朝が来るだけで疲れている感覚
最近、目覚ましが鳴る前に目が覚める。眠ったはずなのに、起きた瞬間から全身がだるい。「また始まるのか」と思うだけで、ため息が出る。朝がつらいというよりも、「一日をやりきる力が残っていない」ことがしんどい。別に昨日、重労働をしたわけでもないし、夜更かししたわけでもない。ただ、積もり積もった何かが体と心を重くしている。これを誰かに説明しようとすると、「疲れてるんじゃない?」で片付けられてしまう。でも、そういう単純な話じゃないんだよなあ、と思う。
目覚ましの音が恐怖に変わる瞬間
毎朝6時にセットしている目覚まし。その電子音が、最近では小さな悲鳴のように聞こえる。以前は「さあ今日もがんばろう」と思えていたのに、今は「また同じ日が繰り返されるのか」とげんなりする。ベッドから起き上がるのに、5分、10分と時間がかかり、気がつけば「間に合うギリギリの時間」に身支度を始める。これが毎日続くと、自分の気力の衰えに不安を感じる。たかが朝の話と思われがちだけど、その「たかが」が積もって心をむしばむ。
眠ったのか分からない夜の終わり
寝ているはずなのに、夢の中でも仕事の段取りを考えていることがある。たとえば登記の書類ミスが気になって眠りが浅くなり、何度も夜中に目が覚める。結果的に、睡眠時間は取れていても、まったく休んだ気がしない。朝起きても脳がもやもやしていて、ずっと緊張状態が続いているような感覚。寝ているのに疲れが取れないというのは、体力の問題ではなく、心の問題なのかもしれない。
気力のないまま玄関を出るルーティン
玄関を出るとき、「よし、行くぞ」と自分を鼓舞しなければならない日が増えた。昔は自然と体が動いていたのに、今は一歩外に出ることが、何か大きな壁を越えるような行為になっている。事務所に向かう道すがら、「このままどこか遠くへ行けたら」とか「今日は休んでしまおうか」とか、逃げたい気持ちと戦っている。社会人として当然のことが、だんだんと当たり前でなくなってくる。これが「しんどい」の正体かもしれない。
誰にも言えない「なんか辛い」
誰かに悩みを打ち明けようと思っても、「具体的に何が辛いの?」と聞かれると、言葉に詰まる。ただただ、「なんかしんどい」としか言えない。そういう漠然としたしんどさって、共感してもらうのが難しい。しかも、司法書士という肩書きがあると、しっかりしているべきだという目で見られてしまう。だから余計に、「辛い」と言えなくなる。でも本当は、誰かに「わかるよ」と言ってもらいたいだけなのに。
「元気そうだね」の一言が刺さる
よく言われるのが、「元気そうだね」。たぶん、相手に悪気はない。でもその言葉が、まるで「元気でいなきゃいけない」と言われているように感じることがある。事務所では笑顔をつくっているけど、それが本心じゃない日もある。むしろ笑っているときこそ、心の中では「もう限界かもしれない」と思っていることもある。元気に見える=大丈夫、ではない。それを理解してもらうのは難しいけれど、理解してもらえたら救われる。
本音を言える相手がいない孤独
この仕事をしていると、悩みを共有できる人が本当に限られる。事務員さんにはあまり重たい話はしたくないし、同業者とは競争の目もあって気を使う。友達とも疎遠になっていて、話せる人がいない。「おれって、今何のために頑張ってるんだろう」と思うことがある。本音を言える相手がいないと、どんどん内にこもってしまう。気づいたら、自分の気持ちすら自分で分からなくなっていることもある。
愚痴を言える場所が減っていく現実
昔は居酒屋でくだらない話をしながら、仕事の愚痴をこぼせる仲間がいた。でも今は、誘うのも気を遣うし、時間も合わない。SNSもあるけれど、あんなところで本音なんて言えない。だから結局、愚痴は飲み込んで、ため息に変わっていく。気づけば、ため息が口ぐせになっていて、誰にも言えないことが溜まり続ける。それが「なんか辛い」に変わっていく。言葉にできないからこそ、しんどさは深くなる。
司法書士という職業の孤独
この仕事は、外から見ると安定していて、自立していて、しっかりしているように思われがちだ。でも、実際は孤独との戦いだ。相談相手がいない、同業者とはなれ合えない、家族の支えがあるわけでもない。気がつけば、ずっと一人で考え、一人で決断して、一人で責任を負っている。人と接する仕事なのに、人に頼れないという矛盾を抱えながら、日々をこなしていく。そんな重さが、日常の中にじわじわと広がっていく。