仕事はある。でも将来の見通しが晴れない
地方で司法書士をしていれば、ありがたいことに仕事はそれなりにある。登記や相続、時々の後見業務。忙しい日々のなかで、一日が終わっていく。でも、その充実感が「人生の安心」に直結するわけじゃない。むしろ、事務所の電気を消して一人になった時に押し寄せるのは、「このままで大丈夫か?」という不安の方だ。将来の設計も計画も、つい後回しにしてきたツケが、今じわじわと首を絞めてきている気がする。
忙しければ孤独じゃないと思っていた
昔は「一人が気楽」と思っていた。仕事さえ順調なら、誰かと無理に付き合わなくても大丈夫だと信じていた。実際、若い頃はそうだった。気ままに飲みに行き、好きな本を読み、週末には車を出して遠出もできた。でも今、その自由の裏側にぽっかりと空いた穴のような感情がある。仕事に没頭しているふりをしないと、心が不安で押しつぶされそうになる。あれはただの「忙しいふり」だったのかもしれない。
日々に追われて考えないようにしてきた老後
老後のことなんて、考えても仕方ない。そう言い聞かせてきた。だが、ふとスマホのニュースアプリに出てくる「年金だけで暮らせますか?」の文字に、指が止まる。開いてしまう。一人暮らし、持ち家なし、貯金は仕事の機材と車に消えた。老後資金って、どのくらい必要なんだ?誰かに聞きたくても、そもそもそんな話をできる相手がいない。
気づいたら、人生設計なんて何もなかった
事務所を開業した頃は「この町に根を張って生きる」と息巻いていた。だが、10年、15年と経つにつれて、「この先もこのままか?」という疑問が胸の奥にわいてきた。結婚はしそびれた。子どももいない。事務所の後継者も決まっていない。人生設計なんて、それっぽい言葉を並べてきただけだったんじゃないか。いつの間にか、ただ生き延びてきただけのような気がしてならない。
「一人の自由」と「一人の不安」の境界線
一人でいることには自由がある。好きな時間に寝て、誰にも邪魔されずに仕事をし、休みの日はひたすらだらける。それが心地よい時間だと思っていた。だが、その自由がある日、重たく感じるようになった。誰にも必要とされない自由は、ただの孤独だった。好きで一人だったはずが、気づけば「一人でしかいられない人間」になっていたのかもしれない。
好きなことをしてきたつもりが、ふと怖くなる瞬間
昼休みにラーメン屋のカウンターで食べながら、ふと隣を見ると、若いカップルが談笑している。笑い声に混ざって、「将来はさ…」という会話が耳に入る。自分は将来の話を誰かとしたことがあったか?仕事の話なら山ほどある。でも、人生の話をできる相手はいたか?ふと、湯気の向こうに、何も答えが見えない自分の姿が映る。
夜中に起きてしまうのはトイレのせいじゃない
夜中の2時過ぎ、ふと目が覚める。トイレに行く。戻ってきて布団に入っても、なぜか眠れない。目を閉じても、次々に「このままで大丈夫か」という問いが湧いてくる。これは年齢のせいでも、単なる不眠でもない。心のどこかで、人生のタイムリミットに怯えているのだと自覚する。時計の針の音が、やたらとうるさく感じる夜が増えてきた。
コンビニの帰り道、ふと足が止まる理由
事務所の帰りに立ち寄るコンビニ。温めてもらったお弁当を片手に、帰り道を歩く。寒い夜、ふと立ち止まって空を見上げた。星はきれいだけど、誰と分かち合うでもない。家に帰って一人、テレビをつける。無音が怖くて、ただ音が欲しい。こういう瞬間に、自分の人生に何かが欠けていたと知る。だけど、もう取り戻せないものが多すぎる。
仕事で関わる「相続」の現場で感じる恐れ
司法書士という仕事柄、相続には多く立ち会う。遺言、名義変更、後見人の手続き。日々の業務の中で、たくさんの家族と出会う。でも、ふと自分に当てはめてしまうと、そこには空白が残る。誰が自分の相続をしてくれるのか?誰が通夜を開いてくれるのか?そんなことを考えるようになったら、もう若くはないということなんだろう。
家族がいないって、こんなに不利なんだと知る
「うちは長男が全部やってくれるので大丈夫です」と笑顔で言う依頼人。正直、羨ましいと思ってしまう。家族がいるというだけで、老後の選択肢はぐっと広がる。逆に言えば、家族がいない人間は、自分のことをすべて自分で決めて、準備して、手続きしていかなければならない。司法書士である自分が、法的手続きのことを一番知っているはずなのに、現実を直視できないでいる。
何を残すかより、誰に残すか
財産が多いわけじゃない。でも、長年働いて築いてきたものを、ただ消えていくようにするのは悲しい。寄付も考えた。でも、それって何か虚しい。本当は、誰かに感謝されたり、思い出話の一つでもされるような、そんな終わり方がしたいのだろう。モノよりも「関係性」がないことの苦しさ。それが、一番の欠落なのかもしれない。
「うちの子はしっかりしてますから」が羨ましい
遺言作成の相談で、「うちの子がちゃんとやってくれると思います」と依頼人が言うたび、胸の奥にちくりとした痛みが走る。子どもがいるって、いいな。ちゃんと育ててこられたって、自信に満ちたその言葉が、今の自分には遠すぎて、まぶしい。独身のまま走り続けたこの道の先に、自信を持って誰かに何かを託せる日が来るのだろうか。