が「なんでそうなるのか」と思うことばかりでも、それでもどこかで、自分のしていることが誰かを助けていると信じたい。報酬や評価じゃない、もっと静かな救い。そんなものを心の奥に抱えながら、今日もまた、事務所のドアを開ける。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。