SNSからの依頼?最初は軽い気持ちだった
ある日、InstagramのDMに「相続登記お願いできますか?」という一文が届いた。最初はいたずらかと思った。なにせ、普段は地元の方からの紹介や電話が主な依頼ルートで、SNS経由で仕事の相談なんて来たことがない。正直なところ、少し怪しんでしまったが、プロフィールを見てみると若い女性で、投稿には祖母との写真なども載っていた。「まあ話を聞くだけなら」と軽い気持ちで返信したのが、すべての始まりだった。
いつもと違う始まり――まさかのDM着信
司法書士の仕事というのは、基本的に対面や電話が中心。メールですら慎重に扱う。それが、今回はDMだ。返信すると「電話は苦手で…」とのこと。LINEに移行してからもその調子で、こちらが形式ばって伝えても、返信はスタンプや「了解ですー!」と軽め。こちらの不安などどこ吹く風だった。
「相続登記をお願いしたいんですが」からの始まり
DMには「祖母が亡くなって家を相続することになった」とだけ。状況を細かく聞き出すと、相続人は母と叔父の二人。書類を集められるかと聞くと「たぶんできます!」。この「たぶん」に違和感を覚えながらも、依頼を受けることにした。今思えば、ここで一度立ち止まるべきだった。
顔も知らぬ相手とのやりとりに戸惑う
一度も会ったことがない相手とのやり取りは、こちらにとっては想像以上にストレスがかかる。相手の人柄が読めない分、言葉の裏を探るような神経戦になる。事務所で打ち合わせできていれば、こちらの表情やトーンから伝わることも多いのだが、文字だけではどうにも不安がぬぐえない。
依頼内容の確認と不安要素の連発
必要な書類をリストアップし、送ってもらうよう伝えた。ここで早速問題が起こる。送られてきたのは、スマホで撮った免許証の写真、しかもブレブレ。住民票は画面を撮影したもの。正式なPDFではないかと指摘すると、「すみません、PDFってなんですか?」という返事だった。
書類の準備、まさかの「全部スマホ写真」
提出された資料はすべてスマホ写真。通帳の残高証明までスクショだった。何度も正式な証明書を取るよう伝えても、「時間がなくて…」とか「郵便だと不安で…」と、なかなか動いてくれない。こちらは登記のスケジュールも考えなければならないが、先に進めない。段取りが崩れていく。
PDFって言ったのに、なぜかJPEG10枚
ある日、ようやく「PDFにしました」と言って送られてきたファイルを開くと、中身はJPEG10枚を無理やりひとつにまとめたZIPだった。ファイルサイズは重いし、順番もバラバラ。事務員が頭を抱えていた。これが今の若い世代の「PDF感」なのかと、軽くめまいがした。
「よくわからないんでお任せします」の落とし穴
「よくわからないんで、全部お任せします」と言われたとき、ありがたいと感じたのもつかの間。それは「自分では何もしない」の宣言だった。問い合わせや確認はすべてこちら任せ、必要な書類も催促しなければ動かない。お任せされすぎて、こちらの時間がどんどん削られていった。
事務員との連携、そして爆発しかけた日常
うちの事務員は実に頼りになるが、マンパワーには限界がある。この案件が入ってから、明らかに事務所の空気がピリピリし始めた。電話や郵送と違って、SNSベースのやり取りは記録もしにくく、事務員に負担がのしかかる。ある日、ついに事務員が「この人、舐めてますよね」とぼやいた。
「これどうすればいいんですか?」の連続攻撃
送られてきた戸籍や遺産分割協議書も、意味を理解せずに提出されており、「これどうすればいいんですか?」が連発された。「そちらで確認してください」と返すと、既読無視。ちょっとした書類の不備にも、こちらが全部対応するしかなく、作業はどんどん重くなる。
日々の業務で精一杯、変則案件は地獄の入り口
通常業務の合間に、何度もDMをチェックし、返事が来ないたびに不安になる。この精神的な消耗が本当にキツい。結局、変則的な案件を受けたことで、他の依頼者にも迷惑をかけかねない。SNS依頼を甘く見た代償は、大きすぎた。
登記完了目前、最後の一撃が待っていた
必要書類がようやく揃い、法務局へ提出準備を進めていた頃、思わぬメッセージが届いた。「やっぱり叔父にも相談してからにします」――ここにきて寝耳に水の発言だった。遺産分割協議がまだ成立していなかったことが発覚し、すべてがストップした。
「やっぱり兄にも相談してからにします」
この一言で、数週間の準備が無に帰した。しかも、相談の結果次第では内容が全く変わる可能性があるという。事務所中に落胆の空気が広がる。なぜこのタイミングで…という思いでいっぱいだった。
法定相続人の把握漏れという初歩的ミス
最初にしっかり確認していなかった自分の落ち度もあるが、あまりに相手が無自覚すぎた。法定相続人の確認は登記の基本中の基本だ。だが、SNS依頼のゆるさが、その大事な工程をすっ飛ばさせてしまったのかもしれない。
愚痴をこぼしつつも、やっぱり最後はやさしくなってしまう
いろいろ書いたが、依頼者にも悪意はなかった。むしろ、ただ知識がなかっただけなのだと思う。SNSでの相談が主流になっていく時代、我々の側がもう少し歩み寄る必要もあるのかもしれない。けれど、それには体力も気力も必要だ。
依頼者にも悪気はないことが多い
自分が何を知らないのかを知らない。そういう人は多いし、それを責めるのも酷な話だ。でも、そうした依頼に巻き込まれるたびに、自分の業務効率がどれだけ悪化しているかと思うと、複雑な気持ちになる。
でもそれを支えるこちらは、余裕を持っていたい
最後まで「やっぱり断らなくてよかった」と思える自分でいたい。そんな気持ちもある。忙しい日々、心がささくれ立ちそうなときこそ、「人として」の余裕を忘れたくはない。でも本音を言えば、もうSNS経由の依頼は勘弁してほしい。