書類に埋もれた午後、なぜか涙がこぼれた日
仕事中、ふと込み上げてくる涙の理由
誰にも言えないけれど、午後の光が差し込む事務所で、不意に涙が出そうになることがある。特別に辛いことがあったわけでもなく、ただただ溜まった疲れや孤独、どうにもできない無力感のようなものが、じわじわと心を占めてくる。45歳、地方で司法書士をやっていて、忙しくしているはずなのに、どこかぽっかりと穴が空いている感覚。それはたいてい、静かなタイミングでやってくる。
案件が片付いても、心は晴れない
たとえば登記が無事に終わって、依頼人も満足して帰ったあと。ようやく一息つけると思ったはずなのに、胸の中は空っぽだったりする。書類の束を前にして、「これで良かったのか?」と自問する。達成感があっても、喜びというよりは安堵。それも一瞬で、次の案件に頭を切り替えなければならない。まるで感情が追いつかないまま、次の波にのまれていくような感覚だ。
登記完了の印鑑を押しながら、なぜか虚しさが
印鑑を押すたびに、「これで一区切りだ」と感じるはずなのに、その瞬間に心が沈んでしまう日がある。依頼人にとってはゴールでも、こちらにとっては通過点。毎日のルーティンに組み込まれた“完了”が、かえって虚しさを強調する。昔は、もっとひとつひとつの達成に喜びを感じていた気がする。年齢のせいか、仕事への慣れのせいか、それとも心が鈍くなってしまったのか。
「達成感」と「空虚感」は紙一重
不思議なことに、うまくいけばいくほど、心がポカンとすることがある。「やった!」という気持ちと、「終わった…それだけか」という気持ちが共存する。これは司法書士という仕事が「誰かの裏方」に徹しているからだろうか。主役にはなれないけれど、責任は重い。表彰されることもなければ、ほめられることも稀。そんな日々の中で、自分の存在意義を見失いそうになる。
誰にも見られたくない涙のタイミング
泣きたいと思って泣けるなら、どれだけ楽だろう。けれど現実は、ふとした瞬間にこぼれそうになるから厄介だ。特に、自分の感情に蓋をしている時間が長くなると、それは突然やってくる。涙をこらえたまま、依頼人の前では笑顔を保ち、電話に出るときは明るい声を出す。その裏側では、心のバランスを必死で保っているのだ。
昼休みの車の中が一番危ない
たいてい涙が出そうになるのは、誰にも見られない「車の中」だ。昼休み、少しだけ外に出て、車の中でラジオをつけて、ぼんやりしていると、不意に涙が浮かぶ。ラジオのパーソナリティの何気ない言葉や、懐かしい音楽が引き金になることもある。誰かの優しい声に、自分の疲れや孤独が反応してしまうのかもしれない。
「少し眠るだけ」と言いながら泣いてる日もある
「ちょっと横になるだけ」と言い訳して目を閉じると、なぜか涙が頬をつたう日がある。眠いわけじゃない。休みたいだけでもない。ただ、感情が静かに溢れてくる。事務所では見せられないこの顔を、誰にも見られずに済む場所。それが、車の中なのだ。司法書士という“堅い”肩書きの下で、案外ぼろぼろの感情を隠して生きている。
そもそも、何に疲れているのか
疲れの正体がはっきりわかれば、対処もしやすい。けれど実際は、心身の境界が曖昧になって、ただ「なんとなくしんどい」が蓄積されていく。仕事の忙しさだけでなく、人間関係、責任、孤独。いろんな小さな“しんどさ”が積もり積もって、ある日ぽろっと涙になる。
案件そのものより、「人の感情」に振り回される
司法書士の仕事は、書類だけを見ているようで、実は“人の感情”と密接に関わっている。遺産相続、離婚、不動産売買…そこには必ず、人の葛藤がついてまわる。依頼人の怒りや不安を受け止めながら、それを手続きに変換する。まるで翻訳機のような役割に、いつしか心がすり減っていく。
依頼人の怒り、焦り、不信感…全部受け止めてしまう
「こんなはずじゃなかった」「本当にこれで大丈夫ですか?」と投げかけられる言葉の裏には、感情が渦巻いている。それを表に出さず、冷静に対応するのが司法書士の仕事だと思っているけれど、実際にはこちらも傷つく。ときには、「なんで私が怒られなきゃならないんだ」と思うこともある。でも、それを顔に出せる仕事ではない。
割に合わないと感じる瞬間
長時間かけて準備し、きっちり仕事を終えても、「思ったより報酬が低かったですね」と言われたときの虚しさは、言葉にできない。労力に見合わないと感じることもあるし、感謝されるどころかクレームになったりもする。それでも、自分の正しさを信じて黙々と続けるしかない日々。そういう積み重ねが、知らぬ間に心を蝕んでいく。
感謝されない仕事の積み重ね
司法書士の仕事は、問題が起こらないのが“成功”とされる仕事。つまり、うまくやればやるほど、「何もなかった」ことになる。逆に、少しでもミスがあると責められる。そんなプレッシャーの中で働くうちに、「誰かに褒められたい」と思うことすらなくなっていく。
終わって当たり前、間違えたら責められる
どれだけ丁寧にやっても、「普通でしょ?」と言われてしまう仕事。だからこそ、失敗したときのダメージが大きい。人はミスに敏感で、正確さには鈍感だ。だから、どれだけ真面目にやっていても、自信を持ちづらい。自分の価値を測るものさしが、どこにも見つからなくなる。
だからこそ、小さな「ありがとう」が刺さる
そんな中でも、たまに聞こえる「助かりました」「本当にありがとうございます」の一言は、思いのほか心にしみる。たった一言で、もう少し頑張ろうと思える自分がいる。感情を出せない職業だけれど、人の言葉には弱い。泣きたくなるのは、もしかしたら、そういう優しさを受け取ったときかもしれない。
せめてラジオが心の支えだった話
静寂の中で仕事をするということ
司法書士という仕事は、黙々とひとりで進める作業が多い。書類作成にしても、調査にしても、基本的には一人きりの空間でパソコンに向き合っている。事務員はいるけれど、業務上のやりとり以外の会話はあまりなく、気づけば誰とも言葉を交わさないまま一日が終わることもある。そんな毎日が続くと、静けさが重くのしかかってくるように感じることがある。孤独というのは、音のない時間と密接に結びついているのだと気づかされる瞬間だった。
無音の時間に押しつぶされる感覚
朝から夕方まで、ずっとキーボードを打つ音とプリンターの稼働音しか聞こえない。お客様との電話が入るまでの数時間、外の車の音さえも遠く、まるで世界から切り離されたような気持ちになる。そんな中でふと、昔のことを思い出した。まだ独立する前、誰かがそばにいて、雑談が飛び交っていた事務所のざわざわした空気。それがどれだけ心のバランスを保ってくれていたのか、今になってわかる。静寂は集中のための武器であると同時に、心を蝕む毒にもなる。
誰にも話せないまま積もるもの
仕事の悩みや不安を話せる相手がいないと、それは静かに心に積もっていく。別に大きな悩みではない。でも、「この登記、これで本当に大丈夫かな」とか、「最近依頼が減ってきたような…」という不安は、誰かに一言こぼせるだけで少し軽くなる。でもそれができない。事務員に相談しても、返ってくるのは事務的な返事だけ。それも無理はない。相手は仲間ではなく雇用関係にあるスタッフだ。だから結局、心の中に閉じ込める。それが続くと、心はだんだんと重くなっていった。
自分だけが取り残された気分になる日
ある日、ふと時計を見るともう夕方だった。外は薄暗くなっていて、事務員もすでに帰宅。事務所には自分だけが残されていた。そのとき、ものすごい孤独感に襲われた。「このまま、誰にも気づかれずに倒れても気づかれないんじゃないか」と、そんなことまで考えてしまった。忙しさと責任の重さで、気持ちが追い詰められていたのだと思う。何の音もしない空間で、心が音を求めていたのかもしれない。だからこそ、ラジオとの出会いが自分にとってどれほど大きな意味を持ったか、今でも忘れられない。
ラジオとの出会いとその救い
ある日、たまたま実家から持ってきた古いラジオを机の上に置いた。電源を入れると、ちょうど深夜番組の再放送が流れていた。知らない声が事務所に響く。誰かがしゃべっている、それだけのことなのに、不思議な安心感に包まれた。テレビではなく、スマホでもなく、ラジオというアナログな媒体が、こんなにも心に届くとは思っていなかった。以来、仕事中は必ずラジオをつけるようになった。
たまたまつけた深夜放送
夜、書類の確認作業が長引いてしまい、気分転換のつもりでラジオをつけた。そのとき流れていたのが、ある芸人の深夜トーク番組だった。内容はくだらない雑談。でも、その“くだらなさ”が、心に沁みた。「ああ、世の中にはまだこんなにどうでもいい話をしてる人がいるんだ」と思えただけで、少し笑えた。誰かの話をただ聞くだけで、孤独が少しだけほぐれていく。言葉というのは、やはり偉大だと思った。
パーソナリティの声が心に染みた理由
毎週同じ声が流れてくると、それがまるで旧友のように感じられる。パーソナリティがたとえ有名人でなくても、話し方や笑い方が心に引っかかってくる。「今日はこんなことがあってね」と言われると、自分も「俺もさあ…」と返したくなるような気持ちになる。実際には会話していないけれど、そこには一方通行でない“つながり”が確かにある。それが、どれほど支えになるか。人は本当に、声に救われることがある。
人の話を聞くだけで癒されるという発見
無理に誰かと話そうとしなくても、誰かの話を聞くだけで気持ちが整うことがある。ラジオの魅力は、受け身でいいところ。こちらが元気でなくても、笑ってなくても、向こうから勝手に語りかけてくれる。疲れているときは、それがちょうどいい。誰かと関わりたいわけじゃないけど、誰かの気配は感じていたい。そんなわがままな感情を、ラジオは満たしてくれる。気がつけば、それが毎日の習慣になっていた。
仕事中の相棒としてのラジオ
今では、ラジオは事務所の空気の一部になっている。静かな中に、適度な音がある。ニュース、天気、リスナーからのメール、パーソナリティのぼやき。それらが全部、仕事中のBGMとしてちょうどよく混ざり合う。集中しすぎて息が詰まりそうなとき、ふと笑いが入って、気が緩む。それだけで、作業のミスが減ったような気さえする。
登記の書類を作りながら聴く日常
定型的な書類を作成していると、単調な作業になりがちだ。でもラジオがあると、脳が“二重再生”モードになる。手は書類に集中しながら、耳は話に集中している。これは意外と良いバランスで、集中力を持続させてくれる。特に午後の眠くなる時間帯には、ラジオが眠気覚ましになってくれる。司法書士の仕事は細かく、集中を切らすとミスに直結するから、こうした“ながら”の工夫が実は助けになる。
笑い声に救われた日のこと
ある日、どうしても気分が落ち込んでいた。依頼者とのやり取りで気まずいことがあり、自分のミスもあって気持ちが沈んでいた。そんな中、ラジオから思わず吹き出してしまうような話が流れてきた。どうでもいい話だったけれど、その笑い声に乗せられて、自然と笑ってしまった。人は笑うと少し前向きになれる。仕事を続ける気力が戻ってきたのを感じた。
相談できない悩みも、誰かが代弁してくれる
リスナーから届くメールには、意外と自分と似た悩みが書かれていることがある。「上司と合わない」「生活が苦しい」「仕事に自信が持てない」…そんな声に、パーソナリティが応えているのを聞いていると、自分のことのように感じる。自分はメールを送らなくても、誰かが代わりに聞いてもらっているような感覚。それがどれほど心を軽くしてくれるか。話さなくても、聞くだけで救われる瞬間がある。
もしラジオがなかったら
今思えば、ラジオがなければもっと気持ちが沈んでいたと思う。事務所の中は静かすぎて、孤独と不安が募るばかりだっただろう。テレビをつけると画面が気になって集中できない。スマホは通知で気が散る。ラジオは、仕事の邪魔をせずに、心を支えてくれるちょうどいい存在だった。
不安と焦りに飲まれていたかもしれない
独立してから数年、毎日が不安との闘いだった。仕事が減っていないか、ミスをしていないか、顧客からの信頼を失っていないか。そんな焦りに毎日追われていた。でもラジオを聴くことで、少しだけその焦りを忘れることができた。「今日も頑張った」と思えるようになったのは、仕事が順調だからではなく、心のバランスを保てるようになったからだと思う。
小さな支えが大きな支えになるということ
ラジオのような“小さな支え”が、実は生活の中でとても大きな意味を持つことがある。派手な成功や、大きなご褒美がなくても、毎日を乗り切れるようにしてくれるのは、そういった些細な安心感だったりする。司法書士という孤独な仕事だからこそ、そんな小さな存在のありがたさを痛感する。今日も事務所には、あの優しい声が流れている。