「孤独を感じるなんて贅沢だ」と言われて
「そんなの贅沢だよ」と言われたことがある。ある日、少しだけ弱音を吐いたとき、相手は苦笑いしながらそう言った。たしかに、仕事があって、屋根のある家に住んでいて、健康でいられることはありがたい。だけど、それとこれとは別の話じゃないか。心の中がぽっかりと空洞になったような感覚を抱えながら、人前では平然と仕事をこなしていると、たまに「なんでこんなに寂しいんだろう」と自分でも不思議になることがある。孤独という言葉が、ただの甘えや贅沢として処理される社会では、ますます本音が言えなくなっていく。
たしかに、忙しい。けど、それとこれとは別の話
平日は朝から晩まで書類に追われ、電話が鳴り止まず、お客さんの予定に合わせて柔軟に動く毎日。予定帳は黒く塗りつぶされ、すき間時間も「タスク処理」で埋まっていく。それでも、なぜか心は満たされない。忙しさが孤独を埋めるかと思ったら、逆に「人と関わっているはずなのに、空しい」という感覚が強くなるのだから、皮肉なものだ。誰かと一緒にいても、心が孤独なら、それはもう立派な孤独だ。
他人からの評価と、自分の内側とのズレ
「すごいですね、一人で事務所回してるなんて」「尊敬します」と言われることがある。たしかに外から見れば、ひとりで仕事を切り盛りしている姿は“自立した男”に映るのかもしれない。でも、内心はギリギリ。誰にも頼れない不安、失敗したときの責任、そして誰にも共有できない「しんどさ」がある。評価されればされるほど、弱音が吐けなくなって、自分の本音がどんどん置き去りになっていく。
「贅沢」という言葉に感じる無力感
「贅沢」という言葉の裏には、「あなたは十分満たされているでしょ?」という圧がある。それが一番きつい。孤独を感じることにすら「資格」が必要なのかと感じてしまう。「独身なんだから自由でいいね」とか「一人暮らしって気楽でしょ」と言われても、それが本当に望んでそうしているかどうかは、また別の話なのに。
地方の司法書士、ひとり事務所のリアル
都会と違って、地方では同業者も少なく、相談相手も限られる。愚痴を言える相手がいないまま、日々の業務を回していく。事務員にはあまり重い話をしたくないし、顧客との会話も表面的なものが多い。だからこそ、孤独という感情がじわじわと積もっていく。
人に囲まれていても、孤独は訪れる
一日に何人もお客さんが来る日がある。ひっきりなしに電話が鳴り、訪問者が重なる日も。でも、不思議とそういう日ほど、仕事が終わった瞬間に虚しさが押し寄せてくることがある。「誰とも本音で話してない」そんな感覚。物理的に人と関わっていても、情緒的なつながりがなければ、孤独感はむしろ深まっていく。
お客さんと話していても、心が動かない日
書類の説明、登記の説明、手続きの流れ…淡々とこなしていく。でも、ときどき「この人と本当に向き合えてるんだろうか?」と不安になる。あくまで仕事としてのやり取り。相手の人生に深く関わっているようで、実は浅い。そんな自分にがっかりする日もある。
「聞く側」専門の仕事は、ときに感情を置き去りにする
司法書士の仕事は、聞き役に徹することが多い。相続の悩み、家族間の争い、将来への不安…。たくさんの“人生の重み”を受け取る立場だ。でも、自分の話をすることはほとんどない。そうして自分の感情は、少しずつどこかに置いてけぼりになっていく。
事務員との距離感と、気を遣う日々
事務員さんは真面目でしっかりしている。ただ、相手には家庭があり、帰る時間が決まっている。話す内容も自然と限定される。自分の孤独や不安を打ち明けられる関係ではない。だからこそ、どんなに忙しくても、事務所では「頼られる存在」でいようとしてしまう。
家庭がある人に、仕事の愚痴は吐けない
相手が夕方に「じゃあ子どもの迎えがあるので…」と帰っていく姿を見ると、なんとも言えない気持ちになる。自分には帰る場所がない。愚痴を言いたくなる気持ちも、相手の背景を思うとぐっと飲み込むしかない。家庭という「守るべきもの」がある人には、こぼせない悩みもある。
「今日は早く帰ってね」の言葉の重み
事務員さんが気を遣って言ってくれる。「先生も無理しないでくださいね」「今日は早く帰ってください」。ありがたい。その言葉に救われる瞬間もある。でも、帰った先に誰もいないと思うと、余計に心が冷えるときもある。
独身司法書士の週末、それはただの無音
土曜日。誰とも連絡を取らず、一日が過ぎる。コンビニの店員と交わす「袋いりますか?」が唯一の会話。そういう日が続くと、自分が“存在している感覚”すら薄れてくる。
誰にもLINEが来ない夜の過ごし方
スマホを開いても通知ゼロ。SNSを見ると、友人たちは家族で旅行中だったり、誰かと飲みに行っていたりする。そこに自分の居場所はない。かといって、誘う相手もいない。結局、テレビをつけたままソファで寝落ちして、朝を迎える。
「好きに生きてるね」と言われて、笑えなかった
「独身貴族っていいよね」「自由で羨ましい」そんな言葉をかけられても、笑えなかったことがある。たしかに自由ではある。でも、「選んでそうしてる」と「そうせざるを得ない」は違う。誰かと生きてみたかった。ただ、それが叶わなかっただけだ。
そもそも、孤独とはなんなのか
孤独は、ただ一人でいることを意味しない。むしろ、誰かと一緒にいても感じるもの。だからこそ厄介で、厳密な定義もない。人と比べてしまうと「自分なんてまだマシ」と思い込もうとするけれど、それが本当の意味での解決にはならない。
社会的孤立と情緒的孤独は違う
社会的に孤立していなくても、情緒的に孤独な人は多い。仕事があって、収入があって、挨拶を交わせる相手がいても、深くつながる人がいなければ、やはり孤独だ。司法書士という職業は特に、「つながっている風」に見える分、見えづらい孤独が潜んでいる。
人に囲まれていても満たされない理由
「関係の質」が満たされていないと、人は孤独を感じるらしい。数ではなく、深さ。表面的な付き合いばかりで、弱音を吐ける相手がいない。そういう状況が続くと、自分が何者なのかすら見失いそうになる。
孤独を感じることに罪悪感を持たないで
「孤独を感じる自分は、どこかおかしいのか?」と考えてしまうときがある。でも、そうじゃない。孤独は自然な感情であり、生きている証でもある。大切なのは、それを認めてあげること。
感じることは、生きてる証拠
感情を持てるということは、まだ自分が人として生きている証。何も感じなくなるほうが、ずっと怖い。孤独を感じられる自分を責めないでいたい。
「贅沢」なんて言葉で片付けるな
誰かの「孤独」を「贅沢」だと切り捨てることが、どれだけ残酷か。人はそれぞれ、違う背景と感情を抱えて生きている。自分の痛みを無理に軽視しないこと。それが、少しだけ自分を救う。
孤独に慣れると、優しくなれる
孤独と向き合ってきた分、人の孤独にも敏感になる。だからこそ、仕事で悩んでいる人、人生に迷っている人に対して、優しい視点で寄り添えるようになった気がする。
他人の寂しさに気づけるようになった
登記の相談に来た高齢の女性が、手続きの話よりも雑談に夢中だった日があった。話を聞いていて、「この人も寂しいんだな」と感じた。かつての自分も、誰かにただ話を聞いてほしかった日があった。その記憶が、今の自分を支えている。
それでも、誰かに「自分もそう」と言われたい
いくら共感する側に回っても、やっぱり人間、自分も共感されたい。「ああ、それわかるよ」と誰かに言われるだけで、心が少しだけ軽くなる。そんな関係が、一つでも持てたなら、また明日もなんとかやっていける気がする。