肩書きの重みと現実のギャップ
「司法書士」という肩書きには、ある種の威厳や信頼が求められます。周囲からは「先生」と呼ばれ、法律の専門家としての期待を背負いながら働く日々。でもその実情は、書類の山と締切に追われる毎日で、自分でもふと「これが自分のやりたかったことだったのか?」と問い直す瞬間があります。肩書きが先に立ってしまい、人としての自分が置いてけぼりにされるような感覚に陥ることもあります。
「先生」と呼ばれることへの違和感
町中で「先生!」と声をかけられるたびに、心のどこかでムズムズする。たしかに、司法書士として法律の知識を提供している以上、敬称として呼ばれるのは当然なのかもしれません。でも、実際のところ、そんなに偉い存在じゃない。ミスもするし、眠れぬ夜だってある。「先生」なんて言葉に見合うほど、僕は立派な人間じゃないんです。
周囲の期待と実際の業務内容
「司法書士ってカッコいいですね。法廷とか行くんですか?」なんて聞かれることがありますが、実際の仕事は地味で細かい作業の連続です。登記申請、不動産取引の立会い、相続関係の調整…。書類の確認漏れ一つで全てが台無しになるから、神経をすり減らしながらの作業です。そんな日常を知っている人は、ほんの一握りしかいません。
地方で司法書士をやるということ
地方の司法書士は、とにかく「顔が見える関係」が基本です。地元の人たちに支えられている実感はある一方で、情報の遅れや選択肢の狭さに悩むこともしばしば。特に新しい制度や法改正があると、都市部ではすぐにセミナーが開催されるのに、こちらでは「誰かが噛み砕いてくれるのを待つ」空気がある。時代の流れに取り残されているような不安もついてまわります。
仕事があることへの感謝と孤独
仕事があるのはありがたい。毎月安定して依頼があるだけでも、地方では恵まれている方です。でも、相談を受けるたびに思うのは、「自分しかいない」という孤独。頼られて嬉しい反面、それがプレッシャーにもなる。相談者の期待を裏切れないという重責が、日々の疲れに拍車をかけていきます。
都会との格差と焦燥感
SNSで東京の司法書士さんの投稿を見ると、華やかな事務所や最新の業務管理システムの話が飛び交っている。「ウチはまだFAX現役ですよ」と思わず自嘲したくなるようなギャップ。もちろん比較しても仕方ないけれど、ふとした瞬間に「自分は遅れてるのでは」と感じる焦りが心の中に忍び寄ってくる。
ネットの情報との乖離にモヤモヤ
ネットでは「司法書士は独立しやすく高収入!」なんて言葉が踊っているけれど、現場はそんなに甘くない。田舎での独立は、むしろ知名度や人脈がモノを言う世界。広告を出しても反応は鈍いし、ウェブからの集客はほぼ皆無。情報との乖離に、モヤモヤが募るばかりです。
一人事務所という現実
事務員さんがひとりいてくれるだけでも助かるけれど、やはり最終責任は全部こちらにのしかかる。書類の確認、申請ミスのチェック、期限管理、すべてに目を光らせていないと一瞬で信用を失う世界です。誰にも頼れないという緊張感が、常に背中を押してきます。
頼れるのは事務員と自分だけ
事務員さんはよく頑張ってくれてる。でも専門的なところは、やっぱり僕が見るしかない。お客さんからの電話も、複雑な相談は「先生に代わりますね」となる。事務員に過度な負担をかけたくない反面、自分だけで抱え込むことになってしまい、気づけば毎日終電帰りのような精神状態になっている。
ミスが許されないプレッシャー
登記の世界は、とにかくミスに厳しい。一字一句の違いが補正の原因になり、スケジュールが狂ってお客様の信用もガタ落ちする。だからこそ、何度も見直し、印刷し直し、確認の鬼と化す毎日。そんな緊張感に慣れはしない。むしろ年々、胃が弱くなってきた気がする。
補正通知に胃が痛くなる
法務局からの補正通知が来ると、一気に血の気が引く。「あれだけ確認したのに…」という悔しさと、「また迷惑かけてしまった」という申し訳なさが、混じり合って自己否定の嵐になる。こんな日はもう、家に帰っても何も手につかない。冷蔵庫を開けて、缶ビールを眺めるだけで夜が更けていく。
休日の法務局メールチェック習慣
休みの日でも、朝一で法務局からのメールチェックをしてしまう自分がいます。完全に仕事脳。頭では「今日は休もう」と思っても、どこかで「補正が来てたら…」という不安が離れない。これって、本当に健康的な働き方なんでしょうか?もはや“休日”の定義がわからなくなってきました。
人間関係の難しさ
法律というデリケートな領域を扱う以上、人との関係には常に気を遣います。感情的な相談、トラブルの渦中にいるお客様。言葉一つで相手を救うことも、逆に深く傷つけることもある。そのプレッシャーに、日々悩まされながら、なんとかこなしているのが現実です。
お客様は神様ではないけれど
お客様に感謝の言葉をもらえることもありますが、理不尽な言いがかりや怒鳴り声を浴びることも日常茶飯事です。もちろんサービス業である以上、丁寧に対応するのは当たり前。でも、人としての尊厳を無視されるような言動にさらされると、「なんのためにやってるんだろう」と心が折れそうになります。
理不尽なクレームに心がすり減る
登記完了が予定より1日遅れただけで、「お宅に頼んだのが間違いだった」と言われることもある。こちらにも事情があるし、法務局の対応次第のところもあるけれど、そんな説明は聞いてもらえない。ただただ謝り、頭を下げるだけ。誠実にやっていても、報われないと感じる瞬間は、確実に存在します。
他士業との微妙な距離感
弁護士、税理士、行政書士との連携も大切ですが、専門領域の境界で意見が食い違うこともあります。「そこまで口出さなくても…」と思いながらも、関係性を壊さないように言葉を選ぶ日々。仕事はチームプレー。でも、そのチームがいつも機能しているとは限らないのが現実です。
「モテない」という現実と向き合う
もう何年も恋愛というものに縁がありません。忙しいから、という言い訳もありますが、そもそも出会いがない。司法書士という職業は、外からは「安定している」と思われがちですが、中身は孤独の連続。人の人生に関わりながら、自分の人生はどこか空っぽだったりします。
忙しいのに寂しい日々
毎日遅くまで働いて、誰かのために動いているのに、ふとした瞬間に心がぽっかり空く。帰宅して誰もいない部屋、コンビニ弁当、テレビもつけずにスマホだけ見て終わる夜。「このままでいいのか?」と問いながらも、変える余裕もない。そんな寂しさと、今日も向き合っています。
仕事があっても心は満たされない
お客様のために尽くして感謝されても、それが心の穴を埋めてくれるわけではありません。「誰かに必要とされている」のは嬉しい。でも「誰かと一緒にいたい」という感情とは、また別の話。司法書士という名前の裏側には、そんな“埋まらないもの”が静かに存在しています。