毎日「あと一歩」で終わるしごと

毎日「あと一歩」で終わるしごと

終わらない日常に疲れ果てる司法書士の現実

「今日こそ終わらせる」と毎朝誓って事務所に向かう。でも、気づけば夜になり、「あと一歩」のところで作業が残る。司法書士の仕事は、確実性が命。だからこそ慎重になるし、丁寧にもなる。でもその丁寧さが、結果的に「終わらせない癖」を作っているのかもしれない。事務員さんには「もう終わってるでしょ」と言われることもあるが、心のどこかで「いや、まだ…」と引っかかってしまう。そんな「あと一歩」が、毎日のように積み重なっていく。

「今日こそ終わらせる」と決めた朝の決意

朝、目覚めた時には確かに気合が入っている。コーヒーを淹れ、ToDoリストを見て「今日はこれとこれを終わらせよう」と思う。でも、現実はそう甘くない。ひとつひとつの作業が、思っている以上に重たい。「あと印鑑をもらうだけ」「内容を確認するだけ」…その“だけ”が果てしなく遠く感じる。結局、その日の終わりには「まあ、明日でいいか」という言葉で自分をごまかす。気合いが空回りする日々に、もう慣れてしまった自分がいる。

書類は揃っているのに提出できない不思議

不動産登記の申請書類、相続関係説明図、委任状、すべて揃っているはずなのに、なぜか提出できない。頭では「もういける」とわかっていても、指が動かない。「本当にこれで大丈夫か?」「添付書類の番号、間違ってないか?」そんな不安が頭をよぎる。チェックにチェックを重ねているうちに時間だけが過ぎていく。完璧主義と自己不信が、いつも最後の提出ボタンの前でぶつかり合う。

チェックのつもりが修正地獄に陥る

確認しているうちに、「あれ、ここ前回と表記が違う?」と気づき、調べ始めたら止まらない。登記事項証明書をもう一度取得し直したり、過去の謄本を見返したり…。そして気づく、「この修正、必要だったのか?」と。自分で掘り返して、自分で深みにハマる。最初に「これでいい」と判断した自分を信じられなくなって、無限ループに陥る。そうして“終わらない仕事”が今日もひとつ増えていく。

電話一本でリズムが狂う仕事の恐ろしさ

やっと集中しはじめたところに、電話が鳴る。役所から?銀行から?それとも依頼者から?どれにしても、こちらのペースは簡単に崩される。内容を聞いて、対応して、場合によっては即座に資料を確認して…となれば、気づけば30分、1時間は飛んでいる。その間に、机に広げていた書類の順番も気持ちの集中力もすべてリセットされてしまう。たった一本の電話が、今日の「あと一歩」を押し戻す。

「5分だけ」のつもりが1時間飛ぶ現実

電話だけじゃない。「ちょっとこの書類見てください」と事務員さんに声をかけられる。対応は5分で終わるはずだったのに、関連案件に話が広がって、あれもこれもと確認が増える。結局、最初に取りかかっていた作業はどこかへ飛んでしまう。マルチタスクのつもりが、ただの分散疲労になるだけ。そしてその一日は「また明日にしよう」で終わる。たった5分のつもりが、恐ろしく重い代償になる。

メモと付箋とToDoが積み重なるだけの机

「これあとで」「これ明日」「念のため」と書かれた付箋が、机の上に何枚も貼られている。ToDoリストもすでに機能していない。もはや「気になってることの墓場」になっている。やるべきことは見えている。でも「今じゃない」という気持ちが強すぎて、何も進まない。その結果、すべてが「あと一歩」で止まり、積もり積もって自分の首を絞めていく。メモは残しているのに、完了印がつかない。それがまた自分のダメさを突きつけてくる。

「あと一歩」がどれだけ遠いかを知る日々

一件一件の仕事は、そう難しいものじゃない。ただ、すべてが“慎重さ”を求められる仕事だ。司法書士にとって、うっかりのミスは致命傷になることもある。それを恐れているうちに、すべてが「あと一歩」で止まる。気持ちは前に進んでいるのに、体が止まる。あるいは逆に、作業を進めながら心が引っかかる。どちらにしても「終わり」が遠い。この“遠さ”に、日々心が削られていく。

気になるから進めない、進めないから終わらない

「ここ、もっと調べたほうがいいかな」「この解釈、間違ってないかな」…そんな些細な疑問が、止まらない。確認し始めると、どこまでも深掘りしてしまう。慎重なのはいいことだと思っていた。でも気づいたら、“慎重”という言葉に甘えて、完了の判断を先延ばしにしている自分がいる。進めない理由を作っているのは、自分自身だったのかもしれない。

「念のため」の確認がいつも増えていく

「念のため」って便利な言葉だ。誰に責められることもなく、自分の安心を優先できる。でも、その念のためが重なっていくと、どこまでも終わらない確認作業が出来上がる。今日確認したことが、明日には不安になる。そしてまた確認する。二度手間、三度手間。なのに、最終的に提出しても「これで良かったのか」と思ってしまう。安心のための作業が、不安を増やしているなんて皮肉だ。

メール送信ボタンを押すのが怖い

完成したPDF、添付したメール、書いた文章。全て準備が整っていても、送信ボタンを押すのに勇気がいる。「もう少し寝かせようか」「朝になってもう一回見直そう」そんなことを考えて、送信せずに下書きフォルダに入れる日もある。結局、明日見ても同じ内容なのに、なぜか怖い。相手の反応が気になる、ミスがあるかもしれない、自分の判断に自信がない。送信ボタン一つに、これほどまで神経をすり減らす職業もそう多くないと思う。

ひとつの依頼が終わらないだけで一日が崩れる

「これが終われば今日は気持ちよく帰れる」と思った矢先、ひとつの案件が引っかかる。電話がつながらない、資料が届かない、依頼者が確認を保留している。そんな些細なことで、すべての予定がずれ込む。「あと一歩だったのに…」と悔しさを感じながら、他の案件にも手がつかなくなってしまう。気持ちの引っかかりが、全体のペースを狂わせる。たったひとつの“未完了”が、心を支配してくるのだ。

優先順位を見失う瞬間

何を一番にやるべきかが、見えなくなる時がある。「あと一歩」だらけのタスクの山を前にして、どれから片付ければいいのか判断ができなくなる。どれも終わりかけ、でもどれも終わっていない。その状態が続くと、優先順位よりも“目についたもの”から手をつけるようになる。そして、それもまた「あと一歩」で止まる。悪循環のループにハマって、自分を責めるしかなくなる。

「終わった気になる」ことで乗り切っているだけかもしれない

「これはもう終わったことにしよう」そんな逃げの気持ちで、日々を乗り切っているのかもしれない。本当は終わっていない。でも、終わらせたことにしないと前に進めない。心が追いつかなくなるから。だから、自分の中だけで「完了」と線を引く。でもその線はあいまいで、すぐにまた戻ってきてしまう。“終わった気になる”ことと“本当に終わる”ことの差に、心がついていかない。

完了報告が先か、心の納得が先か

報告書を提出して、「完了です」と伝える。でも本音では「まだ何かあるんじゃないか」と不安になる。人に伝える「終わりました」と、自分の中の納得が噛み合わない。心のどこかが「まだ終わっていない」とささやいている。だから、夜になっても気が抜けない。クライアントには完了報告済みなのに、自分だけが終わっていないような感覚。それが何よりもしんどい。

「一旦終わり」が積み上がることへの恐怖

「とりあえずこれでOKです」「一旦提出しておきます」…そんな言葉が、日常的に口をついて出る。でもその“一旦”がどんどん積み重なっていく。どこかで再確認が必要な案件、後で見直すべき書類、その山がどんどん高くなっていく。「そのうちやる」が「ずっとやらない」に変わる前に、どうにかしなければと思う。でも、今は手一杯。その恐怖と常に隣り合わせで仕事をしている。

自分だけが納得していない提出済み案件たち

依頼者は満足している。書類も受理された。でも自分だけが、どこか納得していない。もっとできたかもしれない、もっと丁寧にできたのでは…と、あとから思い返してしまう。そういう案件が年々増えている気がする。評価されているのに、自分の中では“あと一歩”のまま止まっている。それは、理想が高いのか、ただの自己満足なのか。どちらにしても、その積み重ねが疲労感となって、心にのしかかってくる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。