誤記修正に怯える夜の習慣

誤記修正に怯える夜の習慣

誤記修正に怯える夜の習慣

司法書士という仕事をしていると、日々の書類の正確さが命取りになる場面が多い。たった一文字の誤記が、登記官からの電話につながり、依頼人との信頼関係を揺るがしかねない。それが怖くて、仕事が終わった後も「あれ、間違ってなかったかな」と気になって仕方がない。夜、布団に入って目を閉じた瞬間に、白黒の登記申請書の行間が頭に浮かんでくる。眠気よりも先に不安がやってきて、結局書類を見返すために布団から出る…そんな習慣が、もう何年も続いている。

眠る前に頭をよぎる「あの書類」

一日の業務が終わり、夕飯を済ませ、ようやく布団に入っても、思い出してしまう。今日提出した登記の物件所在は、本当に町名まで正しかったか?法人登記の代表者住所、番地は全角で統一したか?そんなことを一つずつ確認し直したくなってしまうのだ。チェックリストは使っているし、何度も見直している。それでも、「万が一」が怖くて仕方がない。失敗したときの冷や汗と、依頼人に謝るときの空気が、何度もフラッシュバックしてくる。

「もし間違ってたらどうしよう」が止まらない

他人から見れば、慎重すぎると思われるかもしれない。でもこの仕事、後から「すみません」で済まない場面が多い。訂正のために時間と手間がかかるだけでなく、信頼を失う恐れもある。だから、どうしても「もし間違ってたらどうしよう」が頭から離れない。チェックしたはずの箇所を、再度印刷して確認することもしばしば。夜中に「やっぱり気になる」とパジャマ姿でファイルを開いている自分が、我ながら情けなくなるときもある。

チェックリストを何度も見返す夜

チェックリストは、業務の基本だ。何をどこまで確認したか、漏れはないか。自分なりに工夫を凝らして、チェック欄には日付と印鑑を押すようにしている。それでも、提出後の「大丈夫だったかな」が消えない夜がある。眠れないまま、スマホの明かりでPDFデータを開き、画面をじっと見つめる。たいてい問題ない。それでも「見返す」という行為そのものが、自分の精神安定剤になっているのかもしれない。

司法書士にとっての「ミス」の重み

どんな職業にもミスはつきものだ。でも司法書士という立場になると、ミスが「信頼の喪失」に直結する。大げさに聞こえるかもしれないが、実際に一度の誤記で、以降の依頼をもらえなくなった経験もある。それだけに、確認に確認を重ねるようになった。

一文字の誤りが呼ぶ大混乱

例えば、住所の番地の数字をひとつ間違えたとする。それだけで、登記が通らなかったり、訂正申請が必要になったり、依頼者に再度押印をお願いしなければならなくなる。しかも、その手間や時間はすべてこちら持ち。謝罪の電話をするだけでも精神力を使う。たった一文字。ほんの一瞬のミス。それがこんなにも大ごとになるのかと、自分の中で何度も悔しさと情けなさが交錯する。

登記官の電話に心臓が跳ねる朝

朝、スマホに市外局番の見慣れた番号が表示されたとき、胸がざわつく。「法務局…?」と一気に緊張する。「◯◯の登記の件ですが」と始まるその一言で、昨日の自分の仕事が正しかったか否かが判明する。その瞬間のあの心拍数の上がり方は、慣れることがない。無事に「問題ありませんでした」と言われた日には、思わず深呼吸したくなるほどだ。

訂正印が増えるたび、自信が減っていく

訂正印を押すたびに、「ああ、またやってしまった」と自分への信頼も削られていく。依頼人の目の前で訂正をお願いする場面ほど、肩身の狭いものはない。真摯に謝罪し、迅速に対応することで誠意は伝わる。でもそれでも、「次はないかもしれない」という怖さは残る。だからこそ、夜になると確認したくなる。あの確認は足りていたか?漏れてなかったか?と。

不安と戦うための深夜ルーティン

こんな習慣、やめたいと思いながらも、気づけばもう何年も続いている。睡眠を優先したい。でも、それ以上に「明日の電話が怖い」という感情の方が勝ってしまう。だから、今日もまた確認をしてしまうのだ。

机の上を片づけて気持ちを落ち着ける

寝る前に、ふと立ち上がって事務所の机を片づけることがある。散らかった資料をファイルに戻し、ペンを揃え、カップに残ったコーヒーを洗う。ささやかな片づけで、気持ちも少し整う気がする。混乱したままの空間で朝を迎えるより、ほんの少しでも整えた状態で終えたい。ルーティン化してしまえば、気持ちが楽になる。そんなふうに、夜の不安と自分なりに付き合っている。

あえて紙で確認するアナログな安心感

PDFで見るより、プリントアウトして赤ペンでなぞる方が安心できる。それはもう“癖”になってしまっているのかもしれない。紙の感触、赤でチェックを入れる感覚、蛍光ペンのにじみ。すべてが「確認した」という実感につながる。電子データでは得られない感覚的な「安心」がそこにはある。時代遅れだと思われても、今の自分にはこれが必要な行動なのだ。

「何も起こりませんように」と神頼み

確認を終え、机を拭いて、最後に手を合わせる。「明日、何も起こりませんように」と、つい願ってしまう。神社ではなく、事務所の片隅での“お祈り”。自分でも笑ってしまうけど、それが現実。完全主義ではない。ただ、ミスを怖れる気持ちが強いだけ。夜に不安になるのは、きっと誠実に仕事をしている証だと、少しだけ自分を認めるようにしている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。