誰にも理解されないと感じる夜

誰にも理解されないと感じる夜

誰にも理解されないと感じる夜が、月に一度じゃきかない

司法書士という仕事をしていると、「先生」と呼ばれたり「しっかりしてるね」と言われたりして、妙に持ち上げられることがあります。でも現実はどうか。毎月のように、仕事でくたびれ果てて、「自分だけが分かってもらえていない」と感じる夜がやってきます。肩書きがあるからこそ、本音を言いづらくなり、孤独はむしろ強くなるばかりです。そんな夜に限って、やたら月が綺麗だったりするんですから、こっちの寂しさをあざ笑っているような気さえします。

「わかってくれる人なんて、いない」が口癖になっていた

人に囲まれて働いているようで、実際にはものすごく孤立してる。それが司法書士のリアルかもしれません。相談を受ける立場になった瞬間、自分の悩みは誰にも言えなくなる。そんな空気、ありませんか?事務員さんも、家族も、友人も、「先生は大丈夫でしょ」って思ってる。その空気を感じて、何度も「誰もわかってくれないな」と心の中でつぶやきました。声に出せば、泣いてしまいそうで。

相談される立場なのに、こちらは誰にも相談できない矛盾

依頼者には「何でもご相談ください」と言いながら、自分は誰にも相談できない。矛盾してますよね。でもこの業界では珍しくない。相談する先があっても、「先生、そんなことで悩んでるんですか?」って笑われそうで怖い。だから誰にも話さず、夜中にひとり机に向かって書類とにらめっこ。寂しさは音もなく降ってくるのに、それを受け止める場所はどこにもない。まるで心の中に、無人の待合室を抱えて生きてるような気分です。

「強そうに見えるね」と言われ続けて壊れた話

昔、ある同業の集まりで「稲垣さんって、すごくタフに見えますね」って言われたことがあって、思わず笑ってしまいました。毎晩酒飲んで誤魔化してるのに、どこがタフなのかと。弱さを見せないのが美徳だと思っていた時期もありましたが、結局それで心がすり減っていった。強そうに見える、って言葉ほど孤独を深くするものはないかもしれません。あの日から、無理に笑うのをやめました。

仕事のことを話しても「へぇ~」で終わる日常

仕事の話をプライベートでしようとしても、まったく通じない。これ、けっこうしんどいんです。「登記」って言っただけで目が泳ぐ人もいますし、「書類の確認で夜中まで」と言っても「へぇ~、忙しいんだね」で終わり。共感なんて期待してないけど、せめて「大変だね」の一言があれば救われることもあるのに。その一言すら、贅沢なのかと自分を責めるようになった時期もありました。

登記って言った瞬間に会話が止まる現実

ある合コンで、職業を聞かれ「司法書士です」と答えたら、「え、何それ?」って言われて、登記や相続の話を少しだけ説明したんです。でも途中で「うーん、難しい話はちょっと」と遮られました。そこから場が白けて、こっちも話すのをやめたんですけど、妙に虚しかったですね。せめて「面白そう」とか「役に立つ仕事だね」くらいのリアクションがあれば…。でもまあ、モテない理由がまた一つ増えただけかもしれません。

友人にすら、こっちの疲れを説明するのが面倒になった

昔からの友人と飲んでても、話の内容が全然噛み合わなくなってきて、最近じゃ誘いを断るようになりました。「まだ仕事してんの?」「自由そうでいいね」って言われると、ああこの人にはもう何も伝わらないなって思っちゃって。だから最近は、自分の気持ちを話すこと自体をあきらめてます。相手に悪気がないって分かってても、毎回ダメージを食らうのはつらいんです。

「寂しい」と口に出せたら、どれだけ楽だったか

自分の感情を押し殺して仕事を続けるうちに、「寂しい」って言葉すら忘れかけていました。でも本当は、誰かに話を聞いてほしかったし、弱音も吐きたかった。それができないまま積み重なった夜は、心に澱のように残っていきます。「なんでこんなに苦しいんだろう」って思いながら、誰にも言えずにただ過ぎていく夜。その繰り返しが続くと、自分が自分じゃなくなっていくような錯覚すらします。

結婚してたら違ったのかな…って考えてしまう夜

結婚がすべてじゃないとは思ってます。でも、もし隣に誰かいてくれたら、この気持ちは少しは和らいだのかなって、ふと考えてしまう。誰かが「お疲れさま」って言ってくれるだけで、どれだけ救われただろうと。それは幻想かもしれないし、現実はもっと大変かもしれない。でも、ひとりで抱える今よりは、少しだけ暖かいのかもしれない、なんてね。

でも家に帰っても静かだったら、それはそれで苦しい

家に帰っても誰もいない。それが気楽なときもあります。でも疲れて帰ってきた日、部屋がシンと静まり返っていると、まるで自分の存在がこの世から消えてしまったかのような気がしてしまいます。テレビをつけても、その音すら虚しく感じる夜。だからといって誰かと暮らす覚悟もなく、結局はこのままなのかと諦めの境地に入ってしまう。でも本音を言えば、誰かに「おかえり」と言ってほしかった。

仕事の電話しか鳴らない携帯に愛着なんて湧かない

スマホを見ても通知はLINE WORKSかクライアントの電話ばかり。土日でも案件の催促。友達とのやり取りなんて、もうどれだけしてないか思い出せないくらい。携帯って本来は繋がりを生む道具のはずなのに、今や完全に「仕事の鈴」みたいになってしまっている。着信音が鳴るたびに、ちょっとしたストレスを感じてしまう。自分のプライベートはどこへ行ったのか、もう分からない。

事務員さんの前でも「疲れた」と言えない理由

うちの事務員さんは本当に良い人です。よく気がつくし、真面目に仕事してくれる。でもだからこそ、自分の弱さを見せたくない。所長が「疲れた」なんて言ったら、不安にさせるだけかもしれない。そんな気遣いが邪魔をして、結局は自分の本音を隠してしまう。優しさと責任感って、ときに自分の首を締めるんですよね。気を遣ってるつもりが、逆に孤立を深めている気がします。

立場のせいで、人間らしさを隠してしまう

責任ある立場にあると、常に「しっかりしなきゃ」って気が抜けない。でも、こっちだって感情のある人間です。本当は泣きたい日もあるし、投げ出したい日だってある。でもそれを表に出せないから、どんどん自分の心を後回しにしてしまう。結果として、自分で自分を壊すサイクルに入ってしまうんですよね。だから最近は、意識的に「疲れた」と呟くようにしています。誰かにじゃなく、自分に。

優しさと気遣いが、むしろ自分を追い詰める瞬間

人に優しくしよう、気を遣おう。そう思えば思うほど、自分の感情を押し殺すようになります。相手の気持ちばかり考えて、自分の感情に鈍感になっていく。ある日、急に爆発しそうになるまで、それに気づかないんです。「俺、何やってるんだろう」って、ふと我に返る瞬間が怖い。優しさって、使い方を間違えると、自分を押しつぶす刃にもなるんだと思います。

それでも、明日はまた誰かのために働いてしまう

こんなに愚痴ばかりこぼしても、結局翌朝にはまた机に向かって仕事をしている。誰かの手続きがうまくいったときの安心した顔を見ると、「まあ、今日も頑張るか」と思えてしまうのが不思議です。報われないことの方が多いかもしれないけど、たまにふと、あたたかいものに触れた気がする。それが、この仕事をやめられない理由なのかもしれません。

「ありがとう」が救いになることもある

ときどき、依頼者からの「本当に助かりました」「先生にお願いしてよかった」の一言に、涙が出そうになることがあります。普段どれだけ報われないと感じていても、その一言だけで、全部が救われる気がするんです。不思議ですよね、たった五文字で心の澱が洗い流される瞬間があるんです。それを支えに、また頑張ろうと思える。そんな繰り返しで、なんとかやってこれました。

この夜を越えたら、また少し強くなれる気がする

誰にも理解されないと感じる夜を、何度も何度も越えてきました。そのたびに、自分はちょっとだけ強くなったような気もします。強くなるって、たぶん「傷ついても動けるようになること」なんだと思います。完璧にならなくていい。泣いたっていい。でも、また明日、自分の席に戻ってこられれば、それだけで立派な強さだと思っています。

司法書士としてではなく、人間としての居場所を探して

これからもきっと孤独な夜は続くと思います。でもその中でも、「誰かと共鳴できる瞬間」があれば、生きていける。司法書士という肩書きだけじゃなく、人間としての自分を受け入れてくれる居場所を、少しずつでも探していきたいと思っています。たとえ誰にも理解されないと思っても、自分だけは自分を認めてやらないと、やってられませんからね。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。