気づいたら昼飯食べてなかった

気づいたら昼飯食べてなかった

昼飯を忘れるほどの忙しさ──気づけばもう夕方

「昼飯食べたっけ?」と気づくのが午後4時。それが週に何度もあるのだから、自分でも呆れる。司法書士という仕事は、集中すればするほど時間感覚が狂う。書類のチェック、依頼人とのやりとり、電話対応、役所との調整……気づけば空腹よりもタスクに追われていて、昼食の存在など脳のどこにも残っていない。もはや腹が減るという信号すら鈍くなっているのかもしれない。

午前の記憶がない日常

朝の9時から仕事を始めたはずなのに、ふと気づけばもう13時を過ぎている。気がつけば、午前中に何をしていたのか記憶があいまいだ。電話を何本か取って、登記情報を調べて、書類を確認して……その一つひとつに対して「片付けた感」はあるのに、全体像がまったく思い出せない。まるで、流れる水を両手で必死にすくっていたら、気がついたら手が空っぽだったような感じだ。

朝からの電話ラッシュ

特に厄介なのが、9時半から10時の間に集中する電話。役所、金融機関、不動産業者、それに依頼人。誰もが「今のうちに連絡を」と思うのか、鳴り止まない電話にひたすら対応する羽目になる。一件ずつ丁寧に話を聞いて、必要な調整をし、メモを取り、関連資料を探して……そんなことを繰り返していたら、あっという間に午前中が終わる。

「10分だけ」のつもりが1時間対応

ある時、「これだけ確認して折り返すだけ」と思った内容が、気づけば1時間かかっていたことがある。簡単に済むと思っても、相手があれこれ聞いてくる。こちらも誤解がないよう丁寧に説明するうちに、どんどん深みにハマっていく。そして電話を切った瞬間、次の着信。延々と続くやりとりの中で、時間が溶ける感覚はまさに「無」だ。

終わらない書類の山

昼前には「今日中に確認を」と言われた書類が机にどっさり置かれる。前日の持ち越し分もある。1件1件、内容を読み込み、間違いがないか目を光らせる。だが集中すればするほど、時間は一瞬で過ぎる。正直、こんな状況で「ちょっと昼休憩」なんて気持ちの余裕はない。結果、「あ、今日何も食べてないじゃん」に至る。

「お昼食べました?」にドキッとする瞬間

そんな時、ふと事務員さんが「先生、昼食べました?」と声をかけてくる。ドキッとする。そこで初めて、自分が何も口にしていなかったことに気づく。なんだか情けない。自分の身体のことを他人に教えてもらうって、何なんだろう。もしかして、俺ってけっこうヤバいんじゃないか……。

事務員さんの声でハッと我に返る

「あれ?先生、今日お昼抜きですか?」と、遠慮がちに声をかけられた時のあの瞬間。頭の中でブザーが鳴る。まるで時計の針が止まったように、我に返る。ああ、確かに食べてないわ。気づいた瞬間、急に空腹が押し寄せてくるのもまた不思議。こんな状態で働き続けていたなんて、自分の扱いが雑すぎる。

自分のコンディションを他人に気づかされる情けなさ

情けない話だが、自分の体調を自分で管理できていないのが現実だ。何かに夢中になっているからとか、やりがいがあるからとか、そんな前向きな理由じゃない。単純に、余裕がない。そう思うと、事務員さんの一言にさえ救われる。逆に言えば、その一言がなければ、自分が食事をしていないことにも気づかず働き続けていたかもしれないのだ。

コンビニ行く気力もない午後2時

ようやく昼食のことを思い出した頃には、もはや外に出る気力も残っていない。近くにコンビニがあるというのに、そこまで歩くのが億劫でたまらない。気持ちのどこかで「どうせすぐまた電話か来客がある」と思っている自分がいる。こうして結局、水だけ飲んで午後の業務を再開するのだ。

食事すら忘れる仕事量と責任の重さ

司法書士の仕事は、時間との戦いだ。特に不動産登記や会社設立など、期日が決まっている案件では、タイムリミットに間に合わせるために常に走っているような感覚になる。そのプレッシャーの中で、食事の優先順位はどんどん下がっていく。「食べる=休む=遅れる」という恐怖感すらある。だからこそ、食事を抜く日常が当たり前になってしまうのだ。

司法書士という仕事の性質

正直、司法書士の仕事は「黙って書類と向き合うだけ」のように見えるかもしれない。しかし実際には、人とのやり取りや調整業務が多く、思っている以上に神経を使う。ひとつのミスが依頼人に多大な迷惑をかけることもあるし、期日を間違えれば手続きそのものが無効になることだってある。だから常に緊張していて、余計に休む隙がなくなるのだ。

終わりが見えない依頼の処理

朝から晩まで働いても、依頼の処理は終わらない。次々と届く新しい案件に対応しながら、既存のタスクも処理しなければならない。しかもその一つひとつが簡単ではない。必要書類の確認、クライアントとの連絡、登記情報の調査──そのすべてが「時間がかかって当然」なのだ。終わらないタスクの山に、昼食を挟む余裕などないのが現実である。

「急ぎなんです」に振り回される日々

「すみません、急ぎでお願いしたいんですが」この一言に、司法書士は本当に弱い。急ぎというからには理由がある。依頼人にとっても大切な案件だ。わかっている、わかってはいる。でも、「今日の午後中に」「なるべく早く」という言葉を聞くたびに、自分のスケジュールはズタズタになる。そうしてまた、昼ごはんのタイミングを失っていく。

心と身体の限界がわからなくなる

食事を忘れるくらい働いていると、だんだん自分の限界がわからなくなる。倒れたら終わりだと頭ではわかっていても、「今はまだいける」と思ってしまう。特に身体のサインを無視してしまう癖がついてしまうと、あとからガクンとくる。そうなった時には、もう遅いのだ。

空腹よりもプレッシャーが勝つ

普通ならお腹が減ったら「何か食べよう」となる。だが司法書士は違う。空腹を感じても、「この案件を先にやらねば」と思ってしまう。そしてそのままズルズルと仕事を続けてしまうのだ。自分で自分を追い込んでいるようなものだが、そうでもしないと終わらない業務量に押しつぶされてしまう。

胃の存在を忘れる感覚

ある日ふと、「そういえば、胃って何だっけ?」と思ったことがある。つまり、空腹という感覚を通り越して、胃の存在すら意識に上らないのだ。これはもう完全にマズい。体は誤魔化せても、いずれ反動がくる。そう分かっていても、「もう少しだけ」と手を動かし続ける自分がいる。

この生活、いつまで続けるのかと自問する

毎日のように「今日も食べなかったな」と思いながら、「明日こそはちゃんとしよう」と誓う。だが翌日も結局同じ。そうして月日が流れていく。ふとした瞬間、「これ、いつまで続くんだろう」と自問する。でも、誰かが助けてくれるわけでもない。だから今日もまた、昼食を抜いたまま日が暮れる。

「ちゃんと食えよ」と誰かに言ってほしい

本音を言えば、誰かに強制的にでも言ってほしい。「休め」「食べろ」「無理するな」って。でも誰も言ってくれない。独身で、ひとりで事務所を回していると、そういう言葉をかけてくれる人すらいない。だからこそ、たまにかけられる「先生、昼ごはんまだですか?」の一言が染みるのだ。

孤独な現場には共感が足りない

この仕事をしていて何より辛いのは、共感されにくいということだ。忙しいのは自分だけじゃないし、好きでやってるんでしょ?と言われたら、それまで。でも、同業者と話していて「俺も昼抜くことあるよ」と聞くと、少しだけ救われる。結局、人間は「わかるよ」と言ってもらいたい生き物なのだ。

誰にも甘えられない個人事務所のリアル

個人事務所のつらさは、全部自分の責任になること。休めば仕事は止まり、抜ければ誰かが困る。そんな思いが頭の片隅に常にあって、なかなか気を抜けない。だからこそ、昼ごはんを抜いてでも働くことを「仕方ない」と正当化してしまう。でも本当は、それが自分を壊す原因なのかもしれない。

それでもまた、昼飯を抜く日がくる

何度反省しても、気づけばまた同じことを繰り返している。結局、人間そう簡単には変われない。でも、少しずつ意識を変えることはできるはずだ。「昼を食べる」という小さなことを守ることで、少しでも自分を大切にできるようになりたいと思う。

反省しても変えられないサイクル

「次はちゃんと食べよう」「弁当買っておこう」そう何度も思った。でもいざ朝になると、その準備すらできないほどバタバタしている。反省はしてる。でも変わらない。変えられない。そんな自分にまた落ち込む。そしてまた昼飯を抜く。このループから抜け出すには、何か大きなきっかけが必要なのかもしれない。

「明日こそは弁当を買っておこう」

せめて今日は、帰り道にコンビニで弁当でも買っておこう。明日は冷蔵庫からそれを取り出して、昼になったら食べる。それだけで、少しだけ人間らしく過ごせる気がする。そんなことを思いながら、また一日が終わっていく。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。