今日、声を出したのは電話だけだった。

今日、声を出したのは電話だけだった。

今日、声を出したのは電話だけだった。

誰とも会話しない日々、それでも仕事は山積み

朝から晩まで事務所にこもって書類とパソコンに向き合い、気がつけば一言も発していない日がある。そんな日が、最近では珍しくもない。司法書士という仕事は、人と話すのが仕事のようでいて、実際は「書類を整える仕事」だ。電話やメールでのやりとりはあっても、それは決まりきった言葉のやりとりで、会話とは言い難い。気づけば、誰かと笑い合ったのはいつだっただろうか、と振り返ってしまう。

忙しいのに「孤独」を感じる矛盾

一日中バタバタと書類に追われ、法務局や裁判所の対応に追い立てられているのに、心はぽっかりと空いている。この矛盾にはいつまで経っても慣れない。仕事量はあるのに、誰とも関わらない。何も話さないまま夕方を迎えると、自分が存在していた証が電話の通話履歴だけに思えてくる。

人と接しない司法書士業務の現実

昔はもっと「対面の仕事」だったと思う。登記相談に訪れる依頼者と対話しながら、時には世間話をしつつ手続きを進めていた。それが今ではオンラインで資料を送ってもらい、質問もメール、完了報告もメール。顔も声も知らないまま手続きを終えることが当たり前になっている。

電話だけが唯一の「声の出口」だった

今日もそうだった。午前中から書類作成に没頭し、昼を過ぎても無言のまま。そして午後、ようやく鳴った電話。それは役所からの問い合わせだった。たった数分の電話応対が、その日初めて自分の声を外に出す瞬間だった。まるで声帯のストレッチみたいなものだ。こんな生活が続けば、声も出なくなるんじゃないかと思ってしまう。

電話の相手が「人間」なら、まだ救われる

機械的な生活のなかで、せめて電話の向こうに「人」がいてくれるとホッとする。こちらの言葉に笑って返してくれる声。そんな何気ないやり取りが、日々の孤独を少しだけ和らげてくれる。でも、それすら叶わないときもある。

自動音声との会話で気づく、自分の疲れ

今日は、午前中の問い合わせ以外はすべて自動音声だった。銀行の確認、郵便局の配達状況、法務局の代表電話。受話器越しに「◯番を押してください」と案内されるたびに、なんとも言えない虚しさを感じる。「お相手は人間ではありません」と突きつけられているようだ。誰にも伝わらない用件を、誰にも聞かれず処理する日々。その無味乾燥さに、疲労感がじわじわと広がる。

受話器越しの声にすがる日もある

一度、登記申請の不備で担当者から折り返しの電話があったとき、用件が終わった後も少しだけ雑談をしてしまった。「今日は暑いですね」なんて言葉でも、誰かが応じてくれるだけで、心が動いた気がした。そんな些細な会話が、どれほど救いになるか、自分が一番よくわかってしまった。

雑談という贅沢を忘れかけている

この仕事を始めた頃、ベテランの先生方はよく依頼者と雑談していた。手続きの合間に世間話をし、安心させることも仕事のうちだと聞かされた。けれど今は、効率重視の時代。無駄話を挟む余裕もなく、心の通う会話の機会がどんどん失われている。雑談は、司法書士にとっても贅沢になったのかもしれない。

事務員一人、会話は必要最低限

事務所には事務員さんが一人いる。彼女はとても優秀で、無駄なことは言わないタイプだ。お互い忙しいので、朝の挨拶と業務連絡以外はあまり話さない。悪く言えば「空気のような関係」だが、よく言えば「居心地がいい」。だけど、ふとした瞬間に言葉の不足を感じるときがある。

「黙ってるのが楽」という関係の功罪

気を遣わない関係は楽だ。でも、それが続くと、自分が何を考えているのかすらわからなくなる。会話を通して感情を整理したり、自分の考えを再確認したりすることが、実は大切だったのだと気づく。無言のまま仕事を終える日々が、自分の内面まで無言にしてしまいそうで怖い。

気を遣わないが、孤立感は拭えない

たとえ一緒の空間に人がいても、言葉が交わされなければ、孤独は薄れない。むしろ「話せる人がいるのに話さない」という状況が、逆に寂しさを強調することもある。仕事を回すうえでは最高の関係かもしれない。でも、心を回すには足りない。

言葉にしないストレスが溜まっていく

誰にも言わないストレスは、発酵して濁っていく。ちょっとした不満も、話せば笑い話で済むのに、黙っているとどんどん澱のように溜まってしまう。気づけば、夜になるころにはため息ばかりついている。これが毎日続けば、やがて声すら出さなくなるんじゃないか。そんな恐怖がある。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。