人間関係が希薄になっていく怖さ

人間関係が希薄になっていく怖さ

気づけば独りでいる時間が増えていた

日々の業務に追われるうちに、「あれ、最近誰ともゆっくり話してないな」と感じる瞬間が増えてきた。昔はもう少し人とのつながりを感じていた気がするのに、今では朝から晩までパソコンと書類と向き合うばかり。昼ご飯も一人、帰り道も無言。事務員さんがいてくれるのが救いだが、会話といえば業務連絡ばかりで、なんだか事務所全体が静まり返っている。地方の小さな事務所だからこそ、外との接点が限られていることも拍車をかけている気がする。

忙しさにかまけていたら、声をかける人が減っていた

「落ち着いたら飲みに行こう」「今度お茶でも」そんな言葉を交わす機会もあるにはある。けれど、実際に行動に移すことはめったにない。先延ばしにしているうちに月日が流れ、気がつけば連絡先すら忘れてしまった知人もいる。忙しさを理由に、人付き合いを後回しにしてきたツケが、今じわじわと効いているのを感じる。自分ではそんなつもりはなかったけれど、相手から見たら「もう誘わない方がいい人」に見えているのかもしれない。

「今度飲みに行きましょう」が社交辞令で終わる日々

言葉としては悪くないけど、何度も繰り返されるうちに重みを失っていく。「また連絡しますね」というフレーズに、自分が何度助けられ、そして何度落胆したことか。相手も同じように感じていたのかもしれない。お互いに遠慮して、本音を口にできず、結局何も変わらないまま時が過ぎる。気づいたら、人と約束すること自体が億劫になっていた。そんな自分に気づいて、なんとも言えない虚しさがこみ上げてくる。

気づけば数ヶ月、誰とも雑談していない現実

ある日ふと、何気ない会話って最後にいつしただろうと考え込んだ。仕事以外の話題で盛り上がった記憶が、思い出せない。天気の話さえも形式的で、笑い合うことがなくなっていた。事務所内も静かで、誰かの声が響くこともない。独りでいることに慣れたのか、耐えているのか、それさえも分からなくなっていた。

事務所内も無音の日がある

朝の「おはようございます」以外、特に言葉を交わすことなく1日が終わる日もある。事務員さんは真面目で淡々と仕事をこなしてくれている。それはとてもありがたいことなのだけど、それでもやはり、どこか無機質な空気が流れている気がしてならない。BGMでも流そうかと思うこともあるけれど、今さら変に思われないかと躊躇してしまう。こういう小さな「気まずさ」の積み重ねが、人間関係を静かに壊していくのかもしれない。

事務員さんとの距離感、縮まらないまま時間だけが過ぎる

距離を保ちすぎてしまったのかもしれない。プライベートには踏み込まず、ただ仕事だけを共有する関係。大人としては正しい距離なのかもしれないが、同じ空間にいながら、心が離れていくのは寂しい。もっと話してみたい気持ちはあるのに、どう切り出していいか分からず、結局何も変えられないまま、今日もまた同じ一日が過ぎていく。

言葉を交わすのは業務連絡だけ、雑談ができない空気

「今日寒いですね」すら言い出せない空気が、いつの間にか事務所に定着してしまった。別に険悪なわけじゃない。ただ、淡々と、粛々と、それぞれの仕事に向き合っているだけ。でもそこに「人」としてのぬくもりはない。人間関係が希薄になるって、こういう静かな進行なのかもしれない。

「話しかける勇気」がどんどん削れていく

昔はもっと自然に声をかけられた。連絡を取ることに抵抗なんてなかったし、誘いにも気軽に応じていた。でも今は、誰かにメッセージを送るだけでも変に緊張する。「こんなことで連絡したら迷惑かな」なんて考えてしまって、結局やめる。自分が一歩を踏み出せないことが、さらに関係を遠ざけてしまっているのに。

昔はもっと気軽に連絡できたのに

学生時代の友人、前職の知人、ほんの数年前までは気軽に「元気?」と送れていたLINEも、今では何を書けばいいか分からない。スタンプ一つすら送れない自分がいる。相手はきっと忙しいだろう、自分なんかの連絡で時間を奪うのは申し訳ない、そんなふうに考えてしまう。だけど、それが逆に「自分から関係を断っている」ようにも思えて、ますます自己嫌悪に陥る。

電話一本かけるのに、妙な緊張が走るようになった

昔は電話なんて、なんでもないツールだった。けれど今では、番号を押す手が止まってしまう。心のどこかで「出なかったらどうしよう」「変に思われたらどうしよう」と思ってしまうのだ。たった数分の会話に、こんなに気を使うようになったのはいつからだろう。人と話すこと自体が、こんなにも高いハードルになってしまっている。

「今このタイミングで連絡していいのかな」とためらう自分

夜だと悪いかもしれない、昼間は忙しいかもしれない、週末は家族といるかもしれない…そんな「かもしれない」に気を取られて、連絡ボタンを押せない。自分が関係を壊すのを怖がって、結局何も動けない。人間関係が希薄になるのは、相手のせいじゃなくて、自分の中の恐れのせいなのかもしれない。

孤独と無関心の中で、自分が無色透明になっていく感覚

誰かと深く関わることが少なくなっていくと、自分という存在の輪郭すら曖昧になってくる気がする。仕事は淡々とこなしていても、「誰のために」「何のために」やっているのかが見えなくなることがある。役割はあっても、存在感がない。そんな気持ちに襲われる夜が、最近増えてきた。

存在を実感できる場が減っている

人から感謝されたり、頼られたりすることって、やっぱり必要だ。自分が誰かに必要とされている実感があるからこそ、日々頑張れる。でもその「場」が減っていくと、だんだんと自分の存在が薄れていくような気がしてくる。誰かに話しかけてもらえるだけで、「あ、自分ってここにいるんだな」と思えるのに。

誰かに必要とされている実感が持てない怖さ

事務所で一人で過ごす時間、黙々と書類をこなす時間、それが「生きている時間」なのか、「消費されている時間」なのか分からなくなることがある。誰かに声をかけられたり、「ありがとう」と言ってもらえたりするだけで、その日一日が少しだけ報われる。でも、最近はそんな瞬間も少なくなってしまった。

「いてもいなくても変わらない」と思ってしまう瞬間

朝起きて、事務所に行って、仕事をして帰る。それが何の意味を持つのか分からなくなるときがある。自分がいても、いなくても、世の中は何も変わらない。そんなふうに思ってしまう日がある。それでも、誰かに声をかけられたとき、「あ、自分はまだここにいていいんだ」と少しだけ救われる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。