登記の奥に潜む心のざわつき──司法書士の心はデリケート
表向きは冷静沈着。でも、心は案外もろい。
司法書士という職業は、冷静沈着で淡々と仕事をこなす印象があるかもしれません。確かに、登記や法律関係の書類を扱う以上、感情を排して処理を進めることが求められます。しかし、その冷静さの裏には、見せないようにしているだけで、実は相当デリケートな心が隠れています。強く見えても、心の中は毎日のプレッシャーでザラついている。そんな「表と裏」のギャップを、誰かにわかってほしいと願うこともあるのです。
「完璧であるべき」という重圧
司法書士の仕事において、「間違ってはいけない」という前提は絶対です。一文字の誤記、一日の期日の違いが、大きなトラブルや責任問題に発展することもあります。だからこそ、毎回の確認作業に神経をすり減らします。どんなに経験を積んでも、緊張感が和らぐことはありません。まるで、ずっと細い綱の上を渡っているような気分です。「今日も何も起きませんように」と願いながら、心はすでにすり切れています。
ミスは許されない仕事──だからこそ精神がすり減る
たとえば、以前にあったのが、登記原因証明情報の日付の誤記。気づいた瞬間に背筋が凍り、時計の針が止まったように感じました。結局、関係者に頭を下げて事なきを得たものの、その一件で何日も眠れませんでした。仕事をしているつもりでも、心は常に「ミスをしていないか」に囚われてしまうのです。たった一つのミスが信頼を壊す、そんな怖さと毎日向き合っています。
日付のズレ一つで眠れなくなる夜もある
夜中にふと目が覚め、「あれ、あの書類、日付合ってたっけ?」と不安がよぎる。机に戻って確認しないと眠れない。そんな日が、正直月に何度もあります。心配性すぎると言われればそれまでですが、それがこの仕事の現実です。安心できるのは、すべてが無事に終わった翌日だけ。だから、ひとつひとつの業務を終えるたび、深くため息をつく自分がいます。
感情を表に出せない職業病
依頼人の前ではいつも穏やかに、冷静に話を聞くのが仕事だと思っています。ですが、それはときに自分の感情を殺すことにもつながります。どんなに腹が立っても、どんなに悲しい話を聞いても、表情ひとつ変えずに対応する──それが司法書士の「プロ」なのかもしれません。でもその反動は、誰も見ていない自宅で一人になるとじわじわと現れます。
「冷静ですね」と言われるたび、少しだけ苦しくなる
「先生って、いつも冷静で頼りになりますね」と言われることがあります。その言葉自体はありがたい。でも、実は少しだけ胸が痛みます。「自分の弱さは、そんなに見せちゃいけないのか」と、自分に言い聞かせるような気持ちになるのです。本当は不安でいっぱいな時もあるし、緊張で手が震えることだってあります。でもそれを押し殺して、今日も「冷静なフリ」をして仕事をしているのです。
相談者の涙に無表情で応じるつらさ
相続の相談などでは、涙ながらに話をされる方もいます。心の中では一緒に泣きたい。でも、それを表に出すわけにはいかない。あくまでも「専門家」として振る舞うべきだからです。冷たいと思われるかもしれない。でも、それがこの職業の宿命のように感じます。感情に寄り添いながらも、それを表に出せない苦しさ──それが、積もり積もって心の疲れにつながっているのかもしれません。
独りだからこそ、こぼせない愚痴もある
事務所で一緒に働いてくれる事務員には本当に感謝しています。でも、だからこそ弱音を吐けないというのが本音です。「先生、疲れてますね」と言われないように、いつも元気そうな顔を装っています。でも実際は、夜な夜なひとりで缶ビール片手に、今日のミスやモヤモヤをひたすら反芻していることも。独り身であることが、こんなにも愚痴を抱え込む原因になるとは、開業当初は思いもしませんでした。
誰にも見せられない疲れがたまっていく
疲れは、身体だけじゃなくて心にも蓄積します。でもそれを誰かに話せば「じゃあ辞めれば?」と言われかねない。そんなふうに思うと、ますます口をつぐんでしまいます。心の底では「誰かに聞いてほしい」と思っているのに。事務所に戻って誰もいない部屋で、自分の影に話しかけたくなる夜もあります。疲れた、なんて言葉すら、誰にも届かない世界で、今日も業務は続いていきます。
事務員には心配かけたくない、けど限界は近い
事務員は若い女性で、まじめによく働いてくれる。でも彼女に心配をかけたくないからこそ、自分の疲れや苛立ちを見せるわけにはいかないんです。時々、事務所のトイレで一人になる時間だけがホッとする瞬間です。そこで深呼吸して、自分に「大丈夫、まだやれる」と言い聞かせてから、また笑顔で戻る──そんなことを繰り返していると、どこまでが本当の自分なのかわからなくなってきます。
休みの日に鳴るスマホの通知にビクつく日常
日曜日、ようやく取れた休み。スマホが鳴ると一瞬で胸がざわつきます。「まさかトラブルか?」、「何か忘れてる?」と頭をよぎる。結果ただの迷惑メールでも、その一瞬のドキッとする感じが、心の奥底にずっと残ってしまいます。本当の意味で休めていない。それを繰り返すうちに、「休み=不安になる日」になってしまったように感じています。
「稼いでるんでしょ?」という言葉が刺さる
同級生に久しぶりに会うと、決まってこう言われます。「司法書士って、儲かるんでしょ?」。そう言われると、笑ってごまかすしかない。確かに表向きには安定して見えるかもしれません。でも、実際には支出も多く、気を抜けばすぐ赤字です。しかも、責任の重さと釣り合っているとは思えない。「楽な仕事だね」と言われるたび、心がすり減っていきます。
稼げてるように見えて、実際は綱渡り
開業してから、収入が安定するまでに何年もかかりました。いまだに月によって大きく変動します。業務が立て込んでいても、単価が低ければ生活は苦しい。そんな現実を知らない人ほど、「いい商売だね」と言うんです。言葉の裏にある無理解が、一番つらい。誤解されても説明する元気すらない日もあります。
心のゆとりは、収支表には載らない
会計上の数字だけを見れば、たしかに黒字。でも、数字の裏にある精神的な負担は、誰にも見えません。笑っていても、書類の山の前で心は沈んでいる。そんな時、「これ、ほんとに自分のやりたい仕事だったっけ?」と自問する瞬間があります。心のゆとりは、帳簿には出てこない。でも、それがあるかないかで、人間としての「持ちこたえ力」は大きく変わるんだと思います。
それでも、今日も登記簿に向かう理由
ここまでさんざん愚痴を書き連ねてきましたが、それでも私はこの仕事を続けています。なぜか? それは、お客さんの「助かった」「ありがとう」という言葉が、どんな疲れよりも心に響くからです。誰かの人生の大事な瞬間に関われる。ミスの許されない緊張感の中でも、その意義だけは揺るぎません。だから私は、明日もデリケートな心を抱えながら、登記簿と向き合っていくのです。