土曜日の朝、手帳に空白を見つけてため息をつく
朝起きて、何気なく手帳を開いた。そこにあるはずの予定欄は、真っ白。平日にはびっしりと書き込まれた名前や締切の文字が、土曜日だけはまるで無かったかのように沈黙している。まるで、誰にも必要とされていないかのような感覚に襲われる。自分で選んだ仕事、自分で作った生活のはずなのに、なぜこんなにも「空白」に心がざわつくのか。人付き合いを避けてきた代償か、それともただの偶然か。
平日の喧騒が終わっても、心は休まらない
「土曜日だから休もう」と頭では理解していても、体はどこかソワソワしてしまう。月曜から金曜までは、電話や来客、登記申請で息つく暇もないのに、いざ休みになると急に無力感に包まれる。ふと、昔の同僚が言っていた言葉を思い出す。「暇な時間って、自分と向き合うには一番つらい時間だよね」って。まさにその通り。机の上のペンすら、今日は役に立たない気がする。
「予定なし」という現実に向き合う勇気
予定がないという事実に向き合うのは、意外と勇気がいる。誰かと会うわけでもない、家族サービスをするわけでもない。ただ一人、空っぽの一日を過ごす。それは自由とも言えるけれど、同時に誰にも必要とされていないという寂しさでもある。もしこのまま、毎週こんな日々が続いたらと思うと、正直ゾッとする。気づけば、「何か予定を入れたい」ではなく「誰かに必要とされたい」と願っている自分がいる。
誰にも誘われない、誘う相手もいない現実
LINEの通知は鳴らない。メールもDMも、仕事以外では静かなままだ。学生時代の友人とは疎遠になり、同業者との付き合いもどこかよそよそしい。気軽に「今日暇?」なんて聞ける相手がいない。土曜日の昼前、コンビニの弁当売り場の前で「この時間にひとりで買ってるのって、自分だけじゃないよな」と思いながらも、やっぱりどこか虚しさを感じる。
そもそも友人って、いつの間にかいなくなった
振り返ってみると、友人が一人また一人と、人生のフェーズごとに離れていった気がする。結婚、子育て、転職、引越し。誰かの節目が、僕にとっては「遠ざかる理由」になっていた。別に仲違いしたわけじゃない。ただ、連絡を取るきっかけがなくなっただけ。でもそれが積もると、「いない」と同じになっていく。気づいたときには、相談できる相手がいないという現実に驚いた。
同世代は家族サービス、自分は掃除機がけ
休日の朝、道を歩けばベビーカーを押す父親や、子どもを連れて公園に向かう家族連れの姿が目につく。そんななか、自分は部屋で掃除機をかけたり、洗濯機を回したり。別にそれが悪いことではないとわかっている。だけど、胸の奥にズシンと響く孤独感は拭えない。誰かの「当たり前」が、こちらには一つもない。その現実が、土曜日のたびに突き刺さってくる。
仕事が趣味と言い聞かせてきたけど
昔から「仕事が趣味」なんて言い訳のように言ってきた。事務所経営も、依頼者とのやり取りも、やりがいはある。でもそれは「他にやることがないから」でもあった。だからこそ、土曜日に仕事の連絡があると少しホッとする自分がいる。「ああ、まだ必要とされている」って。だけどそれって、本当に幸せなのか?
予定のない土曜日ほど、仕事が恋しくなる皮肉
不思議なもので、平日は「早く週末になれ」と思っているのに、いざ土曜日になると「誰か仕事くれないかな」と思ってしまう。この皮肉な感情のループが続く限り、心からの休息なんて来ないのかもしれない。予定のない土曜日が、どれだけの無力感を引き起こすか、独身の司法書士なら誰しも一度は経験があるのではないか。
たまに来る依頼が、ありがたいようでつらい
土曜日に突然の登記依頼や相談が入ることがある。もちろん仕事だからありがたい。でも、どこかで「休ませてくれよ」とも思っている。忙しさと孤独が交互にやってくる日々に、心がついていかない。かといって、断ったら次がないかもしれないという不安もある。結局、自分を休ませることすら許されないような気がしてくる。
それでも自分の仕事には誇りがある
ここまで愚痴ばかり書いてきたけれど、それでも司法書士という仕事が嫌いなわけではない。むしろ誇りはある。人の人生の節目に立ち会えること、法の力で誰かを守れること。それは間違いなく、この仕事ならではの価値だと思っている。ただ、誇りと孤独は両立するということを、最近ようやく受け入れられるようになってきた。
困っている誰かの力になれたときだけは
「先生のおかげで助かりました」その一言で、1週間の疲れがスッと抜けることがある。登記でも遺言でも、相談でも。自分が誰かの支えになれているという実感こそが、この仕事の最大の報酬かもしれない。予定の空白を埋めるのは、無理に作ったレジャーじゃなく、人とのつながりの重みなんだと思う。
誇りと孤独のあいだで生きていく
毎日誰かと笑い合えなくても、毎週予定で埋まっていなくても、それでもちゃんと社会の中で役割を果たしている。司法書士という仕事に誇りを持ちつつ、孤独もまた自分の一部として付き合っていく。誰かと比べるのをやめたとき、少しだけ土曜日が怖くなくなった。
同じように頑張ってる誰かへ伝えたいこと
このコラムを読んでいるあなたが、同じような空白の土曜日を過ごしているなら、ひとつだけ伝えたい。「予定がないからといって、あなたの価値がないわけではない」。そんなことは、ない。むしろ、その静けさの中にこそ、あなたの大切なものが眠っているかもしれない。
書けなかった手帳の1ページも、自分の一部
手帳に書けなかったその1ページも、立派な人生の一部だ。書き込まれた予定だけが、自分を証明するわけじゃない。誰にも会わなかった一日、誰からも連絡がなかった時間も、静かに、でも確かに、あなたを支えている。そんなふうに、自分の空白に少しだけ優しくなれたら、土曜日も少しだけ違って見えるかもしれない。