朝起きた瞬間から始まる「もう無理かも」
目が覚めた瞬間、「ああ、また今日が始まるのか」とため息が出る。それが毎日のスタート。司法書士として独立して十数年、地方で細々と事務所を構えているが、朝の気持ちは少しも晴れない。夢の中でさえ「補正の連絡が来た」なんてうなされる始末。目覚ましを止めて、布団の中で現実逃避する時間が、今では日課になっている。
出勤前に心折れる日常
顔を洗って、歯を磨いて、スーツを着て……その一つ一つが重たい。車に乗り込む前に、自宅の玄関で一度ため息をつくのも、もう習慣。事務所までは車で10分ほどだけど、心はすでに折れている。「今日は登記何件あるんだっけ」「クレーム来てないかな」と、気がかりばかりでエンジンが重く感じる。仕事に行くのではなく、“戦場”に向かっているような気分になる。
毎朝の憂鬱とルーティンの無意味さ
コーヒーを淹れても、味はしない。朝に出す郵便物を確認するが、目が滑って内容が頭に入らない。時間に追われているはずなのに、無駄に時間だけが過ぎていく。ルーティンが自分を守っているようで、実は縛っているんじゃないかと思うことすらある。そんな朝が、月曜から土曜まで繰り返される。カレンダーを見て、「今日は何曜日か」じゃなくて「あと何日働けば休めるか」でカウントするようになった。
「今日もあの山のような書類か…」
机に山積みになった書類を見ると、ため息が勝手に出る。昨日のうちに手を付けるべきだったと思いつつ、今日になっても気が進まない。書類を処理しても、「はい、終わり」ではなく、「次の依頼、来てますよ」と事務員が無邪気に告げてくる。悪気はないのはわかってる。だけど、「はい、次」が永遠に続くこの業界で、どこまで自分の気力が持つのか、本当にわからなくなる。
事務所の静けさが逆にストレス
地方の小さな事務所だから、電話が鳴らない時間のほうが長い。静かなのはありがたいけれど、あまりに静かすぎると、自分の心の声ばかりが響いてくる。「この先どうする?」「あと何年続けるつもり?」と。誰も答えてくれない問いが、頭の中でループし続ける。
一人事務所の孤独と責任
従業員はひとりの事務員さん。真面目にやってくれるのはありがたいけど、責任はすべてこちらにのしかかってくる。何かミスがあれば、結局「所長の責任」となる世界。たとえ事務員の入力ミスでも、説明不足だった自分が悪いのだと言い聞かせる。それが小さな組織の現実であり、逃げ場のなさでもある。
事務員に気を遣いすぎて疲れる
気を遣わないと「ブラックな職場」って言われそうで、気を遣いすぎると「頼りない」って言われそう。ちょうどいい距離感なんてわからないまま、いつの間にか自分ばかりが疲れていく。昼ごはんに何食べたか聞くタイミングひとつとっても気を遣う。「優しい所長」と思われたいわけじゃないのに、無意識にそう振る舞っている自分にまた疲れる。
気を遣っても報われない現実
一度、事務員に「もっとこうしてもらえると助かる」と言ったら、次の日からギクシャクしはじめたことがある。たぶん、言い方が悪かったんだと思う。でも、完璧な言い回しなんて日々の中では無理だ。結局、自分の中に不満をため込んで、一日一愚痴でなんとかバランスを保っている。
お客様対応という名のストレス地獄
登記業務って、実は「法律のプロ」よりも「説明のプロ」であることを求められる気がする。こっちはルール通りにやっているつもりでも、「なんでそれが必要なんですか?」と詰められる。相手は当然、法務の素人だからこそ、その質問は正当。でも、同じことを何度も何度も説明して、なお納得してもらえないと、やはり疲弊する。
クレーム対応で心がすり減る
「急いでくれるって言ったじゃないですか」「前に頼んだ時はもっと早かったのに」──どれも言われたことがある言葉。感情的な言葉の裏には、こちらの努力を一切見ていない無理解がある。全員がそうじゃない。でも、一人でもそういうクレームがあると、それが一日中、頭の片隅にこびりついて離れない。
理不尽な要求との付き合い方
「今日中に登記できますか?」という無茶ぶり。事情を聞くと、書類も印鑑証明もまだ準備できていない。にもかかわらず「なんとかして」と迫られる。断れば「冷たい司法書士」と思われるし、引き受ければ自分の首を絞めるだけ。そんなジレンマに、何度も押しつぶされそうになる。
「あなたに頼んだのが間違いだった」と言われた日
一度、どうにもならない事情が重なって納期に間に合わなかったことがある。全力を尽くしたが、お客様は怒り心頭。「あなたに頼んだのが間違いだった」と吐き捨てるように言われ、何も言い返せなかった。あのときの胸の痛みは、今でも思い出すと少し苦しくなる。だからこそ、愚痴のひとつでも言わないと、心が持たない。