給料日が来ても心が晴れない日がある
世の中には「給料日が楽しみです!」という人もいるけれど、私にとってはそんな気持ちになれない月もある。司法書士として独立して十数年、事務所を維持し、事務員さんの給料を払い、自分の生活も回していく。その中で給料日という言葉が、ただの通過点や、むしろ憂うべき日になってしまう瞬間があるのだ。あの日が近づくと、決まって口座残高とにらめっこし、光熱費や家賃、リース代や税金のことばかりが頭をよぎる。通帳を見ても、心が少しも動かない。むしろ減っていく未来の方がリアルに感じられる。
入金通知は来たのに、ため息だけが出る
スマホに「入金されました」の通知が来ると、一応確認はする。けれど、それはまるで他人事のような感覚で、心が動かない。数字は確かに増えている。でも、その増えた分が即座に光熱費やローン、次の納税に吸い込まれていくのが目に見えている。20代の頃は、「給料入ったら何を食べよう」「何を買おう」なんてワクワクしていたけれど、今では「どれから支払おうか」「引き落とし日に間に合うか」のほうが先にくる。まるで、お金が通過していくだけの回廊にいるようだ。
毎月の固定費がすべてを持っていく
事務所の家賃、リースしているコピー機、職員の社会保険、自分の国保、弁済金、さらに車の維持費にネット代。これだけでほとんどの金額が消える。まるで働いたお金を、誰かに「はい、あなたの分です」と手渡していくだけ。自分の取り分が最後で、それすら残らない月もある。結局、今月も「なんとか持ちこたえたな」と胸を撫で下ろすだけで、喜びのかけらもない。
働けば働くほど、時間と体力がなくなる皮肉
相談や登記が立て込む月は、収入も増える。ただ、それと引き換えに、土日返上で働き、深夜に眠ることになる。40を超えると疲れが取れにくくなり、回復しないまま次の業務が始まる。時間も体力も減っていくばかりで、稼いだ金額以上のものを失っている気がしてならない。報われない、とは思わない。でも、釣り合っているとも感じられないのが本音だ。
自分へのご褒美すら罪悪感が伴う日常
かつては給料日の夜に、ひとりでちょっと良いご飯を食べに行くこともあった。でも最近は、それすら控えるようになった。ラーメン一杯1,000円を超えると、「これは贅沢なのか?」と自問してしまう。コンビニでアイスを買って帰るだけでも、「今月赤字なのに…」と後悔する始末。気づけば、楽しいと思える出費がどんどんできなくなっている。
事務所経営と給料日のリアル
司法書士として独立すると、売上=給料になる。けれど実際は、そこから経費を引いて、ようやく「生活費」レベルになるのが現実。特に地方では単価も限られ、仕事の数で勝負せざるを得ない。経営というよりも、ただひたすら回しているだけ。事務所を閉めたくなる夜は、一度や二度じゃない。
雇用者の責任、支払いの重圧
唯一の事務員さんには本当に感謝している。彼女がいなければ、仕事が回らない。でも、その分、月末には必ず給料を用意しなければならないという重圧がある。何があっても遅らせるわけにはいかない。自分の給料は後回しでも、事務員さんの分は最優先。経営者になったら自由があると思っていたが、実際には「責任の鎖」でがんじがらめになっている。
事務員さんの給料だけは絶対に遅れられない
以前、売上が落ちた月に、自分の口座残高が5万円を切ったことがある。でも、事務員さんにはきちんと給料を渡した。その時は、親から少し借りてでも乗り越えた。情けない気持ちもあったが、信用は何より大事だと思っている。人を雇うということは、給料を渡すことに尽きる。そこだけは、どんなに苦しくても揺るがない。
自分の取り分は最後…それが経営者
残ったお金でやりくりするのが、経営者という立場の宿命だと思っている。通帳を見て、これは自分の取り分ではなく、次の支払いのための「つなぎ資金」だと感じる瞬間は多い。贅沢なんてとてもできない。働いているのに、自由にならない矛盾をかかえたまま、毎月が過ぎていく。
「社長なんだからいいでしょ」と言われても
知人に「独立してていいよね、好きな時間に働けるし」と言われたことがある。でも、好きな時間なんてほとんどない。土曜も祝日も、結局は登記の締切や書類作成に追われる。自由どころか、常に何かに追われているような気がする。心のどこかで「こんなはずじゃなかった」と思ってしまうのは、甘えなのだろうか。
誰のために働いているのか、ふと考える夜
給料日、事務員さんに封筒を渡したあと、ふと空を見上げた。静かな夜、誰とも話さずに終わる一日。私は一体、何のために働いているのかと、自分に問いかけた。やりがい?誇り?それとも、もう惰性なのか。そんなことを考えてしまうのも、給料日が「嬉しくない日」になってしまう理由かもしれない。
独身中年司法書士のつぶやき
誰かと暮らしていれば、また違ったのかもしれない。けれど、現実は静かな一人暮らし。帰宅後にコンビニ弁当を温め、テレビもつけずに食べる夜。恋愛からも遠ざかり、人付き合いも減ってきた。「一人でいるほうが楽だよね」と言いながら、心の奥では「誰かに理解されたい」と願っている。そういう自分が、少し恥ずかしい。
モテない、遊ばない、けどお金も残らない
これは本当に悲しい現実だ。独身で、趣味にお金をかけてるわけでもない。なのに、通帳の残高は寂しい。旅行もしない、ブランド物も買わない。なのに、なぜか常にギリギリの綱渡りをしている感覚がある。司法書士って、もうちょっと夢のある職業じゃなかったっけ?ふと、そんな昔のイメージと今の自分のギャップに苦笑してしまう。
それでも続けている理由を自分に問う
じゃあ、なぜ続けているのか?そう問われたら、たぶん「依頼者のありがとう」の一言に尽きる。登記が無事終わって、安心したような顔をされると、こちらもホッとする。お金以上に、人に必要とされている実感があるから、今も辞めずにいられるのかもしれない。嬉しくない給料日でも、その背後には誰かの暮らしがある。そう思えば、もう少し頑張れる気がする。