補正通知が届いた瞬間の絶望
朝の静けさを破るように鳴るメールの通知音。それが補正通知だったとき、心臓がギュッと縮まるような感覚になります。地方で司法書士をやっている私にとって、補正通知はもはや日常茶飯事ですが、それでも慣れることはありません。特に忙しい時期に届くと、書類の山の中からさらに火種を投げ込まれるような気分になります。「またか……」とつぶやきながらメールを開く手が、いつもより重くなるのです。
メール受信のたびにヒヤッとする習慣
毎朝パソコンを立ち上げて最初に確認するのがメールボックス。補正通知の件名は、見慣れているはずなのに、心拍数を一気に跳ね上げます。「補正のお願い」なんて優しい文面じゃない。事務所の空気が一瞬で凍るような感覚があります。自分が見落としたのか、事務員の入力ミスか、原因を探る前にまず感じるのは、ただただ「うわ……やっちまった」という失望です。
「補正」と書かれている件名を見たときの反応
補正通知の件名を見るたびに、心がざわつきます。「補正」という文字列だけで、全身にじんわりと汗がにじむような…。経験を重ねた今でも、それは変わりません。一度、祝日に確認していなかったメールを開いたら補正通知が3件並んでいて、休日の気分が一瞬で吹き飛んだことがありました。「頼むから一日くらい休ませてくれよ…」と、誰にともなくつぶやいていました。
週明けに来る補正通知の破壊力
週明け月曜日の補正通知ほど精神にくるものはありません。土日でリフレッシュしたつもりでも、その一通のメールで現実に引き戻されます。しかも内容が細かい記載ミスだったりすると、「週末の自分、なにやってたんだよ…」と過去の自分を責めずにはいられません。せっかく立てた一週間の予定が一気に狂ってしまい、ただでさえカツカツのスケジュールが崩壊していきます。
補正内容に込められた登記官の無言の圧
補正通知には、表面上は丁寧な文言が並んでいますが、その裏には登記官の静かな怒りや呆れが滲んでいる気がしてなりません。「ここ、直してください」と書いてあっても、その言葉の奥に「なんでこんな間違えるの?」という無言の圧を感じるのです。だからこそ余計に気が滅入る。指摘内容が的確なだけに、反論もできず、ただ平謝りしながら訂正作業を進めるしかありません。
細かすぎる表現の修正を求められたとき
「この言い回しでは意味が伝わりにくいので…」といった補正理由を見ると、こっちの胃がキリキリしてきます。実際、登記官によってはものすごく細かい表現の違いにこだわる方もいて、そうなると、まるで作文の添削を受けているような気分になります。「これって国語のテストか?」と突っ込みたくなることも正直あります。でも、それが現実。受け入れて直すしかないのです。
なぜこの表現ではダメだったのか自問自答
「こう書いたらわかると思ったのに…」という文言がことごとく補正対象になると、自分の日本語力を疑いたくなります。意味は通じているはず、それなのに通じていない。そんな経験を何度も重ねるうちに、だんだんと書類を書くこと自体が怖くなってくるのです。何度も何度も見直して、「これで大丈夫」と思って提出しても補正されると、もう何を信じていいのかわからなくなります。
補正対応に追われる日常
補正通知が来れば、当然ながら対応しなければいけません。それが1件ならまだしも、2件、3件と重なれば、その日の予定はすべて吹き飛びます。補正作業は時間を食ううえに精神力も削られるため、ただでさえ少ないエネルギーを一気に吸い取られます。事務所の一日は、補正から始まり補正で終わる、そんな日も珍しくありません。
事務員とのギリギリの分担作業
うちの事務所には事務員が一人いますが、補正のたびに「どこまで任せていいのか」に悩みます。彼女が作成した部分のミスなら指摘しなければならないし、自分の見落としなら反省しなければならない。とはいえ、あまり強く言えば雰囲気が悪くなる。小さな事務所だからこそ、空気が重くなると回復にも時間がかかります。
事務員が間違えた?自分の確認不足?
あるとき、住所の番地が一つ抜けていて補正になったことがありました。事務員は「入力ミスでした」と言ったけれど、私も最終確認していたはずなのに見逃していた。責任はどっちだ、というよりも「このチェック体制では回らない」と痛感しました。とはいえ人を増やす余裕はない。結局、自分が二重三重に確認するしかない現実にうんざりしてしまいます。
誰のせいでもない、が自分がやるしかない
たとえ誰のミスでも、補正対応は最終的には司法書士である自分の仕事です。「この修正はあんたじゃないとダメ」と言われることもあります。事務員に任せてミスが出れば「確認不足」として自分の評価に響く。だったら最初から全部自分でやるしかない。でも、そうすると疲弊して、仕事そのものが嫌になってくる。まさにジレンマです。
午前中が補正対応で潰れる日々
補正の処理にかかる時間はバカになりません。添付書類の差し替え、補正理由への対応、関係者への連絡…。気づけば午前中がすべて消えていて、新規案件にはまったく手をつけられないことも。書類の山を前に、コーヒーをすする手も震えるような、そんな日もあります。積み上げた予定表がただの「理想」になってしまうのです。
進まない新件処理に焦りと苛立ち
補正対応が終わってから新件に着手しようとしても、もうすでに午後。電話も鳴るし来客もある。気持ちを切り替えようにも、脳内にはさっきの補正内容がこびりついていて、集中力が戻らない。「なんでこんなに時間が足りないんだ」と頭を抱えたくなる日々。そうしてどんどん残業が増えていくのです。
補正に疲れ果てる心と身体
補正は事務的な手続きのひとつかもしれませんが、私にとっては「心を削る作業」です。補正が続けば続くほど、自分の存在意義すら揺らぐような感覚に陥ることもあります。日々の疲労と補正ストレスが重なって、心も身体もじわじわとすり減っていくのです。
補正のたびに自信をなくす
何年やっていても補正はなくなりません。それが「普通」なのは分かっていても、自分の書類が通らなかったという事実は、確実に自信を削ります。「自分には向いていないのかもしれない」と考えることもあります。そんなときは、机の隅にある資格証書を見て、「ここまで来たんだから」と自分に言い聞かせています。
登記官の気まぐれに翻弄される感覚
同じ書き方でも、登記官によって通るときと通らないときがある。そんなとき「運かよ!」と叫びたくなります。とはいえ相手は公務員。反抗したところで結果が変わるわけではありません。むしろ機嫌を損ねればもっと面倒になることも。だから、言いたいことをぐっと飲み込み、言葉を選んで対応するしかないのです。
積み重なる補正対応が業務を圧迫
補正が積もると、他の業務のスケジュールも押していきます。月末に集中したときなどは、正直もうパンク寸前。クライアントへの対応もおざなりになり、ミスがミスを呼ぶ悪循環に陥ります。「なんでこんなに追われてるんだろう」と思うけれど、やらなきゃ終わらない。そんなプレッシャーで、日々息が詰まるような気持ちになります。
月末に補正が集中したときの地獄
月末はただでさえ忙しいのに、補正が何件も重なると、本当に終わりが見えません。ひとつひとつは細かい作業でも、それが重なると膨大な時間がかかる。夕方になっても終わらず、気がつけば夜。空っぽの事務所で一人、ため息をつきながら書類に向かう自分に「これって何のためにやってるんだろう」と問いかけたくなります。
それでも仕事を続ける理由
こんなに疲れて、こんなにしんどくて、それでもやめずにやっているのは、どこかでこの仕事に意味を感じているからかもしれません。たまに「ありがとう」と言ってもらえたときの温かさ。それが、また明日も頑張ってみようと思わせてくれるのです。
たまに感謝されると報われる気がする
補正対応で頭がパンクしそうなとき、ふとクライアントから「本当に助かりました」と言われると、涙が出そうになることがあります。ほんのひと言でも、その言葉は補正通知100通分の傷を癒してくれます。「この仕事、意味あったんだな」と思える瞬間。それが、明日もまた頑張ってみようと思う原動力になります。
この経験が誰かの役に立つなら
補正と戦う日々は、決して楽ではありません。でも、こうした経験が、これから司法書士を目指す人や、同じように悩んでいる人の背中を少しでも押せたなら、それだけで十分です。自分の弱さや愚痴も、誰かにとっては「共感」になるかもしれない。だからこそ、今日も書類を直しながら、前に進もうと思います。