報酬より「ありがとう」が沁みる日。そんな日がたまにあるから、やってられる

報酬より「ありがとう」が沁みる日。そんな日がたまにあるから、やってられる

たった一言で報われるときがある

司法書士という仕事は、報酬の額で言えば決して夢のある職業ではない。特に地方で一人事務所を構えていると、そりゃあもう、コツコツやってなんぼの世界だ。しかも感謝されるより文句を言われる方が多いのが現実。でも、そんな日々の中で、たまにふいに「ありがとう」と言ってもらえることがある。それだけで、不思議と心がスーッと軽くなる。報酬明細よりも、その一言の方が胸に残る日がある。ほんと、やってられるのはその瞬間があるからだ。

金額じゃなくて気持ちが支えになる瞬間

ある日、相続の手続きを終えた高齢のご婦人から、手を握られて「あなたがいてくれて本当によかった」と言われたことがある。そのとき、報酬明細の額なんてどうでもよくなっていた。正直、手続き自体はたいして難しくもなかった。でも、長年の不安から解放された表情を見て、「この仕事に意味はあるんだな」と感じた。きれいごとに聞こえるかもしれないけど、あの瞬間は本当に心が満たされた。

依頼人の一言が心に刺さる日もある

他にもこんなことがあった。長年音信不通だった家族と再会するきっかけになった手続きで、「あなたがいたから話ができた」と言われた。こっちはただ登記の書類を整えて、郵送しただけだ。でも、たったそれだけの作業が、人の人生を少し動かすことがある。そんなことは滅多にない。むしろレアすぎて笑える。でも、そのレアな出来事が、どんな営業マニュアルよりもモチベーションになる。

「大したことしてないのに…」と思いつつ泣きそうになる

事務所に戻って一人きりになってから、「自分はそんなにすごいことしたかな」と思って泣きそうになるときもある。実際には、やっているのは形式的な仕事が多い。でも、依頼人にとっては人生の節目だったりする。こっちはただの作業でも、相手にとっては特別。だからこそ、その「ありがとう」が重い。報酬額とは違う、感情の報酬がある。それが沁みる日って、本当にある。

数字では測れない達成感の正体

税務署や役所とのやりとり、間違えたら怒られるし、合っていても感謝されるわけじゃない。何かを達成しても、数字で表せるような喜びはほとんどない。けど、依頼人の安心した顔や、電話越しの「助かりました」という声。そういうのが心のどこかに積もっていく。1件1件は小さなことだけど、それが重なって「意味のある仕事だ」と感じさせてくれる。そういう積み重ねが、自分を保たせている。

完了書類よりも、感謝の言葉が残る

実務としては、完了書類が全てだ。無事に登記が済んで、依頼人に引き渡せれば業務完了。でも、不思議なことに、そういう「完了」の事実よりも、「ありがとう」の言葉の方が長く記憶に残っている。書類はすぐにファイルにしまうけれど、感謝された一言はいつまでも心に残る。何年経っても忘れない。自分でも驚くほど、はっきりと思い出せる。

不満だらけの毎日でも、それがあるから頑張れる

書類の不備、役所の対応、事務員とのすれ違い、全部ひっくるめてストレスは多い。なんで自分ばっかり…と思う日も多い。けど、感謝の言葉を思い出すと、「まあ、もうちょっとやってみるか」という気持ちになれる。毎日それがあるわけじゃない。だからこそ、たまにあるから大きい。月に一度か二度ある「沁みる日」が、残りの28日を支えてくれている。

やっぱりお金じゃないと思う…でも

もちろん生活は大事だ。家賃も光熱費も、全部現金で払うしかない。感謝の言葉じゃコンビニのレジは通れない。でも、なんだかんだで、お金だけじゃやっていけないのも事実。どれだけ報酬が出ても、虚しさが残るときもある。だからといって、理想だけじゃ食っていけない。その間で揺れてるのがこの仕事だ。現実と理想、そのあいだで自分を見失いそうになる。

生活の現実と心のバランス

報酬が安い月もある。支払いに追われてため息しか出ないこともある。そんなとき、感謝の言葉が帳尻を合わせてくれるかといえば、そんな甘くない。でも、それがゼロだったら、たぶん続けてない。心が折れそうなときに、ふとした言葉や態度に救われる。報酬と心のバランス、それをうまく取るのが難しい。でも、その均衡こそが、たぶんこの仕事の核心なんだと思う。

感謝は腹の足しにはならない、けれど

本音を言えば、感謝よりも報酬の増額の方がありがたい。特に月末が近づくと、胃が痛くなる。でも、腹は満たされなくても、心が満たされる瞬間があると、なんとかやっていける。これは経験しないと分からない感覚かもしれない。だからこそ、司法書士を目指す人には知ってほしい。「お金だけの仕事じゃないよ」と。

貧乏くじばかり引いてる気がしても

理不尽な案件、割に合わない手続き、依頼人の理不尽な要求。「またかよ…」と何度も思った。それでも、やめなかったのは、誰かの「助かりました」の一言があったから。そんな日は、自分が少しだけ誇らしくなる。報われないことも多いけど、たまにくる報われる瞬間。それがある限り、たぶんまだやっていける。

「ありがとう」に支えられてきた15年

司法書士として独立して15年。最初は報酬や自由に惹かれて始めたけど、いま残っているのは「ありがとう」の記憶ばかり。成功談よりも、小さな感謝の積み重ねが、この15年を作ってきた。どんなに疲れていても、その一言があると帳消しになる。そんな不思議な力を持っている。

続けていれば、悪くない日もある

独立してから、何度も辞めたいと思った。でも、それでも続けていれば、悪くない日がたまにある。それが月に一度でも、年に数回でも。だから続けている。うまくいかないときほど、心に沁みる言葉がある。そういうのを忘れずにいたい。司法書士って、そういう仕事なんだと思う。

事務所に残るのは、感謝のメモと空のペットボトル

机の引き出しには、依頼人からもらった小さなメモが残っている。「ありがとうございました」とだけ書かれた紙きれ。でも、それを見るたびに思う。「俺、ちゃんとやってきたんだな」って。コンビニの袋に入ったままの昼食と、デスクに並ぶ空のペットボトル。味気ない毎日でも、それが現実だ。それでも、その紙切れ一枚が、なんだか宝物のように見える。

今日もまた、静かに書類を綴じながら

今日も特別なことは何もなかった。けど、誰かの安心のために、静かに書類をまとめている。音もなく時間だけが流れる中、「ありがとう」がふと浮かんでくる。その言葉が、今日をやりきる力になっている。派手さはない。でも、悪くない。司法書士って、そういう生き方なんだと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。