誰かと一緒にやれたらと思う瞬間
司法書士という仕事は、基本的にひとりで抱え込むことが多い。案件の処理はクライアント対応、書類の山、急な登記の依頼に、電話と来客対応まで。すべてを自分でさばくのが当然とされているけれど、正直、そんなに器用でもない。そんな日々を続けていると、ふと「この仕事、誰かと一緒にやれたら…」という思いが湧いてくる。特に、事務員が休みの日などは、そんな気持ちが強くなる。
登記の山を前にひとり呆然とする午後
午後3時を過ぎたあたりで、机の上に積み重なった登記申請書類を眺めながら、ふと手が止まる。電話は鳴り、メールは溜まり、クライアントからの催促もある。そのすべてを一人で処理しようとすると、気持ちばかりが焦って手が動かない。書類の文字すら頭に入ってこない。そんなとき、「誰かもう一人いれば…」という思いが、自然に浮かぶ。別に専門家じゃなくてもいい。ただ、横にいてくれるだけで、気持ちが違うと思う。
電話は鳴りっぱなし、来客対応も重なる
忙しいときに限って電話は鳴るし、来客も重なる。登記書類をチェックしている最中に電話が鳴ると、気持ちが中断される。ようやく話が終わっても、さっきまで何をしていたのか忘れてしまう。そんなことが一日に何度も起きる。昔、事務員がインフルエンザで一週間休んだとき、私は仕事の手を止めてお湯を沸かし、お茶を出し、コピーをとり、そしてまた電話を取っていた。「これ、俺じゃなくてもできるのに」と心底思った。
事務員不在の日の孤独感は異常
たった一人の事務員がいないだけで、事務所は異常なほど静かになる。誰とも会話を交わさず、ただ黙々とパソコンを叩き、紙をめくり、印鑑を押す。昼食すらコンビニのおにぎりをかじりながら、机に向かったままだ。仕事が進まない焦りと、会話のない寂しさが重なると、自分が機械になったような感覚になる。「誰かと一緒にやれたら、少しはマシなのに」そんな声が、心の中で何度もリフレインする。
「やれる」と「やりたい」は違う話
この仕事、一人でも「やれる」けど、それが「やりたいこと」かと言われると別の話だ。能力的には回せる。だけど、それは余裕があるという意味ではない。むしろ、ギリギリの綱渡りで、毎日何かしら取りこぼしている気がしている。やろうと思えば全部自分でこなせる。だけど、「やりたいこと」はもっと違う。人と一緒に知恵を出し合って、支え合いながら進めていくような、そんな働き方ができたら、どんなにいいだろう。
業務はこなせても心は摩耗する
外から見れば順調そうに見えるかもしれない。申請は通っているし、クレームもない。でも実際には、夜遅くまで仕事をして、心身ともに疲弊している。効率よく回せるスキルはあるが、それを支える精神力が削られていく。時には「これ、誰かに任せたい」と思ってしまうし、「もうちょっと気持ちに余裕を持ちたい」とも願う。けれど、頼れる人もいなければ、頼む余裕もない。そんな矛盾が、日常になっている。
雑談すらない日々の空虚さ
仕事中、誰とも一言もしゃべらない日がある。電話でのやり取りはあっても、笑い合うような会話は皆無。昔、アルバイトで働いていた喫茶店では、店長とくだらない話をしながら片付けをした記憶がある。そのときの空気の温かさが、今になって懐かしい。司法書士になってから、そんな雑談はすっかり消えた。誰かと働くことの価値は、単に仕事の分担だけじゃない。「笑い合える空気」もまた、働く上で大切なのだと感じる。
なぜ「一緒にやる」が難しいのか
「一緒にやれたらいいのに」と思っても、現実は簡単じゃない。人を雇うにはコストもかかるし、教える手間もある。うまくいく保証もない。何より、これまで一人でやってきた自分のやり方を、誰かと共有することに、どこか抵抗があるのも事実だ。
人を雇うというプレッシャー
ひとり事務所とはいえ、人を雇うとその人の生活を背負うことになる。「来月の給料、払えるだろうか」と不安になったこともある。特に地方の小規模事務所では、景気の波に影響されやすく、先の見通しが立てづらい。それでも人を雇えば、毎月固定の支出が生まれる。それがプレッシャーとなり、結局一人で無理してでも回そうとしてしまう。心のどこかで「一人のほうが気楽」という思いも拭いきれない。
経営と生活費のバランス
事務所の売上だけで生活が成り立っている状態では、人を雇う余裕なんてそう簡単には生まれない。自分の生活費を削ってまで雇う覚悟があるか、と言われれば、正直そこまでの余裕はない。小さな出費すら気にしながら事務所を回しているのに、人件費なんて大きな固定費を増やす勇気がない。「無理して雇って、共倒れしたらどうする?」と、自問自答を繰り返す日々だ。
教える手間と育てる時間の矛盾
人を雇ったところで、すぐに戦力になるわけじゃない。むしろ、最初のうちは教える手間が増えて、かえって自分の負担が増える。そう考えると、「今は忙しいから、落ち着いたら…」と先延ばしにしてしまう。でも、忙しいからこそ人が必要なのに、その矛盾に気づいても動けない。結局、負のループから抜け出せないまま、今日もひとりで机に向かっている。
士業の「孤独は当たり前」文化
司法書士に限らず、士業の世界は「孤独が当たり前」という空気がある。自分の事務所、自分の責任、自分の判断。それが当然のように求められる世界だ。でも、それが本当に良いことなのかと疑問に思う。孤独がプロフェッショナルの証みたいな風潮に、少し疲れてしまう自分もいる。
相談しにくい、助けも呼びにくい風土
「困ったときはお互いさま」とは言うけれど、実際には誰にも相談できないことが多い。特に同業者には弱みを見せたくないし、プライドもある。周りに頼れない環境が、ますます孤立を深める。「助けて」と言えたら、少しは楽になるのかもしれない。それでも口にできずに、一人で抱え込んでしまう。それが士業の性(さが)なのかもしれない。
それでも、まだ一人でやっている理由
結局のところ、一人でやることに慣れてしまったというのが大きいのだろう。苦しいけど、誰にも迷惑をかけずに済む。気を遣わずに済む。そんな小さな安心感が、変化への一歩を妨げている。でも本音を言えば、誰かと一緒にやれたら、どんなに救われるだろうかと思っている。
期待と現実のギャップが怖い
誰かと一緒にやる理想を思い描いても、現実はそううまくいかないだろうという不安がある。いい人が見つかる保証もなければ、うまく関係性を築けるかもわからない。下手をすれば、かえってストレスが増える可能性だってある。だからこそ、理想を抱きながらも動けない。人と関わることの難しさを知っているからこそ、なおさら慎重になる。
自分の弱さをさらけ出せない
「一緒にやろう」と言える人がいないわけじゃない。でも、いざとなると声をかけられない。弱さを見せたくない、自分でやれると思われたい、そんな気持ちが邪魔をする。気づけば、「頼るくらいなら一人でやった方がマシ」と思ってしまう自分がいる。でも、本当にそうだろうか? 本当は誰かに助けてほしいのに、その一言が言えずにいるだけなのかもしれない。