自分の人生をずっと棚に置いたまま、気づけば誰のものでもなくなっていた

自分の人生をずっと棚に置いたまま、気づけば誰のものでもなくなっていた

あの日「今はまだいい」と思った自分が、ずっと続いている

「今は仕事が忙しいから」「もう少し落ち着いたら」──そんな言葉で、自分の気持ちを何度も先延ばしにしてきた。司法書士を目指していた頃は、ただ資格を取ることだけが目標で、それを叶えたあとに何が待っているのかなんて、正直考えていなかった。毎日をなんとかやり過ごし、気づけばもう何年も、自分の本心に触れた記憶がない。

司法書士になることだけが目標だった、それ以降の設計図がなかった

受験勉強中、未来のことは「合格してから考えよう」と思っていた。けれど、合格したその日から始まるべきだった「人生の第二章」は、いつのまにか始まらないまま年月だけが過ぎていた。事務所を開いて、事務員さんを一人雇って、依頼をこなして。気づけばルーティンだけが積み重なり、自分の“これから”は誰にも語れないものになっていた。

資格を取ったあとの“ご褒美”が来なかった現実

資格を取れば何かが変わると思っていた。もっと自由に、もっと堂々と生きられるようになるって。でも現実は違った。仕事の責任は重くなり、人付き合いは減り、誰かと喜びを分かち合う機会もほとんどなかった。目標を叶えたはずなのに、どこかむなしかった。

「あのときは仕方なかった」が口癖になっていた

「あのときは忙しかったから」「親の体調が心配だったから」──言い訳にしていたつもりはないが、いつの間にかそうやって自分の気持ちにフタをする癖がついていた。本当は誰よりも、何かを変えたいと思っていたのに。

仕事は山積み、人生は未開封

日々の業務に追われていると、自分のことなんて考えている余裕がない。登記や相続、相談対応、時には不動産業者との打ち合わせ。やることは山のようにあるし、終わったと思ったらまた電話が鳴る。そんな中で、「自分はどうしたいのか?」なんて問いは、いつもどこか遠くに追いやられてしまう。

忙しさに逃げ込んだつもりはなかったけれど

逃げたわけじゃない。そう思っていた。でも、もしかしたら「忙しいから」を理由に、自分の人生と向き合うことから逃げていたのかもしれない。何かを始める勇気よりも、何もしないことで得られる安心を選んでいた。

「俺がやらなきゃ」が習慣になっていた

開業してからというもの、「これは俺がやるしかない」と思ってきた。責任感ともいえるが、ただ単に“人に任せることが怖かった”だけなのかもしれない。事務員さんに頼めば済むことすら、自分で抱え込んでいた。

書類は片付くのに、自分のことはどんどん後回し

案件は片付き、書類も整う。でも、自分のことは手つかずのまま。趣味もない、恋愛もない、将来の夢もない。仕事を片付けることに慣れすぎて、人生をどう整理すればいいのかがわからなくなっていた。

結婚も恋愛も、どこか他人事だった

「この年齢だし」「どうせモテないし」──そんな言葉で自分を笑い者にして、感情を処理していたつもりだった。でも、心の奥では誰かと一緒にいたかった。誰かに、ちゃんと「おかえり」と言ってもらえる日常が欲しかった。

モテないことを笑い話にしてごまかしていた

「俺なんて、女性からしたら選択肢にすらならないよ」と自虐することで、傷つかないようにしていた。どうせうまくいかないと決めつけて、最初から挑戦しない。そんな自分が一番、自分をバカにしていた。

「この仕事してたら無理だよね」と言うたび、少しだけ心がすり減った

「土日もないし、時間も読めないし」──司法書士の仕事を言い訳にして、恋愛からも結婚からも距離を取ってきた。でも実は、それが言い訳だってこと、自分が一番よく知っていた。

“いい人”でいた代償

「あの先生は優しい」と言われることはある。けれど、優しさが自分を救ってくれるわけではない。誰かのために時間を使い、自分のことは後回しにしてきた結果、気づけば“自分の人生”がどこにもなくなっていた。

本音を言わないことで、誰からも深く踏み込まれなかった

人と適度な距離を保ち、無難に対応する。それはトラブルを避けるにはいい。でも、本音を出せる相手がいないというのは、思った以上に孤独だった。自分ですら、自分の気持ちに気づけないことも増えていった。

優しさと孤独はセットだった

誰かのためにと思って行動しても、それが報われることは少ない。期待していないと言いつつ、心のどこかで「誰か気づいてくれないかな」と思っている自分がいる。その思いが報われることは、あまりなかった。

棚上げしてきたものは、もう取り出せないのか

人生の引き出しを開けてみても、埃をかぶった夢や後悔しか出てこない。やり直したい気持ちはあるのに、今さら何を始めればいいのかわからない。時間だけが過ぎていく中で、自分だけが止まっているような感覚に襲われる。

人生の引き出しを開けたら、空白と後悔だけが入っていた

昔、やりたかったことが何だったか思い出せない。ただ、「何か」が足りないと感じている。あれもこれも「いつかやる」と思っていたものばかり。でも、“いつか”は永遠に来ないことに、ようやく気づいた。

もう遅い?まだ間に合う?という問いに答えは出ないけど

40代半ば。もう手遅れなのかもしれないという声と、まだ何かできるかもしれないという希望が、交互に心に浮かんでくる。どちらが正しいかはわからない。ただ、何もしなければ何も変わらないのは確かだ。

それでも、今日やることはある

どんなに自分の人生に迷っていても、目の前の依頼者には関係がない。自分の感情は仕事に持ち込めないし、持ち込むべきでもない。だから今日も、机に向かって、印鑑を押し、書類を提出する。その積み重ねが、誰かの支えになるのなら、それでいいと思ってしまう。

依頼人の前では“棚の中の自分”は持ち出せない

相続に悩む人、不安で泣き出す人、家族に裏切られた人──そうした依頼者の前で、自分の悩みを語るわけにはいかない。自分の人生は棚の中にしまったまま、ただただその人の問題を整理し、書類に落とし込む。

せめて目の前の人には、ちゃんと向き合いたい

自分の人生はうまくいってない。でも、依頼者の人生が少しでも良くなるように、せめてそこに集中したい。それが今の自分にできる、数少ない“誠実”な行動だと思う。

もし、誰かが今の自分と同じところにいたなら

この記事をここまで読んでくれた人がいるなら、きっとどこかで似たような孤独や迷いを抱えているのかもしれない。そんなあなたに言いたい。「遅かった」と感じているその瞬間が、たぶん一番の始まりのタイミングだと思う。

棚の上に置いたままでも、いつか手に取ってもらえたら

僕の人生はまだ途中だ。誰のものでもなかった時間を、これから少しずつ、自分のものにしていけたらと思う。あなたも、どうか自分を棚に置いたままにしないでほしい。僕も、少しだけ動き出してみようと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。