補正通知がもたらす心の疲弊
補正通知。司法書士として働く中で避けて通れないものであり、たまに届く程度なら「まあこんなこともあるか」と流せます。でも、それが連続してくるとどうなるか。人はこんなにも簡単に疲弊するものかと、自分の弱さを思い知らされるのです。最初は事務的に対応していたはずが、いつの間にかそれが心の重荷となり、日常のすべてが補正通知に支配されてしまう感覚に陥ります。
最初は「またか」と笑えていた
補正通知が届いたとき、初めのうちは「はいはい、またね」と軽く受け止めていました。役所のクセやチェックの厳しさなんて、慣れたら流せるもんです。そう思っていました。事務所内でも「またきたー」と笑って話していたくらいです。あの頃はまだ余裕があった。仕事は忙しくても、自分の中に“切り替えスイッチ”があったんです。
軽く受け流せていた時代
登記の手続きは完璧にしているつもりでも、補正通知は不意にやってきます。「添付書類に押印が必要です」や「相続人の続柄が違います」など、些細なことで返される。けれど、そのころは「まあまあ、次は気をつけよう」で終わっていました。事務員さんとお菓子食べながら対策を練る時間も、今思えば貴重で和やかなひとときでした。
周囲にも愚痴れる余裕があった
補正の内容をネタに同業の仲間と笑ったり、事務員さんに「今回はキツかったね」と言えたりするだけの精神的な余裕がありました。誰かに共有することで、ストレスが発散されていたんでしょう。孤立感もなく、「俺だけじゃない」という安心感もありました。でも、それが“連続”になったとき、状況は一変します。
笑えなくなる瞬間が来る
それが3通目、4通目と続くようになると、もう笑えなくなります。1週間で3回補正が来た日には、「なにか呪われてるのか?」と本気で思いました。修正してもまた返され、どこをどう直してもまた違う点を指摘される。自信が揺らぎ始め、「この仕事、向いてないのかも…」と弱気になる瞬間が、確実に存在するんです。
3通目で顔が引きつる
1通目は「しょうがない」、2通目は「タイミング悪かったか」、でも3通目は「え、ちょっと待って」と顔がこわばる。補正通知が届くたびに胃がキリキリし、封筒を見るだけで嫌な汗がにじむ。郵便受けに行く足取りが重くなるというのも、なかなか一般的な職業では味わえない経験です。日常の風景が、地味にストレスの連続になります。
「自分が悪いのか?」という自問
補正内容に納得できない時も、最終的には「じゃあ自分の確認が甘かったんだろうな」と責めてしまう。特に孤独な立場で仕事をしていると、その傾向は強くなります。ミスの責任を誰かと共有できる環境でない分、自分の中で処理しきれなくなるんです。そして、それが続くと人格にまでじわじわと影響してきます。
補正が続くと性格が変わる
補正通知があまりにも続くと、優しかったはずの自分が少しずつ変わっていくのを感じます。余裕がなくなると、周囲への配慮も減っていきますし、誰かに当たってしまいそうになる自分が怖くなる瞬間もあります。司法書士は責任が重い仕事ですから、いつも冷静に、丁寧にと思っていても、心がすり減るとそうもいきません。
他人のせいにしたくなる自分
普段は「自分が全部責任を取る」と思って仕事をしているくせに、補正が重なると「いや、これって役所の判断がブレてるんじゃないか?」とか「依頼者がきちんと書類出してくれれば…」と、つい他人に責任を押し付けたくなる自分が出てきます。それに気づいたとき、自分自身に対しても嫌気がさしてくるんです。
申請ミスは誰の責任か問題
実際、どこからどこまでが自分のミスなのか、判断がつかないこともあります。お客さんの記入ミス、役所の担当者の解釈の違い、郵送中のトラブル。要因はいろいろある。でも、結局責任を取るのは自分。それが司法書士の仕事なんですよね。だからこそ、何度も返されると「もうやめてくれ」と叫びたくなる気持ちになります。
「役所の担当、変わった?」と疑心暗鬼
何度も補正が来ると、「これ、担当者が代わったんじゃないか?」とか「もしかして嫌われてる?」なんて、疑心暗鬼にもなります。普通なら思わないような妄想すら浮かんでしまうのです。冷静な判断力を保っていたいけど、繰り返される指摘にさらされ続けると、人は簡単に疑い深くなるものです。
事務員さんに八つ当たりしそうになる
事務員さんはまったく悪くない。むしろ丁寧にやってくれてる。でも、自分が余裕なくなってくると、ふとしたやり取りにトゲのある返しをしてしまいそうになるんです。そんな自分に後から自己嫌悪するけど、言葉は消せない。だから、そうなる前に「今日は帰ろう」と言える判断力も、今では大事なスキルになっています。
冷静さを取り戻すのに時間がかかる
一度精神的に崩れかけると、立て直すのに時間がかかります。冷静になろうとしても、補正通知がまたポストに届いていたりして、負のループに陥ります。自分を責め、他人を疑い、孤独になる。補正が連続すると、ほんとうに人格まで変わるような感覚に襲われます。笑顔でいられることが、どれだけ尊いことか身に沁みます。
自分を保つための工夫
それでも仕事は続いていくわけで、完全に心が折れてしまわないよう、自分なりの対策を考えるようになりました。大げさなことはしていません。でも、小さな積み重ねで「自分を取り戻す時間」を確保することはできるようになってきました。弱っても立て直せる自分でいることが、いまの自分の目標かもしれません。
小さな成功体験を拾い上げる
1件の登記が無事完了しただけでも「よかった」と心から思えるようになりました。前はそれが当たり前だったけど、今はそれが“救い”になります。通知が来なかった日、電話が少なかった日、予定通りに業務が終わった日。そんな“なんでもない日常”が、今の自分には一番ありがたい。自分を肯定できる瞬間を見逃さないようにしています。
登記完了メールに救われる日もある
登記完了の通知がメールで届いたとき、「やった」と小さくガッツポーズするようになりました。それくらい、最近は感情が揺れやすい。仕事に追われながらも、こういう小さな成功を噛みしめて、「よし、今日もなんとか生き延びた」と自分に言い聞かせています。それだけで、明日もう一回頑張ろうと思えるものです。
事務員さんとの雑談が唯一の救い
最近では、事務員さんとの何気ない会話が唯一の癒しになっています。「今日は郵便少ないですね」とか、「お昼何食べました?」とか、たわいもない話。でも、そんな会話があるだけで、心のバランスが保たれています。ひとりで抱え込む時間が長くなると、ほんとうに人格が崩れてしまいそうになるから、人との関わりは何より大事です。
「今日は穏やかでしたね」で癒される
事務員さんが「今日は静かでしたね」と言ってくれるだけで、「うん、そうだね」と心がふっと軽くなります。嵐のような補正の嵐が終わった日には、そんな一言が妙に胸に染みます。補正通知は変えられないけれど、自分の心の持ち方次第で、少しだけ穏やかに過ごせる時間は取り戻せる。そう信じて、明日もポストを開けます。