リアクションが薄いってよく言われる

リアクションが薄いってよく言われる

「リアクションが薄い」と言われるたびに

「無表情だよね」「喜んでるの?」「怒ってるの?」——人生で何度このセリフを言われたか、正直数えきれません。自分としては普通にしているつもりなんですが、周囲にはどうにも「感情が読めない人」と映るようです。特に司法書士という職業柄、淡々と仕事をこなすことが求められる場面が多く、それが余計に「感情がない人」に見えてしまうのかもしれません。リアクションが薄いと言われると、ちょっと傷つく反面、「じゃあどうすればいいんだよ…」と戸惑ってしまうのも正直なところです。

学生時代から始まっていた静かな性格

リアクションが薄いと言われるようになったのは、どうやら学生時代からだったようです。大勢で盛り上がる場では話についていけず、笑うタイミングもズレてしまいがち。周囲が爆笑しているのに、自分は「そこまで笑うか?」と冷静に見ているタイプでした。だからといって面白くないと思っているわけじゃない。でも、それが伝わらないんですよね。「つまらなそうだね」って言われてしまうと、「いや、内心すごく楽しんでるんだけどな」と毎回思っていました。

感情を外に出すことが苦手だった少年時代

小さいころから、感情を外に出すのがあまり得意ではありませんでした。嬉しいときも、怒っているときも、心の中ではいろんな思いが渦巻いているのに、それが顔や声に出てこない。小学校の学芸会で主役をやった時でさえ、「棒読みだな」と先生に言われたのを覚えています。決して手を抜いたわけじゃなく、むしろ真剣にやった結果がそれなんです。そういう性格は、なかなか変えられるものではありません。

友人たちとの温度差に気づいたのはいつからか

中学・高校と進むにつれて、周囲の人たちとの温度差に気づく場面が増えました。友人が感情を爆発させて話すエピソードに対して、どこか自分だけが引いているような感じ。そのうち「お前って、なんかロボットみたいだな」と言われるようになってきました。自分としては落ち着いてるつもりだったけれど、周りから見れば冷たく見える。そう気づいてからは、少しだけ表情を作る努力を始めました。でも、どこか嘘っぽくなってしまう。無理して笑っても、目が笑ってないって言われるんですよね。

仕事でも「もっと反応してよ」と言われがち

司法書士として働くようになってからも、「もうちょっと反応してくれたら安心するのに」とお客様に言われることがあります。たとえば、重要な手続きの説明をしているとき、「えっ、今ので終わり?もっと何か言ってくれると思った」と苦笑されることも。私は丁寧に説明したつもりでも、相手からすれば「人間味が足りない」と感じるのかもしれません。これはもう性格の問題で、どうにもならない部分もあります。

お客様の言葉に笑顔で返せないもどかしさ

ある日、相続の相談にいらしたご夫婦が「こんな話、なんか重たくなっちゃってごめんなさい」と笑いながらおっしゃったとき、私は思わず「いえ、大丈夫です」としか返せませんでした。後で「あの時もう少し柔らかく対応できていれば…」と自己嫌悪。事務員さんなら自然にニコっと返せる場面なのに、自分にはそれができない。頭ではわかっているのに、うまく感情が表に出てこない。そのもどかしさは、日々の業務でじわじわと積み重なっていきます。

事務員さんとのやり取りにも響く「温度」

うちの事務員さんは、明るくて気が利くタイプ。お客様とのやり取りもスムーズで、見ていて羨ましくなります。ある日「先生って、たまに何考えてるかわからないですよね」と言われて、ドキッとしました。無意識のうちに壁を作っていたのかもしれません。仕事の連携にも支障が出ないよう、最近は自分から「ありがとう」と言葉を添えるようにしています。

本当は感謝しているのに伝わらない葛藤

一番辛いのは、自分の中にちゃんと感情があるのに、それが伝わらないことです。事務員さんが気を利かせてくれた時、心の中では「助かるな」と思っている。でも、顔にも声にもそれが出ていない。結果、「無反応でごめんなさい」となる。この不器用さ、どうしたものか…と毎日考えています。

司法書士という仕事と“無反応”の相性

不思議なもので、この「リアクションが薄い」性格が、司法書士という仕事にはある意味向いているところもあります。人前で感情的にならず、冷静に淡々と手続きを進められるという点では、信頼を得やすいことも。ただし、それは“良い場面に限って”の話。相手の心に寄り添う必要のある場面では、逆効果になることも多いのです。

冷静さが必要とされる場面ではむしろ武器

登記や遺言、相続など、司法書士が関わる場面には法律的にシビアな判断が求められることが多々あります。そんな時、私のリアクションの薄さが“冷静な判断力”と見なされることもあります。感情に流されず、常に一定のテンションでいられることで、依頼者から「落ち着いていて安心する」と言われることもあります。これはたまたま性格がマッチしただけかもしれませんが、自分の短所を長所として活かせる瞬間でもあります。

登記の説明で必要なのは感情より正確さ

たとえば不動産登記の際、感情に任せて「大丈夫です!」と勢いで答えてしまってはトラブルの元になります。そういった意味で、私は説明のたびに慎重に言葉を選び、正確さを重視しています。結果として「冷たい」「反応がない」と言われがちではありますが、それでも安心感を与えられるのなら、それはそれで意味があると思っています。

でも、時には誤解を生む「壁」にもなる

冷静さがメリットになる反面、人としての温かさが伝わりにくいのも事実です。仕事のスムーズさとは別に、人間関係の中で「近寄りがたい」と思われることも少なくありません。特に感情を共有することが大切な相続や家族信託の場面では、無表情で淡々と対応するだけではうまくいかないこともあります。

依頼者に「冷たい」と思われた出来事

ある相続案件で、依頼者が涙を流しながら話しているにも関わらず、私はいつも通りのトーンで説明を続けてしまいました。結果、「なんか先生って、機械みたいですね」と言われてしまい、心がズシンと重くなりました。私は泣かれたとき、どうリアクションしていいか分からなくなるのです。でもそれって、相手には“無関心”に見えるんですね。

相続で泣くご家族への共感が伝わらない

感情を受け止める器のような存在になりたいと思っているのに、それが形にならない。泣くご家族に対して、そっと手を差し伸べたいけれど、それができない自分がもどかしい。だからこそ、「先生って不器用ですよね」と言われるたび、少し救われたような気になります。不器用でも、誠実に向き合うこと。それだけは大切にしています。

反応が薄くても生き延びるための工夫

リアクションが薄い人間でも、何とかこの仕事を続けていくには工夫が必要です。変えられない性格を前提に、その中でできることを少しずつ積み重ねていく。無理に明るく振る舞うのではなく、自分なりの誠意の伝え方を模索する。そんな日々を今も続けています。

自分なりの「伝え方」を模索してきた

ある時から、表情を無理に変えるよりも、言葉を少し工夫するようになりました。「ありがとうございます」「お疲れさまでした」「助かりました」といった一言を意識して添えるだけで、相手の反応が少し柔らかくなることに気づいたんです。演技ではなく、自分の言葉で感謝や共感を伝える。それならできるかもしれないと思いました。

言葉の選び方とタイミングを意識するように

最近は、相手がちょっと沈んだ表情をしていたら「大丈夫ですか?」と声をかけるようにしています。それだけで相手がホッとした表情になることもある。やっぱり“言葉にすること”って大事なんだと感じる瞬間です。リアクションは薄くても、心が通うことはある。そう信じたいです。

表情が作れないなら、丁寧な言葉で補う

笑顔がぎこちないなら、無理に笑わなくていい。その代わり、言葉を選んで丁寧に伝える。それが今の私のスタイルです。反応が薄くても、きちんと気持ちは伝わる。それを信じて、今日も事務所で淡々と、でも一生懸命に仕事をしています。

「リアクションが薄い」人の強みとは

最後に、リアクションが薄いことも、決してマイナスだけではないと伝えたいです。感情的にならず、どんな状況でも一定の姿勢を保てるのは、一つの能力でもあります。そしてそれは、信頼される司法書士像に通じるものでもあると思っています。

聞き役に徹することの価値

感情をあまり表に出さない分、人の話をじっくり聞くことができます。相手が話している間、口を挟まずにうなずきながら聞く。その姿勢だけで「ちゃんと受け止めてくれている」と感じてもらえることもあるのです。リアクションが薄い人ほど、聞き上手になれるのかもしれません。

動じない姿勢が信頼につながることもある

どんなに焦る場面でも、あわてず騒がず、落ち着いて対応できる。これは私自身、何度も助けられてきたスキルです。「先生、いつも落ち着いてますね」と言われると、ちょっと嬉しい。感情が外に出ない自分に、少しだけ誇りを持てる瞬間です。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。