全部自分でやろうとしてしまう

全部自分でやろうとしてしまう

どうしても「自分でやる」が抜けない性格

司法書士という職業柄、「責任はすべて自分にある」という意識が強く根付いてしまっています。依頼者の人生にかかわる書類を扱う以上、ミスは許されないし、誰かに任せて万一不備があれば、自分の信用も事務所の信頼も一瞬で失墜する——そう思うと、どうしても「自分でやる」方向に傾いてしまうのです。そういう自分の性格に、少しずつ疲れを感じながらも、変えられない日々が続いています。

頼れない性分と司法書士という職業の相性

もともと私は、人にものを頼むのが得意ではありませんでした。子どもの頃から、「これ、やっといて」と言うのがなんだか恥ずかしい性格で、学校の係活動でも「いいよ、僕がやる」と全部背負ってしまうタイプでした。司法書士になってからは、それがさらに強まりました。「書類の精度は命」だし、「間違いがあれば自分の責任」だと刷り込まれているからです。そうして自然と、誰にも頼まず自分で抱える癖が完成してしまいました。

「ミスは許されない」という呪縛

実際、一度だけ、昔勤めていた事務所で提出書類の軽微なミスがあって、法務局から差し戻されたことがありました。原因は事務スタッフの入力ミス。でも結局、責任を取ったのは私でした。「もう人には任せない」とそのとき誓った記憶が今も鮮明です。その呪縛が、自分の中でずっと残っていて、今でも小さな入力作業ですら目を通さずにはいられないのです。

確認のために何度も見直すクセが抜けない

書類の内容を確認するたびに、ふと「こんなこと、誰かに任せてもいいのでは?」と思うこともあります。だけど、結局自分で見直して、また見直して…その繰り返し。1回目は誤字脱字、2回目は形式面、3回目は全体の流れと、チェックするたびに何かが見つかってしまう。まるで「確認作業」そのものが安心材料になってしまっていて、そこから抜け出せない自分がいるのです。

責任感という名の孤独

「責任感が強いですね」と言われると悪い気はしません。でも、その裏側にはいつも孤独が潜んでいます。誰にも頼らず、すべてを自分で完結させる。それは「強さ」ではなく、「頼れなさ」からくる行動でした。周りには「ちゃんとしてる」と映るかもしれませんが、内心では「誰か助けてくれ」と叫んでいる自分がいます。結局、自分で作った壁に、自分で閉じ込められているのです。

「自分がやらねば」と思うほど誰にも任せられない

こんな私にも事務員が一人います。でも「これ、お願い」と言うのに、ものすごくエネルギーが要る。簡単な書類のチェックひとつ任せるにも、「大丈夫かな、間違えないかな」と心配が先に立ってしまい、結局自分でやってしまう。その繰り返しで、どんどん一人で抱え込んでしまう。気づいたときには、自分の仕事の半分以上が「本来なら人に任せてもいいこと」ばかりになっているのです。

事務員に頼めない、頼まない現実

事務所に事務員がいるにもかかわらず、結局ほとんどの作業を自分でやってしまう。この矛盾が、私の中ではもはや日常になっています。最初は「慣れるまでは自分でやろう」と思っていたのに、もう3年も経ちました。それでもまだ「任せられない」のです。きっと、信頼の問題というより、自分の中で「自分のやり方じゃないと落ち着かない」という偏りがあるのでしょう。

結局「自分でやったほうが早い」と思ってしまう

誰かに任せれば、そのぶん自分の時間が空くはず。それは頭では分かっているんです。でも、実際に任せてみると、「説明する時間」「修正の手間」「確認のストレス」が上回ってしまって、結局「自分でやったほうが早かった」という結論に至る。この「早いかどうか」だけを基準にしてしまうと、未来永劫、誰かに任せるという選択肢が生まれないんですよね。

教える時間すら惜しくなる日常

「お願いする時間があれば、自分で終わらせてしまおう」——これは忙しいときほど強くなる感覚です。1時間あれば十分説明できることも、「その1時間が惜しい」と感じてしまい、結果的に自分でやってしまう。その繰り返しで、事務員は成長しないし、私はますます一人で何でもやるようになる。悪循環とはまさにこのことです。

ミスがあったときの再確認の手間が怖い

お願いして、もし間違いがあったら…という「もしも」の不安が、常に頭の中を占めています。訂正の連絡を入れたり、再提出したりといった「二度手間」が面倒で、だったら最初から自分でやったほうがマシだと考えてしまう。こうなると、もう頼ること自体がストレスになってしまい、「お願いする」ことのハードルがどんどん高くなっていきます。

事務員の前で余裕ある顔をし続けるつらさ

「大変そうですね」と言われたとき、「大丈夫です」と反射的に返してしまう。実際は大変なんです。でも、事務員の前で「助けて」と言ってしまうと、どこか自分が崩れてしまいそうな気がして、平気なふりをしてしまう。こうやって無理してしまうこと自体が、自分の首を絞めていると分かっていても、その役割を手放すのが怖いのです。

本当は「手伝って」と言いたいのに言えない

正直に言えば、「ちょっと手伝ってくれない?」と口に出せたら、どれだけ楽かと思います。でも、今までずっと一人でやってきた自負と、プライドのようなものが邪魔をして、その一言が言えない。本当は弱音を吐ける関係性を築きたいのに、どこかで「頼る=負け」のように思ってしまっている自分がいるのです。

全部自分でやることの弊害

こうして全部自分で背負ってしまうと、当然、時間も足りなくなるし、精神的にも疲弊していきます。気づけば「何のためにこの仕事をしているんだろう」と思う瞬間が増え、モチベーションも低下。お客様に対する感謝の気持ちや丁寧さが、どこか薄れてしまっている自分に気づいたときは、本当にショックでした。

時間が足りない、心がすり減る

朝から晩まで仕事に追われ、気づけば夕飯を食べる時間すら削っている。そんな日が続くと、心がどんどん乾いていきます。効率が悪いのは分かっているけれど、自分でやるしかないという思い込みが、状況を改善させてくれない。気がつけば、「この仕事、好きだったはずなのに」と、初心すら見失っているのです。

「効率化」とは無縁の日々

世の中はどんどん業務効率化に進んでいます。でも、自分の働き方だけは、まるで昭和から進化していないような感覚。「全部自分でやる」ことが当たり前になりすぎて、そもそも「効率化しよう」という発想が生まれにくいのです。新しいツールを導入するより、自分でExcelを開いて手打ちするほうが早い——そんな感覚に縛られてしまっていました。

朝から晩まで終わらないToDoリスト

毎朝、手帳にびっしり書かれたToDoリストを見て、ため息が出ます。9割以上が「自分しかできない」と思っている仕事ばかり。でも、それって本当に「自分しかできない」のでしょうか? 実は、任せようと思えば任せられることばかりなのかもしれない。そう考えてみると、ToDoリストが減らないのは、他でもなく自分の思考のクセのせいなのだと、最近ようやく気づき始めました。

それでも誰かに頼ってみた日のこと

ある日、勇気を出して事務員に登記申請書類の一部作成をお願いしました。「細かいところはあとで自分が見るから、まずはやってみて」と伝えてみたのです。最初は不安でした。でも、返ってきた書類を見て、「あ、思ったよりちゃんとできてる」と驚きました。完璧ではないけど、致命的なミスもなく、「任せてよかった」と心から思えた瞬間でした。

勇気を出して任せたら、案外うまくいった

自分でやらなきゃという思い込みを一度手放すと、見える景色が変わります。「人に任せるのは怖いこと」ではなく、「信じてみる機会」なのかもしれません。その日を境に、少しずつではありますが、書類の準備や郵送作業などを任せるようになりました。驚いたのは、事務員の顔つきが変わったこと。責任感をもって仕事に取り組んでくれている様子を見て、任せることの大切さを実感しました。

完璧じゃなくても「まあいっか」と思えた瞬間

一番の変化は、自分の中の「まあいっか」が許せるようになったことです。以前は、1文字の誤字すらも許せず、すべて自分で直していました。でも、今は「致命的じゃなければ、まずは感謝」と思えるようになりました。この心の余裕が、自分自身の働き方を変えるきっかけになった気がします。

司法書士としての「一人で抱え込まない」工夫

私はようやく、「全部自分でやらなければならない」という思い込みから、少しずつ脱する努力を始めました。いきなり全部を手放すことはできません。でも、小さなことから「人に任せてみる」経験を重ねていく中で、信頼関係が育ち、事務所全体の空気が和らいでいくのを感じています。

少しずつ手放していく習慣

完璧主義をやめることはできなくても、「完璧じゃなくても回る仕組み」を作ることはできます。手始めに、毎朝の郵送準備を事務員に任せるようにしました。最初は気になって、結局自分でも確認していましたが、回数を重ねるうちに信頼できるように。自分の中の「やらねば」の鎖を少しずつ外していく感覚。こうやって、自分の時間と心に余白を作っていくことが、今の目標です。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。