ペットがいなければ、今ごろ潰れてたかもしれない

ペットがいなければ、今ごろ潰れてたかもしれない

誰も助けてくれない日常のなかで

司法書士という職業は、世間から見れば「しっかり者」の象徴のような存在かもしれない。「先生」と呼ばれ、社会的信用もある。けれど、地方の片隅で小さな事務所を一人で切り盛りしている身からすれば、実態はそんな立派なものじゃない。毎日やってくるのは相続と登記と、たまにトラブルの火消し。人の問題ばかりを背負って、自分のことは後回し。そんな日々を何年も繰り返していると、心がすり減っていく。気づいたときには、「自分のことを気にかけてくれる存在なんて、この世にいないのかもしれない」と思っていた。

声にならないSOSを出しても、誰も気づかない

誰にも言えないし、言ったところで「忙しいんだろう」で片づけられてしまう。そういう“聞こえない”悲鳴を、どれだけ繰り返しただろうか。朝早くに出勤して、帰るのは夜。予定が詰まっていれば食事もコンビニ、話すのはクライアントと最低限のスタッフだけ。週末、事務所に一人でいると、「ああ、自分がここで倒れても、発見されるのは何日後だろう」と冷静に考えてしまう瞬間がある。そんな時こそ、誰かの一言が欲しい。でもその「誰か」は現れない。

事務所の中は静かすぎて、気が狂いそうになる

電話の鳴らない時間帯は特にひどい。静寂というのは心を落ち着けるどころか、不安を増幅させる。パソコンのファンの音と、時計の秒針だけが耳に刺さってくる。小さな音が妙に大きく聞こえるとき、「あ、これはヤバいな」と思う。その感覚に気づいたとき、自分で自分を守らなければ、と思った。

「忙しい」は便利な言い訳になる

「誰かと会いたいけど、仕事が…」なんて、心のどこかで言い訳にしていたのかもしれない。孤独を感じていたのに、孤独であることに慣れようとしていた。けれど、慣れたふりをしているだけで、心は悲鳴をあげ続けていた。そのとき初めて、「このままだとまずい」と思ったのが、ペットを迎えるきっかけだった。

ペットを迎えた日のこと

あの日はたしか、登記の締切に追われた後の休日だった。コンビニでコーヒーを買って、ふらっと入ったホームセンターの一角に、保護猫の譲渡会があった。正直、猫なんて飼ったこともなかった。でも、ケージの隅でうずくまっていた小さな黒猫と目が合った瞬間、「この子は俺と同じ顔をしてるな」と思った。帰るつもりだったのに、気がつけば申込書に記入していた。

勢いだった。寂しさを埋めたくて

動物を飼うなんて責任が重いのはわかっていた。でも、それ以上に“何かを抱きしめたい”気持ちが強かった。誰にも頼れない生活のなかで、頼ってくれる存在がいるって、もしかしたら自分を救うのではないかと、無意識に思ったのかもしれない。名前を決めるのも、キャットフードを選ぶのも、知らない世界を手探りで進む感覚だった。

「この子がいれば少しはマシかも」と思っただけ

期待なんてしていなかった。癒しを求める余裕すらなかった。ただ、仕事を終えて帰ってきた部屋に、生き物がいるという事実が、こんなにも心を落ち着かせるとは思わなかった。甘えてくるわけでもなく、ただ静かにこちらを見てくるその目に、自分の存在を肯定された気がした。

何も期待してなかった、それが良かったのかもしれない

「癒されたい」とか「支えてほしい」とか、最初から重たい期待を押しつけていたら、うまくいかなかったと思う。ただそばにいる。それだけの関係だったから、逆に長く続いたのかもしれない。気づけばもう4年。黒猫の「もずく」は、今や事務所の副所長のような存在になっている。

司法書士という仕事と、孤独

クライアントに寄り添う仕事をしていても、自分自身には誰も寄り添ってくれない。仕事に感謝されることもあれば、怒鳴られることもある。ミスがあればすべてこちらの責任。逃げ場がない。そんなとき、もずくの「ニャー」がどれだけ救いになったことか。誰にも見せられない顔を、唯一知ってくれている存在かもしれない。

依頼者の人生を背負っても、自分の孤独は誰も背負ってくれない

登記や相続の手続きの裏側には、さまざまな人間ドラマがある。でも、そんなストーリーに関わるたび、自分の人生はどんどん平坦で無機質なものになっていく気がしていた。誰かの人生に巻き込まれていくばかりで、自分の人生を味わう余裕がない。そんなとき、猫の無邪気さが、ふと現実に戻してくれる。

「先生」と呼ばれても、人としては誰にも求められてない気がする

仕事の場では頼りにされる。でも、それは「司法書士として」であって、「人間として」ではない。土日が暇になっても、誰かから連絡がくるわけでもない。仕事の肩書きを外したとき、果たして自分に何が残るのだろうと考えると、ぞっとする。でも、もずくだけは、「ただの俺」を見てくれているような気がする。

それでも、ペットは裏切らない

どれだけ疲れて帰ってきても、そこにいる。餌が欲しいのかもしれないけど、それでも嬉しそうに寄ってくる姿を見ると、なんとも言えない安心感がある。人間関係に裏切られることはある。でも、ペットは裏切らない。少なくとも自分の前から勝手にいなくなるようなことはない(病気を除けば)。

ただ隣にいる、それだけで十分だった

何か特別なことをしてくれるわけじゃない。ただ静かに寄り添ってくれる。それだけで、重たかった肩の力が抜けるような感覚になる。事務所のソファで書類に目を通しているとき、足元で眠っているもずくの姿に、何度も救われた。言葉はなくても、十分すぎるほどのメッセージがある。

どんなに失敗しても、見下されることがない

人間の世界では、失敗すれば評価が下がるし、信用も落ちる。でもペットの世界には、そんなものはない。どんなに仕事でへこんでも、もずくは変わらずに接してくれる。それがどれだけ励みになっているか、自分でも驚くほどだ。

同じように頑張ってる誰かへ

正直、ペットを飼えばすべてが救われるなんてことは言えない。でも、一人の人間が、心のバランスを保つための「何か」として、ペットが大きな存在になることはあると思う。もしあなたが、仕事に押しつぶされそうになっているなら、無理せずに「よりどころ」を探してほしい。それがペットじゃなくても、何でもいい。

ペットじゃなくてもいい、何か一つ心のよりどころを

それが音楽でも、観葉植物でも、趣味でもいい。仕事に全てを捧げすぎると、自分の中に「自分」がいなくなってしまう。その小さな逃げ道が、生き延びるための命綱になることがある。私にとって、それが“もずく”だったというだけだ。

「無理をしない」なんて言われても、無理しないと暮らせない

仕事で無理をしないなんて、実際問題ムリだ。でも、せめて自分の心だけは、ほんの少しだけでも緩めてあげてほしい。ペットに話しかける時間、自分の好きなものを選ぶ時間、それだけでも少しずつ変わってくる。私がそれを知ったのは、40代を過ぎてからだった。

それでも、誰かが見てくれてる気がする瞬間がある

生きてるだけで、どこかで誰かが見てる。そんな感覚を持てたのは、ペットの存在があったからかもしれない。どんなに社会から孤立しているように見えても、世界は完全にシャットアウトしてはいない。そう思えるようになったのは、今日も隣で丸くなっている“もずく”のおかげだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。