フリーズしたのはパソコンじゃなく、俺の限界だった

フリーズしたのはパソコンじゃなく、俺の限界だった

朝一でパソコンが固まった日が一番しんどい

出勤して、コーヒーを一口。さあ今日も始めようとPCを立ち上げて、まずはメールを確認しようとOutlookを開いた、その瞬間――画面が固まった。何も動かない。マウスカーソルもピクリともしない。こういう時、普通の人は「まぁ仕方ないな」と思って再起動するのかもしれない。でも僕は違う。画面がフリーズした瞬間に、心の中が崩れ落ちる。「今日も無理かもしれない」って。たかが一時のフリーズに、ここまでメンタルがやられる自分に自己嫌悪すら湧く。

操作不能の画面より、何もできない自分にイライラする

画面が真っ白になったまま数分が経過。最初は待とうとしていた。でも何も変わらない。思わず拳を机に打ちつけたくなる。けれどそんな元気もない。イライラして、情けなくて、自己嫌悪でぐるぐるする。この状態、例えるならば…渋滞中の高速道路で、Uターンもできず、ただ車内で汗をかきながら停滞している感覚に似ている。進まないことに怒ってるんじゃない。進めない自分に腹が立っているんだ。

「あーもう!」と声が出た瞬間に全てが止まる

フリーズした画面を前にして、思わず漏れる独り言。「あーもう!」この一言に、自分の限界が詰まっている気がする。僕は独り身だから、誰かにあたるわけにもいかない。事務員さんの前では平静を装う。だけど内心は大爆発してる。「なんで今!」「保存してないのに!」…この怒りと焦りが混じった瞬間、もう何も考えられなくなる。まさに“思考のフリーズ”だ。

再起動する気力すら湧かない朝

再起動って、手間じゃない。でも、メンタルがやられている時って、その「クリックする」という行為さえ面倒になる。ボタンを押す、そのひと手間がしんどい。朝一でこれじゃ、もう今日はダメだなって予感がしてしまう。実際、こういう日は仕事のペースが戻らない。タイミングを一度崩されると、ズルズル引きずってしまう。それがわかってるから、余計に辛い。

書類の未保存、あの絶望感は何回経験しても慣れない

「ちゃんと保存しておけばよかった」って後悔するのに、何度も同じミスを繰り返す。事件記録の入力や登記申請書の作成中にフリーズされると、もう目の前が真っ暗になる。特に締切直前だったりすると、絶望の度合いが倍増する。紙で下書きしていた時代が懐かしい。デジタルは便利だけど、精神へのダメージがでかすぎる。

やり直しの時間より心のダメージがでかい

正直、書類自体は1時間もあればやり直せる。でも問題は、やる気が完全に削がれてしまうことだ。「あの完璧だった文面はもう二度と書けない」という思い込みが頭を支配する。事実かどうかじゃない。感情の問題なのだ。冷静になれば対処できる。でもその「冷静さ」って、失った直後には取り戻せない。

バックアップの設定、してたはずなのに見つからない

「自動保存してるはず」と思っていたファイルが、なぜか最新じゃない。何か設定がズレていたのか、同期のタイミングが悪かったのか…そういう“謎の喪失”にまた心が削れる。パソコンへの信頼と、自分の記憶への信頼が同時に崩壊する。もう一度打ち直す気力なんて、すぐには湧かない。

たったひとつのミスで崩れ出す1日

朝の一つのミスが、その日の仕事全体を狂わせる。これ、パソコンが固まった日に限らない。例えば鍵を忘れて取りに戻ったとか、電車が遅れたとか、そういう「小さな崩れ」が一気に大きな崩壊につながる。年を重ねるごとに、こういう“修正の効かなさ”が身に沁みてくる。

「効率よくやろう」と思った日に限って全部裏目

今日はスムーズに終わらせて、早く帰ろう。そういう日に限って、電話が鳴り止まず、来客が重なり、そして極めつけはパソコンのフリーズ。なんなんだこれは。まるで運命に試されているような気分だ。こういう日はもう、自分に何を期待しても無駄だと悟る。

固まるパソコン、鳴りやまない電話、増える来客

そんな日に限って、電話が連続で鳴る。内容は急ぎじゃないのに、対応せざるを得ない。来客も重なる。不動産会社の営業、急な相談者、飛び込みの挨拶…。肝心の作業が全然進まない。まるで誰かが「今日はやるな」と言っているようにさえ感じる。

事務員さんの「大丈夫ですか?」が一番効く

フリーズして、ため息をついている僕に、事務員さんが「大丈夫ですか?」と声をかけてくれる。その優しさが染みる。けど、同時に自分の不甲斐なさが浮き彫りになる。「情けないなあ」と思う。でも、その一言があるだけで、少しだけ持ちこたえられる気もする。

優しさに救われるけど、情けなさで余計つらい

彼女の言葉は優しい。でも、その優しさを必要としている自分に気づいて、余計に落ち込む。「俺、ここまで弱ってたのか…」って。昔はもっと強かった気がする。何でも一人でこなしてた。でも、今は違う。小さなきっかけで崩れてしまう自分を、どうしても受け入れられない。

それでも、また電源を入れる自分がいる

どんなに心が折れても、次の日もまた電源を入れる。それは習慣かもしれないし、意地かもしれない。司法書士の仕事って、逃げ出せない。でも逆に、それが自分を保たせている部分もある。「止まっても、また起動する」。それが、今の僕の生き方なのかもしれない。

一回休んだら、意外となんとかなる

不思議なもので、強制的に休憩を入れると、案外リフレッシュできる。外の空気を吸ってコーヒーを飲んで、頭を冷やすと「さっきまでの絶望は何だったんだろう」って思える。感情って、意外と単純だ。ただ、その「一回休む」を自分に許せるまでが一番難しい。

強制終了じゃなく、強制休憩も必要だった

フリーズした時、パソコンを強制終了するように、自分の心も「強制休憩」させるべきなのかもしれない。「休んじゃダメだ」と思うことが、実は一番の無駄だった。余裕がない時こそ、手を止める勇気が要る。僕ら司法書士には、それが一番足りない。

心もメモリも、限界前にリセットする習慣を

パソコンだって、メモリがパンパンになると止まる。人間も同じだ。心のキャパを超える前に、どこかでリセットしないと、動かなくなる。たまに深呼吸して、何も考えない時間を作る。それだけでだいぶ違う。メモリ不足でフリーズする前に、自分に余白を持たせておきたい。

頑張りすぎない技術も司法書士には必要

司法書士って「真面目で丁寧」がウリだけど、それが裏目に出ることもある。頑張りすぎて潰れてしまうより、少し手を抜く勇気を持った方が、長く続けられる。自分を壊さないために、敢えて「不真面目」な部分を残すのも、立派な仕事術だと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。