会話のない日が当たり前になった

会話のない日が当たり前になった

気づけば「おはよう」を言わない朝が増えていた

朝、玄関を出て事務所へ向かう。いつからだろう、「おはよう」と声に出すことがなくなったのは。事務所には事務員がひとりいるけれど、お互い業務が忙しいと、会話も最低限になる。別に仲が悪いわけじゃない。必要なことは伝える。でも、それ以外の言葉が減っているのだ。無言のままパソコンの前に座り、書類とにらめっこ。そんな朝が、当たり前になっていた。

事務所に誰も来ない午前中の静けさ

田舎の司法書士事務所というのは、来客が途切れることも多い。午前中は特にそうだ。電話も鳴らない。ドアも開かない。コーヒーの湯気が静かに立ち上るだけで、外の車の音さえ遠く感じる。ラジオでも流せばいいのかもしれないけれど、何となく無音に慣れてしまっている。気づけば今日も誰とも話していない。声の出し方を忘れてしまいそうになる。

ラジオの音だけが鳴っている

そんな無音に耐えきれず、たまにラジオをつける。FMのパーソナリティの明るい声が流れてくると、なんだか別世界にいるような気になる。自分の生活とは違うリズム。違う温度。ラジオがしゃべっているのに、自分の声は出ない。言葉を交わす相手がいないというのは、こんなに心を鈍くするものなのかと、ふと怖くなる。

コンビニでさえ声を出さなかった日

仕事帰り、コンビニで夕食を買う。レジで「袋いりますか?」と聞かれて、首を横に振るだけの日もある。声を出せば済むのに、そのひと言が重たい。人と接することを億劫に感じる自分に、内心驚いている。「あれ、俺ってこんなに無口だったっけ?」。自問しながら、温められた弁当を持って帰る。電子レンジの音だけが、自分の生活音になっている。

レジの「温めますか?」にすら救われる

ある日、若い店員さんが「温めますか?」と、少し笑顔で聞いてくれたことがあった。普段なら「はい」と短く答えるところを、「お願いします」と、いつもより少し丁寧に言ってみた。それだけで、なんとなく嬉しくなってしまった。こんなことで心が温まるなんて、どれだけ会話に飢えていたのか。自分の生活が乾いていることを思い知らされる。

会話が減ったのは仕事のせい?自分のせい?

昔はもっと人と話すのが好きだった。大学時代は、合コンだって行ったし、雑談の中から生まれる縁も多かった。司法書士になってからは、仕事に追われる日々が続いた。誰かと話す時間が「無駄」だと感じてしまうくらい、余裕がなかった。でも、それって本当に自分が望んでいた働き方だったのか。ふと立ち止まると、自分の心の音がまったく聞こえない。

業務効率化の裏側で失ったもの

メール、チャット、クラウドサイン。どんどん便利になっていく仕事の道具は、会話の余地を奪っていった。昔は「この書類、間違ってないか一緒に確認してもらえますか?」と話していたことも、今はPDFを送って終わり。相手からの返信も「OKです」の一言。必要最小限のやり取りは効率的だ。でも、その裏で小さな会話が消えていったのだ。

チャットとメールがすべてを置き換えた

便利なツールに慣れすぎると、逆に不便なことに不安を感じるようになる。「電話で説明してください」と言われると、少し身構えてしまう。うまく説明できるかな、ちゃんと声が出るかなと。それはもう、単なる業務スキルではなく、対人能力としての衰えだ。司法書士として書類は扱えても、人との関係はどんどん希薄になっている。

依頼人とも淡々とやり取りするだけの日々

登記の依頼や相続の相談。内容は人の人生そのものなのに、やり取りは機械的になることも多い。忙しさを理由に、心を込めた対応を後回しにしてしまうことがある。ふと気づくと、「この人、何が不安なんだろう」と想像する余裕もなくなっていた。自分が事務処理マシンのように感じてしまう瞬間が、一番しんどい。

「雑談」ができない自分に気づく瞬間

以前、ある依頼人に「先生、最近どうですか?」と聞かれて言葉に詰まった。「あ、はい…忙しくて…」と、ありきたりな返事をしたあと、話が続かなかった。話題を広げることができなかった自分に、内心焦った。会話のキャッチボールを忘れてしまっていたのだ。仕事だけじゃない、自分の人間関係もどこかで止まっていた。

独身司法書士の平日、それは無音の積み重ね

家に帰っても、誰もいない。テレビをつける気力もない日は、風呂に入ってそのまま布団に倒れ込む。スマホを開いても通知はない。誰かとつながっている気がしない。40代の独身男性が一人で生きていくというのは、体力以上に心を削るものだ。仕事を終えて、誰とも話さないまま終わる日が、静かに積み重なっていく。

夕飯をつくるのも食べるのも黙って

たまに自炊をしても、食事中にしゃべることはない。テレビに向かって「美味しそう」とも言わないし、笑うこともない。誰かと一緒に食べていた頃が懐かしく思える。昔は鍋を囲んで、「今日こんなことがあってさ」と話していた。今は黙って炒め物をかき込み、食器を片付けて、また黙るだけ。味覚よりも、会話のない空気が寂しさを増幅させる。

テレビの音が「会話」代わりになっていた

無音が苦しい日は、テレビをつけっぱなしにする。芸人の笑い声、ドラマのセリフ、ニュースの実況。どれも本物の会話ではない。でも、人の声があるだけで少し落ち着く。虚しさはあるけれど、それでも音のある夜は、少しだけ心を守ってくれる。自分の声が聞こえない夜よりは、ずっとマシだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。