「安定してるね」の一言が心に刺さる理由
「安定してるね」。この一言、何度聞いただろうか。開業してから十年以上、地方で司法書士として事務所を構え、ひとまず潰さずにはやってこれた。その事実だけを切り取れば、たしかに“安定”しているのかもしれない。でもその言葉を聞くたび、胸の奥がざわざわと騒ぎ出す。なぜだろう。褒められているはずなのに、喜べない。安心されているはずなのに、孤独を感じる。そんな複雑な気持ちを、誰かに打ち明ける機会もないまま、今日も事務所の鍵を開ける。
褒め言葉のようで、なぜか苦しくなる
「すごいですね、安定してて」——そう言われるたびに、言葉を飲み込む。本当にそう思ってる? 本当に、わかってる? 笑って返すけれど、心のどこかでは、「いや、全然安定なんかしてないよ」と叫びたくなる。仕事が来るかどうかは景気やタイミング次第。登記件数なんて、ちょっとした制度変更でガラッと変わる。それに、独立しているということは、倒れたら終わり。自分が倒れればすべてが止まる。そんな綱渡りの日々のどこが、安定なんだろう。
心がざわつくのは「現実」とのギャップ
よく「独立して自由でいいね」とも言われる。だけど、自由と孤独は紙一重だ。確かに誰に命令されることもない。でも、代わりに全部の責任が自分にのしかかる。経営、営業、書類作成、電話応対、トラブル処理、すべてを一人でこなす。事務員さんには事務の範囲をお願いしているが、結局のところ判断はすべて自分。お客様の期待も、行政のプレッシャーも、全部自分。世間が抱く「安定」のイメージとはかけ離れた、綱の上を歩くような日々だ。
「羨ましい」と言われるたびに覚える孤独感
羨ましいって言われると、いつも苦笑いしてしまう。そう思うなら、一週間だけでもこの生活を代わってみてほしい。日曜の夜に、月曜の登記の準備が終わっていないことに気づく感覚。寝てても「印鑑証明書」って単語が夢に出てくるような状態。それに、仕事が立て込めば当然、誰かとの約束もキャンセルになる。そんな生活を「羨ましい」って言われると、ちょっとした悲しさがこみ上げる。たぶん、こっちはその言葉に救われたいだけなんだと思う。
地方で司法書士として生きるということ
都会と違って、地方の司法書士には「顔が見える関係」がある。ありがたいことにリピートの依頼も多いし、口コミで仕事が回ってくる。でも逆に言えば、失敗は命取りだし、変な評判はすぐ広まる。だからいつも神経をすり減らしている。正直、気が休まることがない。休日でも電話が鳴ることもあるし、地域の役職が回ってくれば断れない。そんな中で「安定」と言われても、心のどこかで苦笑するしかない。
仕事はある、でも「豊か」とは言えない
案件はある。たしかに、それは事実だ。だが、それが「豊かさ」と結びつくかというと別の話だ。地価が低いこの地域では、一件あたりの報酬は都会ほど高くない。件数をこなさなければ、生活は維持できない。だからこそ、休むわけにはいかないのだ。たまに昼ご飯を食べそびれたまま夕方を迎える日もある。月の売上はそこそこでも、体力も気力も削れていく。それを「安定」と表現されるのは、なんだかちょっと、皮肉に聞こえることもある。
一人事務所の孤独と責任の重さ
事務所はたった二人。事務員さんには本当に助けられているけれど、責任を背負っているのは、いつも自分。何かあったとき、矢面に立つのは自分だし、トラブルを避けるために細心の注意を払うのも自分。何か大きな判断が必要な時、相談できる人がいないというのは、じわじわと効いてくる。だから、常に「これは間違っていないか」と自問自答する。そんな時間が、日常の大半を占めている。
休みの日でも電話が鳴るという現実
休みの日。少し寝坊して、遅めの朝食を食べていたらスマホが鳴る。「あの件、どうなってますか?」。お客様に悪気はない。でも、こっちの気持ちは一気に現実に引き戻される。この仕事に“完全な休み”なんて、ほとんど存在しない。電話が鳴らない日は逆に「なにかあったんじゃ」と不安になる始末。そんな生活をずっと続けていると、ふと「これでいいのか」と考えてしまう。だけど、やめるわけにもいかない。
「安定=幸せ」ではない矛盾
安定してるね=幸せだね。世間では、どうもこの図式が当たり前のように語られている。でも実際はそんなに単純じゃない。収入がそれなりにあっても、心がすり減っていたら、それは幸せとは言えない。むしろ、安定しているからこそ逃げられず、我慢して続けてしまうこともある。それが積み重なって、じわじわと精神を蝕んでいく。そんな現実を、誰にも言えずに飲み込んでしまう日々が続いている。
見えない不安定さに誰も気づかない
「表向きはうまくいってそうに見えるよね」と言われたことがある。たしかに、ホームページもあるし、口コミもそれなりにある。でも、それは表だけだ。中身はいつだって不安でいっぱい。登記ミス一つで信頼が吹き飛ぶ職業で、毎日スリルと背中合わせ。そんな裏側を、誰も見ようとしない。いや、見えても興味がないのかもしれない。だからこそ、見た目の安定が逆に孤独を生むという、矛盾した構造に陥ってしまうのだ。
収入は読めない、心も休まらない
月によって収入は全く違う。忙しい月もあれば、ガクンと案件が減る月もある。家計簿をつけるたびに、「次の月はどうなるだろう」と不安になる。家族を養っている人ならなおさら、この不安は大きいはずだ。僕の場合は独身だから、まだ気が楽かもしれない。でも、それはそれで、「この先ずっと一人だったら…」という不安がのしかかる。安定なんて、どこにもないのかもしれない。
外から見た“安定”の幻想
ネクタイを締めて、きちんとしたオフィスで書類をさばいている姿。それが司法書士の“安定したイメージ”を作っているのだろう。だけど、その裏ではミスの許されない重圧、電話の山、期限に追われる日々がある。そんな現実を知っても、それでも「安定してるね」と言える人がいるなら、一度でもこの椅子に座ってほしい。そう思ってしまうのは、僕の心が狭いからだろうか。
共感してくれる誰かへ
正直、この記事を書くのも少し迷った。「そんなこと言ったら、また弱いと思われるかな」と。でも、思い切って書いてみた。誰か一人でも、「わかる」と感じてくれたら、それだけで少し報われる気がする。司法書士という職業の中で、黙って頑張っている人たちの声になれたら、それだけでいいと思っている。だから、これを読んでいるあなたも、無理だけはしないでほしい。
愚痴をこぼせる場所が少なすぎる
事務所を出れば、もう一人。愚痴をこぼせる相手も少ない。飲み仲間も、気づけば減っていた。「お前は安定してるからいいよな」と言われた夜、ビールの苦味が心に染みた。たぶん、何も話さずに帰った気がする。誰かに頼るのが苦手で、甘えることが下手で、それでも「ちゃんとしてる」って思われたい。そんな自分に疲れることもある。だから、たまには愚痴を吐いてもいい。ここでなら、それが許される気がする。
同業者と話すと少しホッとする理由
たまに、同業の知り合いと話すことがある。共通の悩みを聞くだけで、なぜかホッとする。やっぱり、似た環境にいる人じゃないとわからないことってある。仕事のやり方、顧客対応、細かな法律の解釈…。専門的な話の中に、同じような疲れや不安がにじんでいる。その空気に触れるだけで、「自分だけじゃない」と思える。それだけで、少し楽になるから不思議だ。
「俺もそうだよ」の一言に救われる
この前、「最近、やる気が出ないんだよね」とつぶやいたら、相手が「俺もそうだよ」と言ってくれた。その言葉が、妙にあたたかかった。誰かと苦しみを共有するって、こんなにも力になるのかと驚いた。完璧じゃなくていい。強がらなくてもいい。そう思える瞬間があれば、また明日も事務所に来ようと思える。「安定してるね」と言われても、心がざわつかない日が、いつか来ると信じて。