気づけば、ずっと「頼られる側」ばかりだった
この仕事を始めて20年以上。気がつけば、ずっと「頼られる側」として生きてきた気がします。依頼人からの相談、同業者からの質問、時には友人の離婚問題まで。肩書きが「司法書士」だというだけで、何かと頼られる。もちろんそれが嫌なわけじゃないし、信頼されるのはありがたいこと。でも、頼られるばかりだと、ふと「自分は誰に頼ればいいんだろう」と思ってしまう夜もあるんです。
司法書士って「しっかりしてる人」だと思われがち
「先生」なんて呼ばれる職業は、世間から「しっかりしてる」「冷静」「間違いがない」といったイメージを持たれがちです。けれど現実は、人並みに不安もあるし、落ち込むこともある。ただ、感情を出せば「頼りない」と思われるかもしれないという恐怖が先に立ってしまい、結局は「平気なフリ」で過ごす日々。自分を守る鎧が、だんだん重くなってきました。
頼られることに慣れてしまうと、頼るのが下手になる
長く人に頼られると、自分が「頼る」という行為に対して鈍くなってしまうようです。「こんなことで頼ってもいいのか?」「迷惑なんじゃないか?」と頭で考えすぎてしまう。昔、腰を痛めて動けなかったときも、救急車を呼ぶのをためらって、1時間も床で悶絶してましたからね。あのとき、「誰かに甘える」ことができていたら、たぶんもう少し楽だったんでしょうけど。
甘えたい気持ちにフタをしてしまう理由
「人に甘えたい」と思うことは、弱さではなく自然な感情。そうわかっているのに、どうしてもそれを押し込めてしまうのは、きっと自分の中にある「こうあるべき」という固定観念のせいなんでしょう。誰かに手伝ってもらうより、自分でやったほうが早い。誰かに頼ったら、負担をかけてしまう。そんな思考が染みついて、甘えることが「面倒なこと」として処理されてしまっている自分がいます。
「自分でやったほうが早い」という罠
事務所の郵便物の仕分け、スケジュール調整、果ては電球の交換まで。「自分でやったほうが早い」と思って動いてしまうのがクセになっています。でもそれ、長い目で見ると損してることが多いんですよね。事務員さんに任せてもいい仕事まで自分で抱え込み、時間も体力も削られて、結果的にミスも増える。「早い」ことが「良い」とは限らない。そんな当たり前を忘れてました。
つい「説明するのも面倒」となってしまう
「お願いするくらいなら自分でやったほうが…」というのは、まさに“あるある”です。頼みごとって、意外とエネルギー使うんですよね。「この人はどう思うだろう」「引き受けてくれるかな」「説明うまく伝わるかな」なんて考えてたら、気疲れしてしまって、結局「もういいや、自分でやろう」になってしまう。そうやって人との距離がどんどんできて、甘え下手な自分が育っていく。
優しさを見せると、仕事が増える世界
司法書士業界って、優しい人ほど損しやすいというか…変な話ですが、そう感じる場面が多いです。少しでも親身になって接すると、「あの先生ならなんでも聞いてくれる」と思われてしまって、つい業務外の相談や雑談まで持ち込まれる。相手は悪気がない分、断ると角が立つ。優しさを出すと、どんどん巻き込まれていく。だから「甘えられる側」になるのは簡単だけど、「甘える側」になるのは難しい。
お願いされたら断れない性格もつらい
僕は昔から「断る」のが苦手です。「先生、ちょっといいですか?」と言われると、もう条件反射で「はい」って答えてしまう。内心「今日こそ早く帰りたい」って思ってても、「いいですよ」って言ってしまうんです。たぶん、いい人に思われたいんでしょうね。でも、それで自分の心が削られてることに気づくのは、いつも夜遅く、誰もいない事務所で一人コーヒーを飲んでるときなんです。
たった一人の事務員さんにも気を遣ってしまう
うちの事務所は小さいので、スタッフは一人。とてもよくやってくれているし、信頼もしています。ただ、「彼女に甘える」というのも、また難しい話です。やっぱり雇っている側という意識があるし、あまり個人的な話を持ち込むのもどうかと思ってしまう。彼女の仕事が円滑に進むように気を遣う毎日で、結局は「誰にも甘えられない自分」がまた出来上がっていくんです。
彼女にも無理をさせたくない気持ち
事務員さんには、無理をさせたくないという気持ちが強くあります。少しでも「これは大変そうだな」と思った仕事は、なるべく自分が処理するようにしてしまう。そのせいで、自分の仕事が後ろに回ってしまうこともしばしば。気を遣いすぎて、気づけば自分がヘトヘト。でも、「無理させたくない」という想いがあるから、どうしても頼れない。優しさが自分を追い詰めているのかもしれません。
「経営者」としての孤独と責任感
やっぱり「経営者」って、表に出せない孤独があります。何か問題があっても、誰のせいにもできないし、最後に判断するのは自分。ミスが出れば、謝るのも、自腹を切るのも自分。人に相談するより「自分で抱えて解決するほうが早い」と思ってしまう。そしてまた、誰にも甘えられない自分が出来上がっていく。そんな繰り返しです。
「誰かに甘えたい」という感情を持つことへの罪悪感
正直、誰かに甘えたいと思うことはあります。でもその気持ちが出てきた瞬間に、「それって甘えすぎじゃない?」「自分が弱い証拠だよな」と、自分を責めてしまうクセがあるんです。大人になればなるほど、社会的な役割が増えて、自分の感情に素直になることが難しくなる。でも、それを押し殺し続けると、どこかで壊れてしまう気もしていて。最近は少しずつ、そういう感情とも向き合うようにしています。