ちょっとした優しさが誤解されないようにしてしまう

ちょっとした優しさが誤解されないようにしてしまう

本当は自然に接したいだけなのに

日常の中で、ちょっとした気遣いや声かけをしたいと思う場面がある。例えば、事務員さんが疲れているように見えたら「大丈夫ですか?」と聞きたくなるし、重たい書類を運んでいたら手を貸したくなる。でも、その一言や行動が「気があるのでは?」とか「余計なお世話だ」と受け取られたらどうしようという不安が先に立ってしまい、何もできなくなってしまう。誰かに優しくしたいという気持ちがあるのに、それが誤解されるかもしれないと思うと、自分にブレーキをかけてしまうのだ。

気遣いが過剰と受け取られないか不安になる

以前、事務員さんが書類の束を落としたときに咄嗟に拾って「大丈夫ですか?」と声をかけたことがあった。するとその後、なんとなく距離を置かれているように感じた。それ以来、「あれって変に思われたのかも」と考えるようになり、同じような場面に出くわしても、つい様子を見てしまうようになった。本当はただ助けたかっただけなのに、「下心があると思われたのでは」とか「馴れ馴れしいと思われたかも」と不安になる自分がいる。

一言の声かけにも躊躇してしまう

朝、「おはようございます」の一言を返すタイミングですら気にするようになってしまった。相手が何かに集中しているとき、こちらの声かけが邪魔になるのではと感じることもあるし、逆にあいさつしないのも不自然かなと思ってしまう。だからといって明るく元気に話しかけるキャラでもない自分にとっては、ほんの一言のやりとりでも毎回エネルギーを使ってしまう。声をかけるだけのはずが、そこに余計な心配が重なることで、どんどん難しくなっていく。

「優しい」より「下心あり」と思われる恐怖

特に女性に対して何か親切にするとき、「下心がある」と思われるのが怖い。自分はもういい年齢だし、女性に慣れているわけでもない。モテるわけでもないからこそ、余計に誤解されたくないという思いが強くなる。「親切にする=勘違いさせる」という構図が自分の中に根付いてしまっていて、本当にちょっとした優しさすら、封印してしまう。誰かの役に立ちたいという気持ちがあるのに、それを表に出せない自分に、何度も落ち込む。

過去の経験が言動にブレーキをかける

こうした躊躇の根底には、過去の出来事が影響していると思う。たとえば、昔職場で何気なく差し入れをしたとき、「それってどういうつもりなんですか?」と冗談めかして聞かれたことがあった。そのとき笑ってごまかしたけれど、内心はものすごく傷ついた。善意でやったことが、裏を読まれたり、茶化されたりすると、「もうやめよう」と思ってしまう。自分の中で“優しさを出すと損をする”という刷り込みができてしまったのかもしれない。

何気ないつもりの言葉で距離を置かれた日

以前、事務所で働いていた若い女性スタッフに、「寒くないですか?」と聞いたことがある。そのときは本当にエアコンの温度が心配だっただけだったのだが、彼女の反応はよそよそしく、「大丈夫です」とだけ返された。それ以降、彼女からほとんど会話がなくなり、自分の何気ない一言が悪かったのかと何度も考えた。善意が通じなかったとき、自分の立場や年齢を痛感し、軽い言葉を投げることの怖さを思い知った。

良かれと思ってやった行動が裏目に出る

「ちょっとしたことだから」と思ってやった行動が裏目に出た経験は少なくない。道を聞かれた人に丁寧に教えただけなのに、妙に警戒されたり、書類のミスを庇おうとしてフォローしたら「責任逃れしようとしてる」と勘違いされたり。そういう体験が積み重なると、人と接すること自体に慎重になってしまう。結局、自分の中で「人に優しくしても誤解されるだけ」という結論に至ってしまい、優しさの出し方がわからなくなってしまうのだ。

職場という環境がさらに気を遣わせる

司法書士事務所という、少人数で閉じた空間では、人間関係が非常に濃くなりやすい。だからこそ、ちょっとした言動が強く印象に残ってしまいがちだ。「上司と部下」という関係性の中で、どんなにフラットに接しようと思っても、受け取る側の感じ方によって距離が生まれる。私としては、穏やかに気遣いのある職場にしたいだけなのだが、少しでも行き過ぎれば“馴れ馴れしい”や“何か意図があるのでは”と見られてしまう恐れが常につきまとう。

上司としての立場が“普通”を難しくする

たとえば「最近体調どう?」と聞きたくても、「上司からそう言われるとプレッシャーに感じるかも」と思って口を閉ざす。かといって無関心だと冷たい人だと思われるかもしれない。上司という立場は、ちょっとした言葉すら慎重にならざるを得ず、“普通の会話”がとても難しくなる。誰かを気遣いたいのに、その一言が余計なストレスになってしまうのではと気にしすぎてしまうのだ。

事務員との関係も常にバランスを探っている

日々一緒に働いている事務員さんとは、なるべく良い関係を築きたいと思っている。でも、距離が近すぎても、遠すぎても難しい。「これ頼めるかな」と声をかけるときも、忙しそうだとためらってしまうし、逆に無理に気を遣って話しかけると、それもまた不自然になる。感謝の気持ちを伝えたいだけなのに、言葉を選びすぎて、気持ちが届かないことが多い。

「やさしさ」は業務の一環としてしか出せない

結局、職場では“業務としてのやさしさ”しか出せない自分がいる。たとえば、「この書類やっておきますよ」とか「法務局は自分が行きます」といった、あくまで仕事の延長線上でしかやさしさを見せられない。それ以外の言葉や行動には、「変に思われたら困る」という警戒心が勝ってしまい、なかなか踏み込めない。人と自然に接するのがこんなにも難しいとは思わなかった。

距離感に敏感になりすぎて心が疲れる

人との関係で常に“誤解されないように”を意識しすぎて、心がとても疲れている。優しくしたいのに、その一歩が踏み出せない。ちょっと声をかけたいだけなのに、それができずに後悔する。誰かを気遣いたいと思うたびに、「これはどう受け取られるだろう」と考えすぎて、結局何もできなくなってしまう。このジレンマの中で、優しさがどんどん押し込められていく。

本心ではもっと雑談や笑顔を交わしたい

事務所の空気が明るい方がいいし、ちょっとした雑談でお互いにリラックスできるような環境にしたいと、本心では思っている。仕事の合間に冗談を言ったり、世間話をしたり、そんな関係が理想だ。でも、相手の反応を気にしすぎて、つい黙ってしまうことが多い。話しかけようと思った瞬間、頭の中で「やめておこう」という声が出てきて、自分の口を閉じさせる。

でも誤解されるくらいなら黙っていた方が楽

優しさが誤解されるくらいなら、最初から出さない方がいい。そう思ってしまうことが増えた。誰かに気を遣ったつもりが空回りして、相手に気を遣わせてしまうくらいなら、沈黙の方がましだと。そんなふうに割り切ってしまうと、自分の中のやさしさまで無かったことにしてしまいそうで、時々虚しさを感じる。人間関係って、本当に難しい。

優しさが伝わらないもどかしさ

相手に伝えたい想いがあっても、それが届かないどころか逆に誤解されることがあると、本当にやるせない。仕事中の一言、さりげない行動、そういったものに込めた気持ちが空振りするたび、「自分って不器用だな」と感じる。どんなに気をつけても、伝わらないときは伝わらない。そのもどかしさは、年齢を重ねるごとにじわじわと重くのしかかってくる。

気にかけてるのに無関心に見えてしまう

こちらは気にかけているつもりでも、言葉にできなければ、相手からは無関心に見えてしまう。何も言わない=興味がない、と受け取られるのは自然なことだ。けれど、あえて何も言わないのは、誤解を避けるための選択だったりもする。このジレンマのせいで、どんどん距離が開いていってしまう。相手のためを思っての沈黙が、結果的にはすれ違いを生んでしまうのだ。

相手に気を使わせたくないという逆効果

自分が何か言ったことで、相手が気を使ってしまったら嫌だなという思いから、何も言わずにいることがある。でもそれは結果的に、相手にとっては「無視された」とか「興味がないのかも」と感じさせる行動になってしまうこともある。相手に気を使わせないようにと考えた結果、逆に気まずさを生む。優しさって、言葉にしないと届かないものだと、改めて感じる。

それでも人との関係を諦めたくない

誤解されるのが怖い、優しさが伝わらない、それでも人とつながっていたいという気持ちは消えない。どんなに不器用でも、心のどこかで「もう少しうまくやれたらな」と思っている。だからこそ、少しずつでも、優しさを出せる自分に戻っていきたい。無理をせず、でも逃げすぎず、人との関係にもう一度向き合ってみたい。

誤解を恐れて何もしない自分を変えたい

怖がってばかりでは、何も変わらない。だから最近は、ほんの小さなことでいいから、気持ちを伝えるようにしている。「ありがとうございます」ときちんと声に出す、「助かりました」と笑顔を見せる。それだけでも少し空気が変わるのを感じる。誤解を恐れて何もしないのではなく、自分なりの伝え方を模索していきたいと思う。

少しずつ“誤解されない優しさ”を練習する

急に変わろうとしなくてもいい。少しずつでいい。たとえば、お茶を出してくれたときに「今日は香りがいいですね」と一言添えるだけでも、相手は「ちゃんと見てくれてるんだな」と感じてくれるかもしれない。優しさは、言葉や行動の中にちゃんと息づいている。誤解されないようにと自分を抑えるよりも、丁寧に、誠実に、伝えていくことを心がけたい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。