やる気より責任感で動いてます

やる気より責任感で動いてます

やる気がなくても止まれない現実

司法書士として事務所を運営していると、「今日はもう休みたいな」と思う日が頻繁にあります。でも、そういう日に限って相談の電話が鳴りやまないし、登記の締切も迫っている。自分一人で仕事を回しているわけじゃないとはいえ、最終的な責任はやっぱり自分にあるわけで。体が勝手に動いてしまうのは、もはや習慣というより、責任感という名の呪いみたいなものでしょうか。気持ちが追いつかないまま、タスクに追われて1日が終わることも珍しくありません。

朝、目覚ましより先に目が覚めるのはプレッシャーのせい

「今日もやらなきゃいけないことが山積みだ…」と思いながら、目覚まし時計が鳴る前に目が覚める日が増えました。これ、決して健康的な早起きじゃないんですよね。どちらかというと、プレッシャーによる強制起床。頭はぼんやりしてるのに、脳のどこかが緊張しっぱなしで休まらない。寝ている間も「あの書類、間違ってなかったかな…」と不安がぐるぐるしている感じ。もうちょっと心穏やかに朝を迎えたいと思うけど、現実はなかなかそう甘くありません。

「行きたくない」のに足が事務所に向かう理由

特に月曜日の朝は「今日はもう行きたくないなぁ…」と布団の中で呟いてしまいます。それでも起きて、顔洗って、コーヒー流し込んで、事務所に向かってしまう。誰に命令されたわけでもないのに、体が勝手に動くんです。もう習性なんでしょうね。サボっても誰も責めないかもしれないけど、自分が自分を責めてしまう。そんな自己嫌悪を避けたいがために動いているというのが、本音かもしれません。

司法書士の仕事は情熱より義務感

この仕事に対して、最初から情熱があったかと聞かれたら、正直「うーん…」と答えたくなります。きっかけは「手に職をつけたい」くらいの軽い気持ち。でもいつの間にか、顧客対応、書類確認、補正対応に追われて、情熱を語る余裕もなくなりました。今となっては「やらなきゃ誰がやるの?」という義務感だけが、私を机に向かわせています。

燃えるようなやる気なんて最初からなかった

「夢を持って司法書士になったんですか?」と聞かれると、本当に困ってしまう。たしかに資格を取った当初は多少の期待や希望もありました。でも、それは「安定した生活を送りたい」という現実的なもので、情熱とかやる気とか、そんなキラキラした感情はほとんどなかった。やる気があっても、結局現場で役に立つのは地味な確認作業だったり、地道な対応力だったりする。そういう意味では、最初から義務感で動いていたのかもしれません。

「逃げたら終わり」という言葉が頭から離れない

何度も事務所を畳もうかと思ったことがあります。でも、そのたびに「ここで逃げたらもう立ち直れない」という声が、頭の中で響くんです。これは誰の声でもない、自分自身の声。もちろん逃げたっていいんだろうけど、性格的に許せないんですよね。やめる勇気よりも、続ける責任感の方が勝ってしまう。結果、また机に向かっているというわけです。

やる気がないからこそ、淡々とこなす力がついた

やる気がない日でも、淡々と仕事をこなす力だけはついてきました。むしろ、やる気に頼らずに動けるようになったことが成長といえば成長かもしれません。チェックリストを一つずつ消化していく作業に満足感を見いだせるようになったのは、きっとそのおかげです。でも、それって本当はちょっと寂しいことなのかもしれませんね。

「頼られてる」ことが唯一のモチベーション

唯一のモチベーションといえば、やっぱり「頼られてる」という感覚です。「先生にお願いしてよかった」と言われると、少しだけ報われた気になります。でもそれも一瞬のこと。すぐに次の案件がやってきて、その余韻に浸る暇もない。だからこそ、「感謝」はありがたいけど、それだけを糧にするのは限界があるとも思います。

責任感だけが心を動かす

やる気がない、情熱もない、でも仕事はやめられない。そうなると最後に残るのは「責任感」しかないんですよね。お客様に迷惑はかけられない、期限は守らなきゃいけない、事務員にも給料を払わなきゃいけない。そうやって誰かのために自分を動かす。気づけば、自分のために動くことなんて、ほとんどなくなっていました。

お客様の「ありがとう」に救われているけれど

それでも、お客様からの「ありがとう」は心に沁みます。自分のやっていることが、誰かの役に立ってるんだと実感できる瞬間。ただし、そうした言葉がないときも当然あるわけで、むしろトラブルやクレームの方が記憶に残ることも多い。だからこそ、「ありがとう」に救われる分、そうでないときの落差がつらい。

どれだけ感謝されても、しんどいものはしんどい

たとえ感謝されても、日々の疲労感や孤独感が消えるわけではありません。人から見れば「やりがいのある仕事ですね」と言われるけれど、当の本人は「今日もギリギリだったな…」と振り返っている。感謝の言葉は確かに嬉しいけど、それだけで続けていけるほど、こっちの心は強くないんですよね。

その場は乗り切る。でも後からどっと疲れが来る

面談や電話対応で頑張って笑顔を作って、その場を乗り切っても、あとでどっと疲れが押し寄せてくる。まるで演技をしていたような疲労感。仕事が終わった後、コンビニのおにぎりをかじりながら一人ぼーっとする時間が、意外と大事だったりする。あの無の時間にしか、本当の自分が戻ってこない気がします。

責任感が支えになってる時点で、もう無理してる証拠

責任感だけで動いているということは、裏を返せば「他に動機がない」ということです。それってつまり、自分の心を置き去りにしてる証拠でもある。無理をしている自覚がないまま、どんどん疲弊していく。このままだと、いつか突然ガクッと来るんじゃないかと、内心ビクビクしています。

やる気を求めるのは贅沢なのか

「やる気が出ない」なんて言うと、甘えてるように聞こえる。でも本当は、やる気なんてなくても頑張ってる人はたくさんいるし、むしろそういう人の方が多いんじゃないかとも思うんです。やる気は贅沢品、責任感があれば動ける――そんな風に割り切ってはいるけれど、やっぱりどこかで「楽しく働きたいな」と願っている自分もいます。

責任感で生きるのは正しいけど、正しさだけでは保てない

責任感で動くことは、社会人としては正しい。でも、それだけじゃ心は保たれない。正しさばかりを追い求めて、自分の感情を無視し続けてきた結果、感情の出し方を忘れそうになることもあります。「間違ってないけど、しんどい」そんな日々が続くと、自分の中で何かがすり減っていく感覚に襲われます。

本当はもっと心が動く仕事がしたかった

もし過去に戻れるなら、「もっと好きなことを仕事にできなかったかな」と思う瞬間があります。司法書士の仕事にも大事な意味はあるけれど、日々の業務に追われるうちに、心がどんどん無機質になっていく。もっと心からやりたいと思える仕事だったら、今より笑って働けていたんじゃないか――そんなことを、ふと考えることがあります。

責任感だけで走ると、どこかで壊れる

やる気より責任感で動いてきたこの数年間。確かにこなしてはきたけれど、その分、心の奥底にずっと蓄積されている疲労感があるのも事実です。このまま走り続けていいのか、自問する日も増えてきました。責任感だけで人生を埋め尽くすと、心が壊れる。少しずつでも、自分の気持ちに目を向けることを、忘れたくないと思っています。

「やる気がない」は甘えじゃないと思いたい

やる気が出ないからといって、それが甘えだと責められるのはつらい。むしろ、やる気がなくても責任感だけで動いてる人の方が、よっぽど偉いとさえ思います。だからこそ、自分自身には「それでもやってるじゃないか」と、もう少し優しくしてあげたい。やる気なんてなくても、生きていける。そういう働き方だってあっていいと思うのです。

もう少し自分の心に正直になってもいいのかもしれない

「誰かのため」も大事だけど、「自分のため」も忘れちゃいけない。これまで責任感に頼ってばかりだったけど、これからは少しずつでも、自分の気持ちに耳を傾けていきたい。完璧じゃなくていいし、弱音を吐いたっていい。そうやって、自分を守ることもまた、大事な責任なんじゃないかと思う今日この頃です。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。