幸せって、どこに落ちてるんだろうな

幸せって、どこに落ちてるんだろうな

気づけば「幸せ」って言葉を使わなくなっていた

ふとした瞬間、「最近、自分は幸せなのか?」と考えることがある。でもその問いに対して、明確に「はい」と言えた試しがない。司法書士として日々働き続けているうちに、幸せを感じる時間や余裕がどこかへ消えていった気がする。昔はもう少し楽観的に未来を考えていたような気もするが、今は目の前の業務と現実的な生活費の計算ばかりだ。「幸せ」という言葉が、あまりにも遠く感じられて、最近では口に出すことも減ってしまった。

日々をこなすだけで、精一杯の毎日

地方で一人事務所を回すというのは、思っていた以上に地味で孤独だ。毎朝同じ時間に出勤し、同じパターンの業務をこなし、終業時間を過ぎても終わらない書類を前にため息をつく。どこかで「これは修行か?」と思うことさえある。周囲には華やかに見られることもあるが、実態は泥臭く、地道で、しんどい。それでも休めないのは、目の前の依頼者が待っているから。ただ、それだけだ。

やらなきゃいけないことばかりが増えていく

「士業なんだから楽なんでしょ」と言われたことがあるが、まったくそんなことはない。登記の期限、裁判書類のチェック、役所への確認、電話対応…何もかも一人で抱える日々。事務員がいてくれて助かってはいるものの、結局のところ責任を取るのは自分だ。しかも、業務の多くは「目立たないけどやらなきゃいけないこと」。やって当たり前、でもやらなければ責められる。そのプレッシャーの積み重ねが、知らぬ間に心を削っていく。

「忙しい=幸せ」ではないと気づいたとき

以前は、忙しければ忙しいほど「必要とされてる」と思えて、充実感を感じることもあった。でもあるとき、土日も祝日も事務所にこもっていたら、ふと気がついた。「この忙しさは、自分をすり減らしてるだけじゃないか?」と。コンビニの弁当を片手にモニターとにらめっこしてる姿が、本当に望んでいた未来なのか。忙しさにかまけて、自分の気持ちや幸せの感覚を置き去りにしていたことに、やっと気づいた。

世間の「幸せ像」と自分との距離

同級生のSNSを見れば、家族写真や子どもの成長記録が並んでいる。「うちの子、今年小学生です」なんて投稿を見て、思わず画面を閉じる。自分とはあまりにかけ離れた世界に思えて、うらやましさというよりも、無関心に近い感情になることさえある。世間が言う「幸せ」と、自分の生活が重ならないことに、少し寂しさを感じる。

結婚・子ども・家族の話題に居場所がない

親戚の集まりや同窓会に出るたびに「まだ結婚しないの?」「いい人いないの?」と聞かれる。定型文のような質問にはもう慣れたが、そのたびに心のどこかが少しずつ冷えていく。仕事はそれなりにしている。でもそれが、一般的な「幸せ」に繋がっていないように感じられる瞬間、自分の生き方が間違っていたのではないかと、不安になることもある。

仕事で社会と繋がっているけど、どこか孤独

クライアントとは日々やりとりがある。電話もメールも打ち合わせもある。だけど、それは「仕事上の関係」であって、心を開ける相手ではない。仕事を通じて社会と接しているはずなのに、ふとしたときに「誰とも本当には繋がっていないな」と感じる。話せる人がいるのに、話したいことを話せない。そんな孤独が、日常の中に静かに積もっていく。

司法書士という仕事に幸せはあるのか?

誇れる仕事だと思う反面、報われているのかと問われれば、答えに詰まる。資格を取ったときの達成感、初めて一人で案件をこなしたときの喜び。あの頃は、たしかに「幸せ」だった。でも、それが長く続いたかといえば、そうでもない。今では「仕事=義務」のようになってしまっていて、感情がついてきていないのが正直なところだ。

やりがいとしんどさは、紙一重

依頼者に感謝される瞬間、それがこの仕事のやりがいだと言う人は多い。実際、自分もそう思っていたし、今でもそう感じるときがある。でも、その一方で、「そこまでやっても、それだけ?」と感じるときもある。業務量と報酬、プレッシャーと評価、そのバランスが取れていないように思えることも。正義感や責任感だけでは、続けるのが難しい時期もある。

感謝されることもある、でもそれだけじゃ足りない

「本当に助かりました」と言われると嬉しい。けれど、それが心の底からの癒しになるかといえば、それはまた別の話。たまに、心ここにあらずで「ありがとうございます」と言っている自分に気づくこともある。心が疲れていると、嬉しい言葉も素直に受け取れなくなるのかもしれない。人間って、褒め言葉だけじゃ生きていけないんだなと感じる。

「ありがとう」が心に染みない日もある

自分でも怖くなるくらい、感情が動かない日がある。依頼者の笑顔を見ても、「よかったですね」と言っている自分の顔が、どこか上の空。疲れがたまっているのか、心が乾いているのか…。事務員に「先生、ちょっと休んだほうがいいですよ」と言われて、ようやく気づく。気づかないうちに、自分が感情をしまい込んでしまっていたことに。

そもそも、なぜこの仕事を選んだのか

若い頃、なんとなく「手に職をつけたほうがいい」と思った。それに、法律や文章が苦ではなかった。司法書士は、努力次第で独立できるし、人に感謝される仕事だと聞いて、迷わず進んだ。でも今になって、ふと考える。「自分は本当にこの仕事をやりたかったのか?」と。情熱というより、現実に押されての選択だったのかもしれない。

あの頃の理想と、今の現実

理想では、静かな事務所でクライアントの相談を丁寧に受け止め、地元の信頼を集める存在になっているはずだった。でも実際は、役所とのやりとりや書類との格闘、資金繰りの不安に追われてばかりだ。時間と心に余裕があれば、もっと人に寄り添えたのにと感じることも多い。あの頃の自分が今の自分を見たら、どう思うのだろうか。

「資格があれば安定」なんて誰が言ったんだ

「資格さえ取れば人生安泰」と言われたことがある。でも実際は、資格を取ってからがスタートだった。安定なんて幻想だった。むしろ、独立後の孤独や責任、経営のプレッシャーに晒される分、不安定さは増しているように思う。信頼を積み重ねるには時間がかかるし、少しのミスが信用を失う。「安定」とは、もしかすると誰かに守られている状態のことなのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。