相続人のケンカに巻き込まれる仕事です

相続人のケンカに巻き込まれる仕事です

静かに始まる“争族”の序章

相続手続きというのは、たんたんと進めるものだと思われがちですが、実際はそうではありません。中には穏やかに終わるご家族もありますが、感情がもつれた相続人同士がぶつかる場面に直面することも少なくありません。戸籍を集め、相続人を確定するところから、すでに不穏な空気が漂いはじめます。最初は静かでも、だんだんと雲行きが怪しくなってくるのがこの仕事の“あるある”です。

戸籍を取っただけで、空気が変わる

相続手続きの初動で戸籍を集める作業がありますが、そこで初めて「知らない名前」が現れると、相続人の表情がさっと変わる瞬間があります。「この人、誰?」と聞かれた時点で、こちらはもう緊張感が走ります。事情を知らされていなかった相続人が動揺するのは当然ですが、それを伝えるのもこちらの役目。感情の揺れに巻き込まれないようにしつつ、淡々と事実を伝える。正直、精神的にはかなり消耗します。

「この名前、誰?」から始まる疑念の連鎖

あるとき、「父に隠し子がいたらしい」と初めて知った娘さんが、静かに肩を震わせていたことがありました。そこから一気に家族会議が紛糾し、戸籍に記載された事実を否定する声や、「この人とは認めない」と言い出す人も出てきました。私としては、法的に相続人であるという説明しかできませんが、「お前は誰の味方だ」と怒鳴られることも。まさに“疑念の連鎖”は、戸籍1枚から始まるのです。

「あいつが相続人だなんて認めない」って、私に言われても

「あんな奴、相続人だなんて絶対におかしい!」と怒鳴られたこともあります。いや、それを決めてるのは法律であって私ではないんですけど……。そう説明しても納得してもらえるとは限りません。兄弟間、親子間の確執が深いと、司法書士である私がその矢面に立たされることもしばしば。正直、こっちも心がすり減ります。法律の話をしても通じないとき、「じゃあ誰が納得させるんだ」と空を見上げたくなるのです。

沈黙のうちに火種がくすぶっている

表面上は穏やかに見えても、水面下では確実に感情が渦巻いていることがあります。とくに、誰か一人が代表者として動いている場合、他の相続人の不満や疑念が静かに積もっていく。沈黙していることが同意を意味しないのが、この世界のやっかいなところ。郵送一つ、書類のひとことが引き金になることもあるのです。

郵送するだけの通知書に、怒りの電話が返ってくる

相続人の一人が代表して他の相続人に通知書を送る。その文章はこちらが作成するのですが、それが原因で「なんでこんな文面なんだ」と怒りの電話が来ることもあります。事実だけを丁寧に書いたつもりでも、「一方的だ」「上から目線だ」と受け取られる。書き方ひとつにまで気を遣い、それでも誰かが怒る。ほんとうに胃が痛くなります。

「そっちが味方したんじゃないか」理不尽な非難の受け皿

一方の話を聞いていただけで「そっちの味方をしてる」と決めつけられることも珍しくありません。中立の立場を取っているつもりでも、人の感情はそう単純じゃないんですよね。どちらかが少しでも損だと感じれば、その矛先は司法書士に向かう。理不尽だと思っても、飲み込まざるを得ない日々です。

専門職である前に、人間関係の調整係

司法書士というのは、法的手続きの専門家であるはずなのに、いつの間にか“調整役”になっていることがあります。感情が先に立つ相続人同士の板挟みになりながら、どうにか手続きを前に進めていく。相手の機嫌に気を配り、無用な誤解を避けながら進めるのは、法律の勉強とは別のスキルが必要です。

法的な立場と“情”の板挟み

「先生もわかってくれますよね」と感情的な相談をされることもあります。でも、こちらは中立の立場。気持ちに共感しながらも、立場を崩せない。その微妙なバランスがしんどいんです。こっちだって人間だから、話を聞いてたら「それはひどいな」と思うこともあります。でも、そこに踏み込んだらアウト。ほんと、疲れます。

「中立にやってます」が通じない世界

「私は中立の立場で動いています」といくら言っても、相手からすれば「こっちの味方じゃない」だけで敵認定される世界です。中にはあからさまに冷たい態度をとってくる方もいて、心の消耗が激しい。事務員さんに愚痴をこぼしても、「大変ですね……」と苦笑いされるだけ。慰めてほしいわけじゃないけど、たまには「がんばってますね」と言ってほしいと思ってしまいます。

兄弟間の確執に、何年越しの怨念を知る

ある案件で、兄弟3人のうち2人が20年以上も口をきいていないというケースがありました。亡くなった親の相続をきっかけに久々に顔を合わせた瞬間、空気が凍ったのを覚えています。しかもその場にいたのが私ひとり。仲裁役でもないのに、その場をどうまとめるか冷や汗が止まりませんでした。人生いろいろあるけれど、司法書士って本当に修行みたいな職業です。

感情をなだめるのも仕事のうち?

書類を作るだけが仕事じゃない。むしろ、感情の火種を最小限に抑えながら進行管理をすることの方が、比重が大きい気さえしてきます。司法書士って「書士」って名前のくせに、何でも屋です。カウンセリングスキルがなければやっていけません。

時にはカウンセラー、時にはサンドバッグ

愚痴を聞くだけで終わる日もあります。「やり場のない怒りを全部ぶつけてやろう」とでも言いたげな電話もある。こちらが悪くないことでも、謝るしかない場面だってあるんです。事務所の壁に向かって「オレ、なんでこんなことやってるんだろう」とつぶやいたこと、何度もあります。

それでも聞くしかない、聞いても報われない

相手の怒りや悲しみに寄り添おうとしても、それが報われることはほとんどありません。感謝されるどころか、「もっと早くできないのか」「そんなの常識でしょ」と文句を言われる始末。だけど、手を抜けない。結局、自分が納得するまでやるしかないのがこの仕事なのです。

逃げ場のない現実と向き合う

心がすり減る仕事だけど、辞められない。地方でひとり事務所をやってると、逃げ場もありません。誰に相談するでもなく、ただ目の前の案件をひとつずつこなしていく日々。それでも、どこかに小さな救いを見つけながらやっていくしかないんです。

やってられない夜もある

夜、帰宅して一人でカップラーメンをすすっていると、虚しさがこみ上げてくることがあります。「今日も怒鳴られたな」「誰かに感謝されたわけでもないのに、何やってんだろう」と。だけど、こういう仕事を選んだのは自分だし、誰のせいでもない。そう思い込もうとして、余計にしんどくなる夜もあります。

「なんで俺がここまで…」と天井を見上げる

書類の山を見て、天井を見上げて、ため息。これは毎日のルーティンです。誰かがやらなきゃいけない仕事だけど、「なんでオレなんだ」と思う瞬間は多いです。自分で選んだ職業とはいえ、こんなにも感情労働だとは、若い頃には思っていませんでした。

愚痴を吐ける場所すらない、独身の宿命

家庭があれば、まだ話を聞いてくれる人がいるかもしれない。でも独身の私は、愚痴を言える相手もおらず、酒を飲んで寝るだけです。せめて事務員さんがもう少し話し相手になってくれればと思うけど、彼女にも負担をかけたくない。そうやって、また一人で抱え込んでいくんですよね。

それでも続けてしまう理由

辞めたいと思う日もある。でも、やっぱり辞められない。ときどき「助かりました」「あなたがいてくれてよかった」と言われるだけで、もう少し頑張ってみようかと思ってしまうのです。ほんのわずかな報酬でも、それが支えになるのが人間の弱さでもあり、優しさでもあるんでしょうか。

たまに「助かりました」の言葉に救われる

ある日、長年絶縁していた兄弟の相続が無事に終わったとき、「あなたがいてくれて本当によかった」と言われたことがありました。正直、泣きそうになりました。その言葉のために、また次の案件も頑張ろうと思える。報酬よりも、そういう一言が心に沁みる仕事です。

ひとつの案件が終わるたび、ほんの少しだけ軽くなる

ひとつ手続きが終わって書類を閉じると、少しだけ肩の荷が下ります。「また一つやり切った」と自分を褒めてやりたくなる瞬間。でもすぐに次の案件がやってきて、また同じような苦労の繰り返し。それでも、きっと私はこの仕事を続けていくんでしょうね。だって、誰かがやらなきゃいけないから。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。