ホコリをかぶったギターと、今の自分
仕事が終わってふと部屋の隅に目をやると、ギターケースの上にうっすら積もったホコリに気づく。昔はあんなに触れていたのに、もう何ヶ月もケースを開けていない。開けたら弦はきっと錆びていて、音も狂っているだろう。だけど、それ以上に問題なのは「ギターを弾こう」という気持ちさえ湧いてこないこと。疲れているのか、気力がないのか、自分でもよくわからない。ただ、あのホコリは今の自分を映す鏡みたいだ。情けないやら、悲しいやら。かつての自分に顔向けできない気がしてくる。
かつての「楽しみ」が、今ではプレッシャーに
学生時代や開業直後の頃は、趣味が自分を支えてくれていた。ギターを弾いているときだけは、誰とも比べられず、評価もされず、ただ音と向き合っていればよかった。それが今では、ケースを開けることすら怖くなっている。「こんなに弾けなくなってたらどうしよう」とか「時間がないくせに、何やってんだ」とか。いつの間にか、楽しみだったはずの趣味が、失敗や現実逃避を責める存在になってしまっている。そんな自分をさらに責める、負のループが続いている。
音を出すことさえ億劫になる日々
ギターだけじゃない。昔よく撮っていたカメラも、読みかけの小説も、釣り竿も同じようにホコリをかぶっている。道具は変わらずそこにあるのに、手を伸ばす自分がいない。音を出せば、きっと気持ちは少し動くはずなのに、「どうせうまくいかない」とか「時間がもったいない」とか言い訳が先に出る。日々の業務、依頼者対応、法務局とのやりとりに追われていると、趣味に使うエネルギーが残っていない。
“またいつか”の繰り返しが増えていく
「今度の土日にでも弾こうかな」「この案件が落ち着いたら読もう」――そう思って道具の前を通り過ぎる。その「また今度」が、気づけば半年、一年と過ぎていく。趣味というのは、時間があるからできるんじゃなくて、やるから時間が生まれるものなのかもしれない。でも、毎日気力をすり減らして仕事をしていると、そんな前向きな考えはどこかへ飛んでいく。「今は無理」が口癖になっている。
忙しさのせいにしているけれど
「忙しいから」と言えば、誰も責めてこないし、自分も逃げられる。でも、本当のところは違うんじゃないかと思ってしまう。仕事が終わって、布団に入ってからスマホを1時間もだらだら見ている時間がある。それをギターに使おうとは思わない。もはや疲れすぎていて、何かを始めるのが怖い。新しいことを覚え直すのも、失敗するのも、面倒くさい。だから、趣味じゃなくて、ただ時間が過ぎるのを待つような過ごし方ばかりしてしまう。
本当に時間がないのか、心の余裕がないのか
一日中仕事をしているわけではない。夕方には帰ってきて、事務員が帰ったあと、30分ほど机に突っ伏してぼーっとしている時間だってある。でも、心がすり減っていると、その30分でさえ何もできない。趣味に限らず、誰かに連絡を取るのも、外に出るのも、億劫でたまらない。時間よりも、心の余裕こそが今の自分には欠けているんだと思う。気づいてはいるのに、どうすれば取り戻せるのかがわからない。
自分の優先順位がわからなくなる
毎日、急ぎの書類や期限のある仕事をこなすことに必死で、それが終わると何も考えたくなくなる。趣味も人間関係も、全部「あとまわし」。そうしているうちに、本当に大事だったものさえ見失ってしまう。かつては「自分の好きなこと」を大事にしていたのに、今はただ「誰にも迷惑をかけずに終わる一日」を過ごすだけ。これでいいのか?と思いながら、それでも今日も仕事を優先するしかない。
仕事に追われる毎日と、すり減る気力
地方で司法書士をやっていると、想像以上にやることが多い。登記だけじゃなく、相続の相談から、後見、書類作成、果ては「これって法律ですか?」というような雑談めいた相談まで。事務員も一人だから、相談の電話が鳴れば全部自分。たとえ休みの日でも、出先でも、対応しなきゃという気持ちが抜けない。気づけば心が常に緊張状態で、何か新しいことをやる余裕なんてあるはずもない。
案件の波にのまれて見失う「自分」
案件は不思議なもので、来ないときは全く来ないのに、来るときはドッと重なる。自分で調整できないから、波にのまれるしかない。そして気がつけば、朝起きてから寝るまで、ずっと「依頼人目線」で物事を考えている。そうしているうちに、自分の感情や希望がどこかへ消えていく。たまにふと我に返ったとき、「オレって今、何が好きだったんだっけ?」とわからなくなる瞬間がある。怖いけど、それが現実だ。
登記申請の締切に追われる日常
法務局の締切、補正、依頼人の急ぎ対応。「何日までに何をやって」と頭の中は常にタスク管理状態。たまには手帳に書ききれず、夜中に夢にまで出てくる。しかも、感謝されることは少なく、ミスをすれば即クレーム。だから気が抜けない。結果、気がつけば趣味に充てる気力も、頭のスペースもどこにも残っていない。音楽のコード進行を考える余裕なんて、どこにあるっていうんだ。
誰にも頼れないという錯覚
事務所をひとりで回していると、「自分がやらなきゃ」という気持ちがどんどん強くなる。本当は誰かに任せられることもあるのに、信用できなかったり、迷惑をかけたくなかったりで、結局全部自分で抱え込む。そうやって自分をどんどん追い詰めていくのが、今の働き方だ。でも、そういう自分を誰も止めてくれないし、共感してくれる人も少ない。相談する相手がいないと、ますます「一人でやるしかない」って思ってしまう。
「趣味なんて贅沢」と思ってしまう自分
たまに時間ができても、ふと「趣味なんて贅沢じゃないか」と思ってしまう。今の状況で、音楽や釣りをやるなんて、逃げているようで気が引ける。頑張ってる人ほど、自分の楽しみを「無駄」だと思いがちだ。でも、心が枯れていくのを感じたとき、「このままでいいのか」とも思う。結局、どこまで自分を許せるか、自分を支えるものを信じられるか、そんな話なのかもしれない。
忙しい人間ほど、趣味を忘れてしまう
皮肉な話だけど、本当に忙しい人ほど、趣味を「後回し」にしてしまう。やる気がなくてやらないわけじゃなく、「やっちゃいけない気がする」から手を出せない。そのまま年月が過ぎて、道具にホコリが積もる。そして、久しぶりに道具に触れようとすると、自分の鈍った感覚に愕然とする。結局、それもまたやる気を奪う。そんな負のスパイラルが、今の自分にはぴったりすぎて笑えてくる。
楽しみ方を忘れた司法書士
いつからか、「楽しいってどんな感じだったっけ?」と思うようになった。ギターの音も、釣りの静けさも、心に染み込んでこない。仕事のことで頭がいっぱいで、楽しむための感覚がどこかへ行ってしまった。でも、そんな自分にも、まだあのホコリを払う勇気さえあれば、何かが変わる気がする。道具はずっと待っていてくれる。だから、自分が変わるしかないんだ。