司法書士のくせに寂しがり──誰とも話さない日が怖くなる夜もある

司法書士のくせに寂しがり──誰とも話さない日が怖くなる夜もある

“司法書士=孤独に強い”は幻想かもしれない

司法書士という職業には、どこか「孤独に強くて当然」というイメージがある気がする。確かに、一人で黙々と作業することも多いし、静かな環境で集中力を維持するのは大事だ。でも実際には、孤独に強いからこの仕事を選んだわけじゃないし、むしろ苦手な人間関係から逃げた先にあった職業だったのかもしれない。だからこそ、ふと誰とも話さない日が続くと、不安や虚しさがじわじわと忍び寄ってくる。“一人でやれる”と“独りでいたい”は全く違うのだと、この歳になって実感している。

一人で仕事できるはずなのに、なぜ寂しいのか

書類作成も登記申請も、基本的に誰かに助けを求めることはない。必要な確認をすれば、あとは自分の判断と責任で完結する。それがこの仕事の魅力でもある。でも、静かすぎる事務所でパソコンのキーボードを叩き続ける時間が長くなると、不思議と心がざわついてくる。「俺、今日誰とも会話してないな」——そんな日が何日も続くと、どれだけ案件が順調でも、なぜか胸が重くなる。業務は片付いても、自分の中の“何か”は、どうにも片付かない。

黙々と働くことと、孤独を愛することは別だ

ひとりで黙って机に向かうのが好きだからといって、孤独が得意なわけではない。そこを勘違いされることもあるし、自分自身も長らく勘違いしていた。昔、営業職に就いていた友人に「お前は一人でも平気そうでいいな」と言われたとき、少しだけ誇らしく思ってしまった自分がいた。でも本当は違った。平気そうに見せるしかなかっただけだ。誰かとランチを食べる機会すらほとんどない毎日が、こんなに心に響いてくるなんて思っていなかった。

「静かな環境」が、心の中を騒がせる日もある

事務所はとても静かだ。電話が鳴らない時間帯は、外の鳥の声すら聞こえるほどだ。でも、その静けさがありがたいと感じる日は少なくなった。最近はむしろ、何か音がしてほしいと願っている。誰かが入ってきてくれないか、ふいに電話が鳴らないか。そんなふうに“何か”を待っている自分がいる。静かさを心地よく感じられなくなってきたのは、きっと内側の寂しさが増してきた証拠なのだろう。

依頼人は来る。でも、心は動かない

司法書士という職業は、意外と人と接する機会がある。依頼人との面談、金融機関とのやり取り、不動産業者との連絡……。それなりに会話はあるし、人と会っていないわけではない。でも、それでも寂しさが消えないのは、その会話が“本当の意味での会話”ではないからだと思う。形式的で業務的なやり取りばかりで、心が動かない。声を発していても、会話をしている気がしないのだ。

会話は多いのに、会話らしさがない

たとえば「今日は暑いですね」という一言があっても、そこから何も広がらない。次に出るのは「ではこちらにご署名を」とか「登記完了の目安ですが」といった事務的な言葉。仕事だから当然といえば当然だが、そうしたやり取りだけで一日が終わると、自分がまるでロボットになったような気がしてくる。人と話してるのに、話した気がしない。この感覚が積もっていくと、自分の存在が透明になっていくような不安に襲われる。

手続きの説明ばかりで、雑談が下手になった

昔はもっと雑談ができた気がする。学生時代、居酒屋でバイトしていた頃は、初対面の客とも笑い合えていた。でも司法書士になってからというもの、効率と正確さを重んじる会話ばかりを重ねてきて、気づけば雑談が苦手になっていた。何をどう話したらいいのか、頭の中で考えすぎて、結局無言になる。それがまた“壁”をつくり、さらに孤独を深めていく。悪循環だとわかっていても、なかなか抜け出せない。

人と接していても“独り感”が消えないのはなぜか

たぶん、自分の中で「人に甘えちゃいけない」という思いが強すぎるのだと思う。依頼人には“しっかり者の先生”でいなければいけない。事務員には“頼れる上司”でいなければいけない。そんな役割を演じ続けるうちに、素の自分を出せる場所がなくなってしまったのかもしれない。だから、人と話していてもどこか“独り感”が残るのだと思う。

帰宅後、無音の部屋に落ちる寂しさ

一日の業務を終えて帰宅すると、事務所以上に静かな空間が待っている。電気をつけても、返事をする人はいない。テレビをつけてBGM代わりにするけど、結局何を見たか覚えていない。誰かと食事をしたり、ちょっとした出来事を話せる人がいないというのは、思っている以上に心を削ってくる。慣れているつもりでも、慣れたくなかった現実に変わりはない。

仕事モードから一人の時間に切り替わる瞬間

仕事中は何とか気を張っている。でも、自宅に帰った瞬間、そのスイッチが切れる。誰に見られるわけでもないのに、急に“崩れる”ような感じがする。椅子に座ってため息をついて、そのまま何分も動けない日もある。人は誰しもそういう時間があるのかもしれないけれど、自分の場合、それがあまりに長く、深い。孤独に“落ちる”という表現がぴったりくる感覚だ。

テレビの音とコンビニ弁当が話し相手

食事はほとんどコンビニ。温めるだけのご飯を片手に、テレビから流れるニュースを無意識に見ている。スマホを見るのも面倒になり、テレビの音声が唯一の“人の声”になる。誰かの食器を洗う音や、生活音が聞こえてこない部屋というのは、想像以上に寂しい。司法書士としては独立しても、人としては“ひとりぼっち”でしかない気がしてくる。

「ただいま」と言う相手がいない夜

自宅に入っても「ただいま」と声に出すことはない。でも、ふと「あ、いま誰かいたら何て返ってくるかな」と想像する瞬間がある。おかえりって言われたいのか、それとも誰かの生活音を聞きたいだけなのか。とにかく、“誰かがいる空間”というのがどれだけ尊いものだったか、失って初めて痛感している。孤独を選んだつもりはなかったのに、気づけばそこにいた。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。