依頼人が神対応すぎて泣いた話

依頼人が神対応すぎて泣いた話

忙しさの中で忘れていた「ありがとう」の重み

司法書士の仕事というのは、基本的に感謝されにくい。登記をしても、書類を作成しても、それが当然だと思われがちだ。誰かの「ありがとう」が欲しくてやっているわけではないが、ふとした瞬間に「自分のやっていることって、意味あるのかな」と思ってしまう。特に、こっちは夜遅くまで残業して、やっと処理が終わっても、翌朝には次の案件の山。そんな日々の中で、心が擦り切れていくのを感じていた。

毎日同じような書類とにらめっこ

午前9時、PCを立ち上げ、前日とほぼ同じフォーマットの書類を開く。登記簿、委任状、印鑑証明書…。目を通す文書もルーチンワーク化しており、正直、やっていて気持ちが動かない。書類の内容も似たり寄ったりで、まるで自分がコピー機になったかのような錯覚に陥る。

機械的な処理に感じる虚しさ

「これでいいのかな」そんな気持ちになることがある。依頼人と接する時間も、電話やメールで済んでしまうことが多い。対面で丁寧に話すことは少なく、気がつけば、ただの書類屋になっている。人間味のないやり取りの中で、自分の存在意義がどこにあるのか、見失っていた。

笑顔も言葉も届かない日々

事務員もいるが、忙しさに追われて会話は最小限。笑顔で接しても、それが届いているのかも分からない。ましてや、依頼人から感謝の言葉をもらうことなど稀だ。そんな状況が続くと、「俺って、必要とされてるのか?」と、自問自答する時間ばかりが増えていった。

ある日突然届いた一通の手紙

そんなある日、事務所に一通の封書が届いた。差出人は、2ヶ月前に相続登記の手続きを終えた依頼人。正直、印象に残っていなかった案件だった。「何かの訂正依頼か…?」と身構えつつ封を開けた瞬間、思わず目が止まった。そこには、丁寧な手書きの感謝の言葉が綴られていた。

手書きの文字にこもった気持ち

「大切な父の家を手放すことになり、不安でした。でも、先生のご対応が本当にありがたかったです。」そう綴られていた。その一文で、胸が詰まった。業務の一つとして淡々とこなしていた相続登記。でも、依頼人にとっては人生の節目だったのだ。

「先生のおかげです」の一言が刺さる

「先生のおかげで安心できました」と結ばれた言葉に、涙がにじんだ。今まで、「おかげで」と言われることが少なかった分、その一言が心にしみた。人から感謝されるというのは、こんなにも嬉しく、こんなにも救われるものなんだと、改めて実感した。

依頼人の一言に救われたあの日

それはちょうど、疲労とストレスで「もう辞めようかな」と本気で考えていたタイミングだった。そんな心のスキマにすっと入ってきた、依頼人の手紙。あの日のことを思い出すたび、「もう少しだけ、頑張ってみるか」と背中を押される。

登記が終わっただけなのに涙ぐむ依頼人

手紙をくれた依頼人が、登記完了の報告に来所された日。簡単な説明のあと、「本当にありがとうございました」と言いながら目に涙を浮かべていた。その姿を見て、「ああ、自分がやっていることにも意味があったんだ」と初めて腑に落ちた。

「誰もやってくれなかったことを、やってくれた」

その方は、いくつかの他の事務所に断られた後、うちにたどり着いたそうだ。難しい事情が絡む案件だったが、正直「面倒だな」と思いながらもやっただけだった。でも、その「面倒なこと」に丁寧に向き合ったことで、誰かの心が救われたのだと知った。

こちらこそ助けられていたと気づく瞬間

ありがとうと言われたのはこっちのはずなのに、気がつけば自分の方が救われていた。依頼人にとっては一つの登記でも、それが人生に与える影響は大きい。こちらの気持ち一つで、その人の不安を取り除くことができる。そのことを教えてくれた神対応だった。

孤独と向き合う職業の中で

司法書士は、表に出る仕事ではない。相談はあるが、基本的に裏方だ。孤独な作業が多く、人に感謝される機会も多くはない。でも、だからこそ、たまに差し込む「人の温もり」が刺さるのかもしれない。

事務所に響くのはキーボードの音だけ

夕方、ふと耳を澄ませると、聞こえるのは自分と事務員のキーボードの音だけ。無音の中、どこか寂しさがつきまとう。会話の少ない日には、「これ、ずっと続けていて大丈夫か?」と不安になる。

誰にも相談できない重圧と責任

登記の不備は即トラブルになる。たとえ依頼人の情報に誤りがあっても、責任を問われるのはこちら。そんなプレッシャーを抱えながら、誰にも弱音を吐けないまま業務をこなす日々に、限界を感じることもある。

「自分は役に立っているのか」という問い

目の前の書類に向き合いながら、ふと浮かぶのは「自分って、世の中の役に立ってるのか?」という思い。でも、依頼人の神対応に触れたとき、その問いにひとつの答えが返ってきた。「誰かの安心のために、あなたがいてくれてよかった」――そんな気持ちだった。

神対応の裏側にある依頼人の優しさ

あの手紙や言葉の一つひとつは、たぶん、依頼人にとっては当たり前の感謝の表現だったのかもしれない。でも、こちらからすれば、それはまるでご褒美のようなものだった。疲れ切った心に、温かい毛布のように染み込んできた。

逆にこちらが励まされるパターンもある

こちらが支える立場なのに、気づけば支えられている。仕事って、そういうものかもしれない。たとえ疲れていても、誰かのために動いたその先に、また自分が報われる瞬間がある。それがあるから、もう少しだけ踏ん張れる。

人の優しさに慣れていない自分

正直、人から優しくされると戸惑ってしまう。特に、依頼人からの言葉や態度には、どう返せばいいか分からなくなることが多い。でも、それは自分がそれだけ人の優しさに飢えていたからかもしれない。

もしかして、自分が一番救われていたのかも

「依頼人が神対応だった」――そう思っていたけれど、本当は自分がその優しさに救われていたのだろう。誰かのために動いた先に、優しさが返ってくる。そう信じられるだけで、また明日も頑張ろうと思える。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。