予定のない週末が、こんなにも怖くなるとは思わなかった

予定のない週末が、こんなにも怖くなるとは思わなかった

週末が近づくたびに、心がざわつく

金曜日の午後になると、まわりは「明日は何しようかな」なんて言いながら、浮き足立った雰囲気になる。依頼者の動きも鈍くなり、電話も夕方には少なくなる。そんな空気の中、私はなぜか胸の奥がざわざわしてくる。「明日も、予定はないな」と気づいた瞬間から、週末への恐怖が始まるのだ。何も予定が入っていないカレンダー。埋まらない空白。自由なはずの土日が、私には“無の圧力”のように感じることがある。

「休みがある」ということに耐えられない

世間的には「休みがある=いいこと」だろう。だが私にとってはそうじゃない。土日が空いていると、ただただ落ち着かない。仕事をしていれば、「今日も頑張った」と自分を納得させられる。でも、予定のない週末は、自分が社会からぽつんと切り離されたような、そんな孤独に襲われるのだ。だからつい、無理にでも仕事を入れてしまう。法務局も閉まっているのに、どうでもいい資料整理を始めたりして、時間を埋めてしまう。

誰かに会う予定もない、行く場所もない

独身、友人も少なめ、親戚付き合いも希薄。予定がなければ、本当に何もない週末がそこにある。行きたい場所も思い浮かばない。たまに一人で映画に行っても、観終わったあとに話せる人がいないのが妙に堪える。SNSを開けば、誰かの「家族でバーベキュー」や「友達と飲み会」みたいな投稿が流れてきて、スマホをそっと閉じる。自分で選んだ道のはずなのに、こうして土日になると後悔がじわじわ湧いてくる。

働いていたほうが、気が紛れるという矛盾

以前、仕事を詰め込みすぎて軽く体調を崩したことがあった。それで一度、強制的に休みを取ったのだが、あの時ほど「何をしていいかわからない時間」はなかった。結局、事務所に行ってしまった。働いているほうが楽。皮肉な話だが、休みの日に何もできない自分を見つけるくらいなら、働いている方がずっと安心できるのだ。これは依存なんだろうか。それとも逃避か。ただ、予定のない時間ほど、自分の空っぽさが浮き彫りになるのは確かだ。

予定がないことが、なぜこんなに不安になるのか

予定がないと、自分に意味がないような気がしてしまう。予定がある=誰かとつながっている、役割がある。予定がない=誰にも求められていない、忘れられている。そんな極端な思考回路になってしまう日がある。特に週末は、周囲が“楽しむ”ことに全力を注いでいるように見えるからこそ、そのギャップが胸に刺さるのだ。平日は忙しさで紛れていたものが、土日に一気に押し寄せてくる。

「自由な時間」が心を締め付ける理由

自由なはずの時間に、なぜ苦しむのか。それは「何かしなければならない」という無言の圧力に近い。自分を満たす予定、自分を高める予定、人とつながる予定。SNSを開けば「充実した人々」の姿がこれでもかと流れてきて、自分が何もしていないことが恥ずかしくなる。自由な時間は、本来「自分のために使っていい時間」のはずなのに、いつのまにか「自分のダメさを実感する時間」になってしまっている。

スケジュール帳の空白に自分の価値を問うてしまう

スケジュール帳を見て、月曜から金曜まではぎっしり。でも土日は空白。そのページを開くたびに、「自分にはプライベートが存在していない」と実感させられる。空白は、自由の象徴ではなく、孤独と無価値感の象徴になってしまっているのだ。無理に予定を埋めても、どこか虚しい。だからといって空白のまま過ごすのも怖い。この感覚、同業の誰かと語り合いたいが、なかなかそんな場もない。

他人と比べてしまう土曜日の午後

自分の過ごし方が間違っているわけではないと、頭ではわかっている。けれど、どうしても比べてしまう。買い物帰りの家族連れ、仲間と集まって笑っている若者、カフェでくつろぐカップル。そんな光景を見るたびに、自分だけが取り残されているような気持ちになる。あえて出かけることをやめた日、静まり返った部屋の中で「何をして過ごせばいいんだろう」と呟いていた自分がいた。

孤独と向き合う週末に見えるもの

孤独そのものが悪いわけではない。けれど、予定のない週末は、その孤独をいつもより強調してくる。ふだんは仕事に追われて感じない“空白”が、週末には形を持って現れてくる。何もない部屋、誰もいない時間、音のない空気。こんなにも情報と刺激に囲まれている時代なのに、週末だけは、自分の“存在の輪郭”だけがはっきり浮き出てくるような気がする。

静かすぎる部屋に広がる自己嫌悪

音もない部屋で一人で過ごしていると、「自分はなにをしているんだろう」と急に冷静になってしまうことがある。趣味らしい趣味もないし、何かに夢中になることもない。掃除も終え、食事も済ませたあと、あとは寝るだけ。そんな土曜の午後に、ふと自己嫌悪が押し寄せる。働いているときは、たしかに忙しい。けれど、こんな空っぽの時間を迎えるために働いているのかと考えると、なんとも言えない虚しさに包まれる。

スマホを握って誰にも連絡しない夜

夜、スマホを握っても、誰に連絡すればいいのかわからない。友達に「暇してる」と送っても、返ってこないかもしれない。返ってきたら、それはそれで「急にどうしたの?」と思われそうで怖い。結局、ただ画面を眺めてはアプリを開いて閉じるだけの時間が過ぎていく。テレビも面白くないし、本も頭に入らない。そんなとき「誰か」と話したいのではなく、「何かとつながっていたい」だけなのかもしれない。

心が何かを欲しがっているのに、それがわからない

何かをしたいわけじゃないのに、何もしていないと落ち着かない。これは、空腹なのに食べたいものが思い浮かばない感覚に似ている。心が何かを求めているのに、それが何かがわからない。それが「予定」というカタチを取っていたのかもしれない。誰かとの約束、何かのイベント、そういう“決まった枠”があることで、自分の居場所を感じられていたのだと気づく。

「寂しい」と言えない男の不器用さ

「寂しい」と口にするのは、なんとなく恥ずかしい。それに、自分よりもっと孤独な人もいるだろうと考えてしまって、結局黙ってしまう。でも本当は、ただ「誰かと笑いたい」「誰かと話したい」だけなのだ。こんな小さな願いを抱えて、それでも何も言えずに週末を終えてしまう。自分の中にあるこの不器用さに、ふと涙が出そうになる夜がある。

こんな週末、他の司法書士さんも過ごしてませんか?

土日をどう過ごすかなんて、誰にも教わらなかった。ただ「自由な時間がある=いいこと」と刷り込まれてきた。でも、自由な時間ほど扱いが難しいものはないと思う。同じように、事務所にひとり残ってしまった人。朝から予定もなく、ただコーヒーを淹れて過ごしている司法書士さん。あなたのその気持ち、きっと私も同じです。

土日に孤独を感じるのは自分だけじゃないはず

SNSには出てこないだけで、孤独な週末を過ごしている人はきっとたくさんいるはずだ。特に個人で仕事をしていると、オンとオフの区別がつきにくい。だからこそ、土日の「なにもない時間」に戸惑うのだと思う。誰かと比べず、ただ「同じような人がどこかで頑張ってる」と思えるだけで、少し気持ちは救われる。この記事が、誰かにとっての小さな安心材料になればいい。

仕事では堂々と話せるのに、プライベートになると黙ってしまう

仕事の場では、法律の話も手続きの話も堂々とできる。でも、「週末なにしてるんですか?」と聞かれると、急に言葉に詰まる。誰にも見せたくない自分の“空白”。そこに踏み込まれるのが怖いのかもしれない。でも、弱さや孤独を隠し続けるより、少しだけ言葉にしてみることが、楽になる第一歩かもしれない。そんなふうに、今は思っている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。