夕方6時、事務所に一人残ってるのはいつも自分だけ
気がつくと時計の針は18時を回っていて、静まり返った事務所に蛍光灯の音だけが響いている。事務員は17時きっかりに帰る主義で、それはそれで助かっているけれど、誰もいなくなった空間に自分だけが残される時間が嫌いだ。書類の山は少しずつ片付いているものの、処理しきれないタスクは机の上に居座ったまま。今日は早く帰ろうと思っていたのに、結局こうだ。何年やってもこの仕事のペース配分が身につかない。自分の不器用さに嫌気がさす。
なぜか「今日こそ早く帰る」と思った日に限って
朝は珍しくやる気に満ちていた。天気も良くて、洗濯物も干して出てきた。今日こそ17時半には事務所を出て、スーパーで刺身でも買って、のんびり風呂に入ろう。そう決めていた。でも実際はどうだ。午後に急な相続登記の相談が入り、電話は3本。ついでに登記完了書類の不備も発覚。片付けているうちに、もう外は真っ暗になっていた。「帰りたい」という気持ちはどこかに消えて、いつの間にか「終わらせなきゃ」にすり替わっていた。
電話一本、急ぎの登記、そして残業
一本の電話が流れを変える。今日もそれだった。常連の不動産会社から「今日中に処理してほしい」と言われれば、断れない。司法書士にとって“今日中”という言葉は重たい。簡単そうに見えて、実は関係書類の確認、登記識別情報の確認、登記申請の準備と、細かい確認作業の連続。頭では「明日でもいいだろ」と思いつつ、体はもう慣れてしまっている。結果、また一人で事務所に残ることになった。
誰にも怒られてないのに、なぜか謝りたくなる夜
誰かに怒られたわけでもないのに、なぜか自分に対して申し訳ない気持ちになる。「またこうなったか…」と、つぶやきながら書類を綴じる手が止まる。外のコンビニに行く気力もなく、ふと冷蔵庫の存在を思い出す。この時間から何か作るなんて、と思いつつ、カレーを作ろうと決めた。なぜカレーなのかは、自分でもわからない。ただ、何か温かいものを、誰かじゃなくて自分に食べさせてやりたかった。
気づけば冷蔵庫の中に、人肌の代わりに人参が転がってる
冷蔵庫を開けると、くたびれた人参と玉ねぎ、そしてじゃがいも。どれも買ってから数日は経っている。だけど、こういう日に限って不思議と傷んでいない。まるで、今日が出番だとでも言いたげに、そこにある。冷蔵庫の隅っこに余っていたカレールウを見つけた瞬間、スイッチが入った。料理なんて面倒だと思うくせに、カレーだけは別だ。孤独な夜に付き合ってくれる、唯一のレシピかもしれない。
コンビニ弁当より、なぜか作りたくなるカレー
人と話す気力もない夜に、コンビニに入る勇気も出ない。あの蛍光灯の光の下で、自分の孤独がさらけ出される気がしてしまうから。カレーは、その点、自分のペースで進められる。切って、炒めて、煮て。材料がぐつぐつと煮込まれる音が、妙に落ち着く。手間がかかるようでいて、実は考えごとをするには最適のリズムがそこにあるのだ。
たまねぎを炒めてるときが一番、無になれる
じっくり炒めたたまねぎの甘い香りは、何とも言えず心を和ませる。焦がさないように、でもしっかり火を通す。そういう微妙な塩梅に集中している時間だけは、余計なことを考えなくて済む。依頼者の顔も、納期のプレッシャーも、今日は忘れていい。そんな時間を与えてくれるのが、玉ねぎという食材だったりする。だから私は、今夜も黙って玉ねぎを刻み、フライパンと向き合う。
この仕事、孤独に強い人じゃないと続かない
司法書士という職業は、一見すると人と関わる仕事に見えるけれど、実は驚くほど孤独だ。相談に乗るときは丁寧に、登記を扱うときは慎重に。でも、結果の責任はすべて自分に返ってくる。誰にも弱音を吐けない、というより吐いたところで共感されにくい。そんな毎日を10年以上続けてきて、いつの間にか孤独に慣れてしまった。
「先生」と呼ばれても、夜は誰も呼んでくれない
昼間は「先生」と持ち上げられていても、帰宅すれば一人。誰もいない部屋で着替え、誰もいないテーブルでカレーを食べる。仕事の成果や評価はあっても、誰かと笑う時間がないと、人生そのものの彩度が下がっていく気がする。そういう夜ほど、何かの形で温もりを求めてしまうのだ。
一人で責任を抱える職業の、重たさと慣れ
「自分がやらなければ誰がやる」という意識が、この仕事にはついてまわる。だからこそ、やりがいもあるのだけど、同時に重たい鎖でもある。責任を背負うのが当たり前になりすぎて、自分の感情の処理が後回しになってしまう。カレーを煮込みながら、ふと「あれ、俺疲れてるのか?」と気づくことがある。誰かに言われない限り、自覚しにくいのがこの孤独の厄介なところだ。