どこにも属していない気がする

どこにも属していない気がする

どこにも属していない気がする日々に

司法書士として十数年、独立開業してからもそれなりに年数が経ったが、最近ふと、「自分はどこにも属していないな」と思うことがある。地域の士業会に名前を連ねてはいるが、実際に心を開けるようなつながりは希薄で、イベントにも顔を出さないことの方が多い。事務所に戻れば、事務員さんはいるが、そこに「仲間意識」があるわけではなく、ただ一緒に仕事をしているだけという感覚だ。そんなふうに、気づけばどこにも本当には属していない、孤立した感覚に包まれる日がある。

「先生」と呼ばれても、心はひとり

「先生」と呼ばれる職業に就いていると、それだけで一目置かれることがある。でも、内実はただの書類と格闘する日々。相談者に感謝の言葉をいただくこともあるし、登記が完了して「ありがとうございます」と言われる瞬間は確かに嬉しい。けれど、心の奥ではいつも、どこか空洞がある。その空洞は、所属感のなさから来ているのかもしれない。たとえば、高校時代の部活動のような、ひとつの目標に向かって仲間と一緒に頑張る、あの感じ。あれに近いものを、今の自分は持っていない気がする。

肩書きに救われることもあれば、縛られることもある

「司法書士」という肩書きは、時に心の防波堤にもなる。自分が何者なのかを簡潔に語る言葉があるというのは、迷いの中での一つの支えだ。ただし、それは同時に、自分を縛る枷でもある。「先生なんだからこうあるべき」という世間の期待が、いつの間にか自分の中にも刷り込まれている。疲れていても笑顔を作り、悩んでいても頼られる立場を演じる。そんな日々が続くと、ますます「どこにも自分をさらけ出せない」という感覚が強くなるのだ。

仕事では頼られるのに、プライベートでは居場所がない

仕事では「助かりました」と感謝されることもある。案件によっては深く関わり、信頼されている実感もある。それなのに、ひとたび事務所を出てしまえば、プライベートでは誰からも頼られることはない。夜に一人でスーパーを歩いていても、誰とも言葉を交わさない。休日に誰かと出かける予定もない。SNSを見れば、他の人たちは家族と旅行、友人とバーベキュー。自分はどこにも属していない。そんな寂しさが、ふとした瞬間に押し寄せてくる。

同業者とのつながりは、意外と希薄

士業という仕事は、横のつながりがあるようで実は薄い。情報交換の名目で集まることはあっても、本音で語り合う場面はほとんどない。同期の司法書士とも年賀状だけの関係になって久しいし、相談できるような同業者は見当たらない。「皆それぞれ忙しいから仕方ない」と言い聞かせるものの、本当は誰かと仕事の悩みを共有したい。孤独な現場で一人戦っているような気分になるのだ。

業界LINEグループが怖い理由

何年か前に、地域の司法書士グループのLINEに招待されたことがある。情報共有のため、と言われて参加したが、あの空気にはなじめなかった。業務の実績や近況を投稿する人もいれば、内輪ネタで盛り上がっている投稿も多い。そこに自分の居場所は感じられず、既読だけつけて沈黙する日々。やがて通知も切り、いつのまにかグループは見ないようになった。属している「はず」の場なのに、心はずっと部外者のままだった。

会合にも飲み会にも、居場所を見つけられない

月に一度の士業会の会合も、しばらく顔を出していない。最初のころは頑張って参加していたが、自己紹介が回ってくるたびに、肩書きだけを話して終わるあの空気がどうしても苦手だった。飲み会になれば、常連同士の盛り上がりについていけず、スマホを見るふりをして時間が過ぎるのを待つだけ。帰り道、自分が何のために参加したのか分からなくなる。属している「組織」にも、気持ちがまったく馴染めない。そういう経験が、積もり積もってしまった。

ひとり事務所の“静かすぎる日常”

朝、事務所に出勤してドアを開けると、冷たい空気と紙のにおいが迎えてくれる。事務員さんはいるけれど、それぞれの作業に集中していて、会話は最小限。BGMすら流れていない静けさが、時に落ち着きを、時に孤独をもたらす。ひとりで仕事をするというのは自由でもあり、孤立でもある。その両面を日々実感している。

事務員さんはいるけれど、心までは近くない

今の事務員さんとはもう何年もの付き合いになる。仕事ぶりは真面目で助かっているし、信頼している。けれど、業務外の会話はほとんどない。自分が距離を取っている部分もあるのだろう。仕事場に感情を持ち込むのが面倒だと感じてしまうこともある。でもそれが、余計に自分を孤立させている気もしている。近くにいるけど遠い、そんな関係が毎日の空気を作っている。

電話のあとに感じる、空気の重さ

クレームの電話が終わったあとの、あの静けさが苦手だ。感情を押し殺して対応し、何とか穏便に終えたあと、受話器を置いた瞬間にくる無音。周囲には誰もいないわけではないが、誰も何も言わない。その空気が重くのしかかる。たまには「大変でしたね」と一言もらえたら救われるのかもしれない。でも、それを期待することすら疲れてしまう自分もいる。

独身司法書士の、夜の過ごし方

仕事が終わって帰宅すると、シーンとした部屋が待っている。テレビをつけても、ニュースばかりで気分が沈む。そんなときは、意味もなく近所のスーパーに立ち寄ってみる。特売の冷凍食品をカゴに入れながら、誰とも目を合わせないままレジへ向かう。その一連の流れが、逆に安心感を与えてくれるのだから不思議だ。

仕事終わりに行く場所がない

学生時代は、友人とファミレスで長話したり、飲み屋でくだを巻いたりしていた。でも今は、誰かに「一杯行きませんか?」と声をかけることも、かけられることもない。趣味のサークルに入ろうかと思ったこともあるが、なぜか気が引けてしまう。「仕事があるし」と言い訳して、結局一人でコンビニに寄る夜。行く場所がないというより、「行ける気がしない」のかもしれない。

「家族」の話題がつらい理由

事務員さんとの何気ない会話で「子どもが…」「夫が…」と出てくると、どう返せばいいのか困ってしまう。別に嫌なわけじゃない。ただ、自分には語る「家族」の話がないというだけで、なんとなく劣等感のようなものを感じてしまうのだ。それは誰のせいでもない。でも、自分だけが「その場にいない」ような気持ちになるのは確かだ。

それでも、ここにいる理由

誰にも頼れない日もあるし、どこにも属していないと感じる夜もある。それでも、自分のやっている仕事には意味があると信じたい。たとえ一人で進める登記であっても、その先には誰かの安心や未来がある。そんな思いが、心の底で灯のように残っている。だから今日も事務所のドアを開ける。

仕事が自分を支えてくれていることも、確かだ

孤独感に押しつぶされそうになる日もある。でも、仕事が自分を支えてくれているという感覚はある。登記簿の記載が正確に通ったとき、依頼者がホッとした顔を見せてくれたとき、「これでよかったんだ」と思える。大きな達成感ではないかもしれないが、小さな積み重ねが、自分の背中を押してくれるのだ。

“どこにも属せない人”に向けて書く意味

このコラムを読んでくれているあなたが、もし自分と同じように「どこにも属していない気がする」と感じているなら、その気持ちは無理に否定しなくていいと思う。属さなくても、誰かと共鳴できる瞬間がある。それは一時の文章でもいいし、たまたま見かけた言葉でもいい。私も今、そうやって「誰かに届けば」と願って書いている。この場所が、誰かの心の片隅にでもなれば幸いだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。