そもそも誰かと話す時間がない

そもそも誰かと話す時間がない

気づけば誰とも会話していない日常

ふと一日を振り返ると、「あれ、今日誰かと話したっけ?」と思うことがある。事務所には事務員さんが一人いてくれるけれど、お互い忙しくて言葉を交わすのは必要最低限。そんな日が増えてくると、話すこと自体が少し億劫になる。気がつけば、コンビニのレジで「ありがとうございます」と言った一言が、唯一の会話だったという日もある。自営業である以上、誰かに愚痴をこぼすわけにもいかないし、かといって一人で抱え込んでいるうちに、言葉が心の奥底に沈んでしまう。

一日中、声を出さないまま終わることも

本当にあるんですよ、一言も声を出さずに一日が終わることが。電話が鳴らなければ、誰とも話さないまま業務だけこなして、夜にはヘトヘト。誰かに連絡を取ろうかとスマホを手にしても、「いま忙しいかもな」「話す元気ないな」と躊躇して、結局置いてしまう。そんな日が何日も続くと、話すという行為そのものが非日常になってしまう。声を出さない生活が常態化すると、たまに誰かと話したときに自分の声に違和感を覚えるほどだ。

事務所の中に人はいる、でも会話はない

事務員さんがいてくれて助かっている。でも、互いに黙々と作業をしていて、空気は常にピリピリ。こちらの余裕がないのが伝わるのか、話しかけられることもほとんどない。無理に雑談する必要はない。でも、ちょっとしたやり取りや、どうでもいい一言が仕事の張りを和らげることもある。けれど今の僕にはその「どうでもよさ」が足りない。目の前のタスクをこなすのに必死で、心のゆとりを削りながら日々が過ぎていく。

「話すこと」がタスクになってしまう現実

昔は誰かと話すのが好きだった。世間話も、仕事の悩みも、たわいのないことも。けれど今は、「誰かと話す」ことさえも、タスクの一つとして頭の中に組み込まれてしまっている。「この案件終わったら少し雑談してもいいかも」と考える時点で、すでにそれは自然な会話じゃない。義務のようになった会話ほど疲れるものはない。コミュニケーションのはずが、負荷に感じている自分に気づいて、ますます話せなくなる。

忙しさに押し流されていく生活リズム

開業して十数年、いつの間にか「忙しい」が口癖になった。いや、実際に忙しいんだけど、それ以上に心の余裕がない。スケジュールは自分で決めているはずなのに、気づけば常に誰かに追われている気がする。業務の合間に誰かと雑談なんて…そんな贅沢していいのかとすら思ってしまう。そりゃ話せないわけだ、と苦笑いしたくなる。

スケジュールに追われる日々の感覚

カレンダーは常にぎっしり。一つでもズレたら、すべてがドミノ倒しのように崩れてしまう。だからこそ、一つひとつ丁寧にやらなきゃいけないと思えば思うほど、自分を追い詰めてしまう。話す時間がないんじゃない、話す「余地」がないんだ。例えるなら、音楽を聴く余裕のない満員電車。誰かと話すという行為は、その空間に音楽を流すようなもので、今の僕にはそれをするスペースも、気力もない。

話す余裕=心の余裕、そんなものどこにあるのか

結局、「話す時間がない」というのは、物理的な問題だけじゃない。精神的なゆとりが欠けているから、誰かと話すことにすら疲れてしまう。相談されても、答える力がない。笑顔で返せばいい場面でも、無表情になってしまう自分が嫌になる。それでも仕事は待ってくれないし、誰かが助けてくれるわけでもない。だからまた今日も、沈黙の中で一日が終わっていく。

「話す時間を作るべき」と言われても

たまに誰かに「もっと誰かと話したほうがいいよ」と言われることがある。それが正論だとわかっていても、正論が一番つらいときがある。こっちは必死で回してるのに、それを「足りてないよ」と言われると、どこから手をつけていいのかわからなくなる。無理だよ、と思ってしまう自分が、ますます誰とも話せなくさせる。

正論なのはわかってる、でも現実が追いつかない

「時間は作るもの」だって?それは余裕がある人の言葉だ。朝から晩まで書類に追われ、締切に追われ、補正に怯えながら仕事してると、頭の中は常にパンパン。少しでも気を抜いたら、何かが抜けてしまう恐怖がある。その中で「誰かと話す余裕を持とう」なんて、まるで夢物語だ。わかってる、わかってるけど、だからこそ苦しい。

相談したくても「今、手が離せない」が口癖に

誰かに相談しようとしたとき、まず口から出るのが「今ちょっと忙しくて」。それは相手にも、自分にも言い訳してるんだと思う。本当は誰かに話を聞いてほしい。でも、それを認めてしまうと、心が崩れそうで怖い。だからまた「あとで話そう」「時間ができたら」と先延ばしにする。そして、その“あとで”は来ない。

「余裕ができたらね」の繰り返しが習慣化する

そのうち、「余裕ができたら話す」が口癖になる。でも、余裕なんてできるわけがない。それをわかっていながら、言い訳のように毎回同じ言葉を繰り返している。そうしているうちに、誰とも話さない日常が習慣になってしまう。「話すこと」が特別になってしまう。そして、ますます話すことから遠ざかっていく。

それでも話す時間をどうにか確保したい

ここまで書いておいて矛盾してるようだけど、やっぱり誰かと話す時間は必要なんだと思う。体と同じで、心にもメンテナンスがいる。そのために、たとえ5分でも、無理やりにでも時間をひねり出して、誰かと会話する。そんな些細な一歩が、自分を少しだけ救ってくれる気がしている。

まずは一言、雑談から始めてみる

気の利いたことを話す必要なんてない。「お疲れさま」とか、「今日は暑いですね」でもいい。誰かと声を交わすこと自体が、自分の中の閉ざされた扉をノックするようなものだ。それができるようになるだけでも、ちょっと気持ちが軽くなる。そして、また誰かと話してみようかな、という気持ちが芽生えてくる。

会話のために予定を少しずらしてみる

スケジュールを詰めすぎているなら、ほんの少しだけ緩めてみる。10分早く終わらせようと意識するだけで、その10分を雑談や会話に使うことができる。その時間は無駄じゃない。心を整えるための、大切な「投資」だと考えよう。そう思えるようになったら、少しずつだけど、日常に会話が戻ってくる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。