ひとり飯が当たり前になった日常
司法書士として独立してから十数年、夕食はいつも一人だった。最初は「忙しいから仕方ない」と思っていたが、気づけば食卓に向かうこと自体が億劫になっていた。冷たいお弁当をレンジで温める音だけが部屋に響き、テレビすらつける気にならない夜もあった。「いただきます」と呟く声に返事が返ってこない、それが当たり前になった頃、ふとした瞬間に込み上げる虚しさに気づいた。
夕食に話し相手がいないという違和感
仕事終わりの19時過ぎ、事務所を閉めて帰宅しても、誰かが待っていてくれるわけじゃない。鍋を一人でつつく日もあれば、コンビニのおにぎりで済ませることもある。ふと隣の家から笑い声が聞こえてきたとき、自分の部屋の静けさがやけに際立つ。「今日、誰とも目を合わせてないな」と気づいた日は、とたんにごはんの味がしなくなる。
「忙しいから」で済ませてきた孤独
「今は仕事に集中したいだけ」「家族なんてまだ早い」——そんなふうに自分に言い聞かせてきた。でもそれは、傷つきたくなかっただけかもしれない。誰かと食卓を囲むには、心を開き、時間を割き、会話を重ねる勇気がいる。それを避けて、気楽な一人を選んできた。その代償が、この静かすぎる夜なのだ。
コンビニ弁当と沈黙の部屋
電子レンジの「チン」という音が、今日の「ただいま」になる。プラスチックの容器を開け、テレビをBGM代わりにつけるけど、誰かと笑うような場面はない。味付けは濃いのに、何かが物足りない。結局それは、食事そのものの問題じゃなく、「誰かと食べる」ことの欠如なんだと、ようやく分かってきた。
誰かと食べることの価値に気づいたのは、だいぶ後だった
数年前、久しぶりに旧友と再会し、ふらっと入った居酒屋で一緒に夕食をとったことがある。特別な料理ではなかったが、味が沁みた。相手が箸を持つタイミング、自分の話に笑ってくれる表情、そのひとつひとつが食事を彩ってくれた。帰り道、妙に心が軽かった。あの時の味は今でも思い出せる。人と食べるごはんは、記憶に残る。
司法書士の仕事は、意外と「独り」だ
法律に携わる仕事は、常に冷静で論理的でなければならない。それが当たり前だと思っていたが、その裏には「感情を持ち込めない仕事」という側面がある。感情を抑え、事務的に対応する毎日。気づけば、人との距離を保つことが“職業病”になっていた。そしてそれは、私生活にも染み込んでいた。
相談相手はいても、雑談相手がいない
相談者と話す時間は長くても、雑談の時間は皆無に近い。書類の説明、手続きの確認、必要な会話はするが、ふと「今日の天気は?」なんて話は出てこない。日常の会話を省くような生活が当たり前になると、人と向き合うこと自体に疲れを感じてしまう。誰かとただくだらない話をしながら食べる時間が、こんなにも貴重だったとは思わなかった。
聞き役としての仕事、語り相手としての欠如
司法書士は基本的に“聞き役”だ。依頼者の不安や希望を引き出し、正確に対応することが求められる。でも自分のことを話す場面はない。感情を吐露できる場所も限られる。せめてごはんの時間くらい、対等に語り合いたい。でも、その相手がいない現実に直面するたび、「これでいいのか」と自問自答する。
一人事務所という選択肢の重さ
人を雇う責任、育てるコスト、意思疎通の難しさ——すべてを天秤にかけて、最小限の人員でやることを選んだ。その結果、事務所も生活も、ほぼ「一人で回す仕組み」ができあがってしまった。効率的ではあるが、孤独は深まる一方だ。食事の時間も、仕事の合間も、話しかける相手がいないというのは、想像以上に堪えるものだ。
「帰ってきたときに電気がついている家」
仕事から帰ってきたとき、真っ暗な部屋の鍵を開ける瞬間に思う。「誰かが電気をつけて、待ってくれていたら」と。たとえテレビを見ているだけでも、誰かが家にいるという安心感は、日々の疲れをやわらげる。司法書士の仕事は心身ともに消耗する。その回復の場が「ひとり暮らしの家」だと、どうにも切り替えが難しい。
仕事を終えて向かう場所に誰かがいるという幸せ
「いってらっしゃい」と「おかえりなさい」のある暮らし。それだけで心が満たされる日もあると思う。仕事がしんどくても、帰る場所に人がいれば救われる。それがない今は、仕事がうまくいかなかった日はひたすら自分を責めて終わる。ごはんもそこそこに、ベッドに沈む。そんな日が続くと、仕事のモチベーションすら下がってくる。
独身だからこその仕事優先、そしてその代償
独身だから自由だ、そう言われることもある。でもその自由の裏には、「仕事に逃げてるだけ」という側面もある。家族やパートナーがいないぶん、全部仕事に注ぐしかない。そうして数字は積み上がっていっても、感情は枯れていく一方だ。温かいごはん一杯が、どれほど心を潤すか——それを実感する日が増えてきた。
家に人がいることで、心のエネルギーは回復する
「ただいま」と言って「おかえり」と返ってくる。そのやりとりだけで、疲れは半分になる気がする。別に会話が弾まなくてもいい。食卓に並ぶおかずを見ながら「今日はこれか」と思えるだけで、人間らしさを取り戻せる。だからこそ、誰かとごはんを食べる時間を、大切にできるような自分でいたいと思うようになった。