事務員にだけは敬語をやめられない

事務員にだけは敬語をやめられない

なぜか事務員さんにだけ敬語が抜けない日々

もう10年以上この事務所を一人で回している。正確には一人ではなく、事務員さんがいてくれるから何とかやれている。でも不思議なことに、その事務員さんにだけは、いまだに敬語が抜けない。毎朝「おはようございます」、帰るときには「本日もありがとうございました」。まるで外部の取引先に接するかのような丁寧さだ。こっちが雇っている立場だっていうのに、どうしてこうも腰が低くなるのか、自分でもわからない。

別に嫌われているわけじゃない、はずなんだけど

言葉の裏にある人間関係って難しい。彼女とは長年の付き合いだし、特に衝突したこともない。むしろ淡々と仕事をこなしてくれる存在として、信頼はしている。でもなぜか、距離が近づかない。雑談をしようとしても、どこかで自分が引いてしまう。きっと彼女もこちらに気を遣ってくれているのだろうけど、もう少し打ち解けてもいいのに、と思う気持ちと、変に近づいて関係が崩れるのが怖いという気持ちが、いつもせめぎ合っている。

10年選手でも「〇〇さん、おつかれさまです」

何年一緒に働こうが、僕の口からは「〇〇さん、おつかれさまです」としか出てこない。「おつかれー」なんて軽いノリは一度も試したことがない。ある日、思い切って「おつかれっす」と言ってみようとした瞬間、口の中で言葉がぐるぐる回って、結局「お疲れ様です」に戻ってしまった。そんな自分が、なんだか情けなくもある。もう習慣なんだろうか、それとも恐れか。

本当はもっとフランクに話したいのに

本当は、もっと軽い世間話をしたり、天気のことを笑いながら話せる関係が理想だ。けれど、敬語の壁が邪魔をする。彼女の前だと、自分がまるで「よそ行きの自分」になってしまう。お互いにもっと自然体でいられる関係が築けたら、仕事のやりとりももっとスムーズになるだろう。でも一度できあがった「敬語の関係性」は、壊すのに勇気がいる。結局、今日も変わらぬ「お疲れ様でした」で一日が終わる。

距離を詰めすぎると壊れそうな関係がある

人間関係って、不思議なものだ。近づこうとすればするほど、逆に緊張する。事務員さんとは、ちょうどいい距離感を保っているつもりだけど、それが心地いいかと言われると、そうでもない。むしろちょっと寂しい。けれど、距離を詰めすぎて何かが変わってしまうのも怖い。だから敬語という壁をわざと作って、それに守られている自分がいる。

事務所という小宇宙における絶妙なバランス

この狭い事務所は、ある意味ひとつの小宇宙だ。ふたりしかいない空間で、ちょっとした言葉や態度が空気を大きく変えることがある。そのバランスを保つために、敬語という潤滑油が必要なのかもしれない。いつ崩れるかもしれない静かなバランスの上に、僕たちは乗っかっているのだ。

敬語が“礼儀”を超えて“盾”になっている

気づけば、敬語は礼儀ではなく、僕の盾になっていた。「距離を詰めすぎると相手が不快に思うかも」という勝手な思い込みから、僕は敬語という防御策を選んでいる。事務所の中で唯一の“味方”であるはずの人に、僕はどこかで身構えている。そんな自分が、少し哀しい。

敬語をやめたいけど、やめられない心理の正体

「そろそろ敬語、やめてもいいかな…」そう思う瞬間はたまにある。でも、いざその時が来ると、口が動かない。長年染みついた習慣もあるけれど、それ以上に、心のブレーキが働くのだ。そんな自分を責める気はない。でも、どこかでこのまま一生、敬語のままなのかもしれないと考えると、少し切なくなる。

上下関係じゃないけど、上下関係っぽい空気

事務員さんは僕の部下のはずだ。でも、現実にはそう感じたことはあまりない。むしろ、自分のほうが気を遣っている場面が多い。経理も雑務もすべて一手に引き受けてくれる彼女に、僕は何も言えない。ただの上司と部下じゃなく、妙な緊張感が常に流れている。だからこそ、敬語で保っているのかもしれない。

雇ってるのは自分だけど、頭が上がらない

経営者としては、きっともっと堂々とすべきなのだろう。でも、現実は違う。ミスを見つけても、「すみませんが、こちらご確認いただけますか」と下手に出てしまう。決して相手が強いわけじゃない。ただ、感情を乱したくない、関係性を壊したくないという気持ちが、僕を弱気にしている。

「事務員が辞めたら終わる」説に脅されている

正直、事務員さんが辞めたら僕の仕事は完全に止まる。顧客管理も、支払い処理も、書類の整備も、彼女がいないと成り立たない。だから、余計に強く出られないし、軽口も叩けない。敬語は“礼儀”というより、“命綱”のようなものになっている。脆弱な事務所の土台を、彼女ひとりで支えてくれているのだ。

敬語で守っているのは相手じゃなく自分のほう

気づけば、敬語は相手のためではなく、自分のための保険になっていた。嫌われたくない、関係を悪くしたくない、そんな弱さを覆い隠すために敬語を使っている。だから、敬語を手放すのは、自分の防御を解除するようなもので、怖くてできない。結局、守りたいのは“関係”じゃなく“自分”なのかもしれない。

自信のなさが言葉に表れる40代

40代にもなって、こんなことで悩んでいる自分に嫌気が差すこともある。もっと堂々と、自然体で接することができればいいのに。けれど、心のどこかで「自分なんて」と思ってしまう自信のなさが、すべてを敬語に変えてしまう。年齢を重ねた分、プライドと不安が入り混じって、言葉選びがますます慎重になってしまった。

過去に一度、タメ口で失敗した苦い記憶

昔、別の事務員に少しフランクに話しかけたことがある。「よろしくね」と言っただけなのに、翌日から彼女の態度が変わってしまった。何がいけなかったのか、今でもわからない。その時の苦い経験が、今も尾を引いている。だからこそ、今の事務員さんには、慎重すぎるほど丁寧な態度をとってしまう。

一人事務所、ふたりの世界、そして孤独

司法書士事務所という場所は、思った以上に孤独だ。クライアントと接する時間よりも、事務所内での作業のほうが圧倒的に長い。そしてその空間を共にするのは、たったひとりの事務員さん。彼女がいない日は、事務所が無音になる。静かすぎて、自分の心音すら聞こえてきそうになる。

昼休みの沈黙、話題の選び方にも悩む

昼休み、一緒にいることは多いけど、会話は少ない。僕が話し下手なのもあるが、どんな話題を選べばいいのか、いつも迷ってしまう。天気の話?テレビの話?家族の話はタブーな気もするし、趣味も合わない。何かを話しかけようとしても、「変に思われたらどうしよう」という気持ちが先に来る。

趣味の話は避けてしまう自分がいる

僕の趣味は歴史小説と囲碁。でもそれを事務員さんに話しても、きっと「へえ」としか返されない気がして、話す気になれない。逆に彼女が好きなアイドルやドラマの話題に僕がうまく乗れる自信もない。結果、沈黙が流れる。沈黙に耐える自信もないくせに、自分から話しかける勇気もないというジレンマがある。

雑談力がなさすぎる司法書士あるある

業務はこなせても、人間としてのコミュニケーション能力はどうかというと、正直自信がない。司法書士という職業は、孤独な作業が多いぶん、他人と軽い会話をする力が磨かれにくい。少なくとも僕は、事務員さんとの雑談ひとつに、毎日神経をすり減らしている。

言葉ひとつで関係が変わってしまいそうで怖い

たった一言で、人間関係は簡単に変わる。だから怖くて、踏み込めない。今日、少しだけラフな表現をしてみようかなと思っても、結局いつものように「ご確認お願いします」で終わってしまう。そんな小さな失敗を何百回と繰り返して、僕は今に至る。

「敬語くらい、いいじゃないか」と自分に言い聞かせる

無理してタメ口を使うくらいなら、敬語のままでいいじゃないか。そう自分に言い聞かせている。でもそれは、本当に“楽なほう”を選んでるだけかもしれない。本音では、もっと近い関係を築きたいと願っているくせに。

でもどこかで、もう少し近づきたいと思っている

今日も「お疲れ様でした」と言ってドアを閉めた。そのあと、ほんの一瞬、「ありがとう」とだけ言えたらなと思った。そんなささやかな願いが、いつか叶う日が来るのだろうか。それともこのまま、敬語に守られた関係で人生を終えるのだろうか。ふと、そんなことを考えてしまった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。