帰宅=業務継続。そんな家に、今日も帰る

帰宅=業務継続。そんな家に、今日も帰る

家に帰った瞬間、なぜか緊張感が増す

一日の業務を終えて、やっと家に帰る。そのはずなのに、ドアノブに手をかける瞬間、なぜか軽く身構えている自分がいる。「ただいま」と声に出すこともなく、室内に一歩足を踏み入れると、そこに広がるのは“休息の空間”ではなく“続きの仕事場”だ。照明の下に山積みのファイル。未処理の案件。湯沸かしポットの音よりも先に、パソコンのファンが回り出す音が聞こえてしまう。司法書士にとって家は、もはや業務の一部なのだろうか。

ドアを開けた先に待つ「未完了リスト」

玄関を開けてすぐの場所に置いてあるラックには、役所に持っていくべき書類が無造作に並んでいる。机の上には、郵送用に封入しそびれた契約書の束。これはもう意図的に「家でも仕事をするための配置」になっていると言っていい。意識していなくても、視界に入ってしまえば気になってしまう。着替える前に、まずファイルを一つ確認してしまうのが、日常になっている。

リビングの机の上にあるのは晩ごはんじゃなくて登記書類

仕事終わりにスーパーで買ってきたお惣菜を手に、リビングのテーブルに座る。そのテーブルの上には、昼間と変わらず登記完了証の控えが並んでいる。おかげでご飯の置き場を探すところから夕食が始まる。しかも気づけば食べながら書類の確認をしてしまうから、食事の時間も集中できない。そうして「今日の夕飯は何を食べたっけ?」と思い出せないまま、気づけば深夜になる。

「とりあえず座ったら仕事再開」になる体に染みついた習慣

机に向かって座る=仕事を始める、という回路が完全に体に染みついてしまっている。気持ちは「ちょっと休もう」と思っていても、座ってしまった瞬間に無意識にPCを開き、メールをチェックし、気になる案件に目を通してしまう。そうして気づけば1時間が過ぎている。この習慣が変わらない限り、どこにいても仕事が終わった気がしないのかもしれない。

休みの日に限って連絡が来る謎

不思議なことに、なぜか「今日は仕事しない」と決めた日に限って、LINEや電話が鳴る。「急ぎじゃないんですけど……」と言いながらも、こちらの休日を一瞬で仕事モードに戻すような依頼がくる。もちろん断る自由はある。でも一度内容を聞いてしまえば、断ることに後ろめたさが出てしまう。これが、独立した司法書士の宿命か。

「急ぎじゃないんですけど」と言われると逆に焦る

この「急ぎじゃない」という言葉がまた厄介で、本当に急ぎじゃないなら別の日に言ってほしい。でも、心のどこかで「今処理しておいた方が楽かも」と思ってしまい、つい応じてしまう。気づけば休日は“急ぎじゃない仕事”の積み重ねで終わっていく。結果、カレンダー上の休日が意味をなさなくなっていくのだ。

オンとオフの境界線が曖昧な生活

「この家にいる間くらいは、業務のことは忘れよう」そう思ってはみても、実際はそう簡単に切り替えられるものではない。PCがあれば仕事ができる。スマホ一つで連絡が飛んでくる。それが便利でもあり、同時に心の休まらなさでもある。昔は帰宅すれば“仕事は終わり”だった。でも今は、その感覚がほとんどなくなってしまった。

「自宅=事務所の支部」と割り切るしかない現実

最初のころは「家くらいは仕事を持ち込まないようにしよう」と思っていた。だが、徐々に「少しくらいなら…」「この案件だけは…」という妥協が積み重なり、気づけば自宅の一角が完全に業務スペースになっていた。もはや家で仕事をすることに罪悪感も薄れてきて、「ここはもう第二事務所だ」と自嘲気味に割り切るようになった。

FAXの受信音がBGMになって久しい

深夜に届くFAXの音に驚かなくなった自分がいる。むしろ「あ、あの案件だな」と内容まで予測できるほどには仕事が生活に溶け込んでしまっている。テレビの音より、FAXの受信音の方が日常の一部になっているなんて、普通の人から見れば異常だろう。でも、そういう感覚がズレてしまうほど、仕事中心の生活に慣れてしまっている。

家でゆっくりする=結局PCを開いてしまう

「今日は映画でも観てのんびりするか」と思っても、結局最初の30分で気が散って、メールの通知に目を取られ、気づけばまた業務の画面に戻っている。趣味や娯楽の時間に完全に没入できることが減った。たぶん、それは“自宅に業務の残像が常にある”からだと思う。どんなに意識しても、完全には切り替えられない。

愚痴をこぼす相手がいない問題

事務所では事務員さんに愚痴をこぼすわけにもいかず、かといって家に帰っても話し相手がいない。友人にLINEをしても、時間が合わなかったり、話題がかみ合わなかったりする。だから結局、心の中に溜め込んでしまう。誰かに聞いてほしい。でも誰に言えばいいのかがわからない。そんなもどかしさがずっとある。

事務員さんにまで弱音は見せられない

一緒に働いてくれている事務員さんは本当にありがたい存在だ。でも、こちらが弱音を吐いてしまうと、相手に気を遣わせてしまうんじゃないかと思ってしまい、いつも明るく振る舞ってしまう。そうして、どこかで一人になったときに、急に疲れがどっと出てくる。誰にも甘えられない仕事のつらさは、案外こういうところにある。

でも自分の中だけで抱えるには量が多すぎる

正直、毎日1つや2つは「ちょっと聞いてよ」と言いたくなるような出来事がある。でも、それを誰にも話さず、全部飲み込んでしまう日々が続くと、いつか心がパンクしそうになる。だから最近は、こうして文章にして吐き出すようにしている。紙(や画面)だけが、黙って聞いてくれる存在かもしれない。

SNSでつぶやくにも業務上NGな話が多すぎる

気軽につぶやける場所があれば、少しは楽になる。でも、業務に関する話は守秘義務の塊で、うかつに書けないし、誰かの気分を害する可能性がある内容も避けなければならない。だから結局、SNSでも当たり障りのないことしか書けない。なんのための発信なのか、だんだんわからなくなってくる。

孤独と自由、どっちがマシなのか悩む夜

独身で一人暮らし、好きな時間に仕事をして、好きなタイミングで食事を取る。そう聞けば「自由でいいですね」と言われる。でも、その“自由”の裏には、何をしても見てくれている人がいない、という孤独がある。どんなに頑張っても、どんなに疲れても、「お疲れさま」と言ってくれる人がいない日々。それをどう捉えるかは、自分次第なのだろう。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。