朝イチの通知に心が折れる
スマホの通知音が鳴るだけで、心臓が一瞬止まりそうになる。それが「またアレ系か」と察しがつく案件だったときには、ベッドから出る気力すらなくなる。司法書士という仕事柄、緊急対応やイレギュラーな案件は避けて通れないが、それがなぜかいつも自分に回ってくる。週明けの月曜、朝9時前に「至急お願いできますか?」と送られてきたメッセージを見た瞬間、「誰か、代わってくれませんか…」と本気で呟いた。心の底から。
なぜか自分にだけ回ってくるやっかいな案件
昔からそうだった。学生時代のグループ課題でも、誰もやりたがらないパートがなぜか自分に回ってきた。今も変わらない。債務整理に関する複雑な案件、相続人が10人以上の相続登記、依頼者同士が揉めていて電話するのも一苦労な案件…。たまには誰かが引き受けてくれたっていいはずなのに、気づけば「稲垣さんにお願いしたくて」という言葉がセットになっている。
「またか」の連続に慣れてしまった感覚
慣れというのは怖いもので、「また自分か」と思うと同時に、文句を言う気すら起きなくなってくる。人は本当に疲れると、怒りも悲しみも出てこなくなるらしい。淡々と書類を確認し、電話をかけ、必要書類の手配をしていく。「この人、誰にも頼れないから、結局やるしかないんだな」と、ふと他人事のように感じる瞬間がある。それでも、身体は動く。だから今日もやってしまう。
一度だけでいいから他の人にお願いしたい
ふと夢を見ることがある。「あの案件、代わっておきましたよ」と誰かが言ってくれたら、どれだけ救われるだろうかと。でも現実には、そんなことはまず起きない。自分がやらなきゃ、誰かが困る。依頼者が不安になる。わかってる。でも、たった一度でいい。「今日は僕がやりますよ」って、誰かが代わってくれる日があったら。それが叶わないから、今日も黙って着手する。
事務員に任せられない種類の仕事が増えていく
事務員は一人。とても頑張ってくれているけど、対応できる範囲には限界がある。特に感情的になっている依頼者との交渉や、戸籍の読み込みが必要な案件は、どうしても僕が出るしかない。あれもこれも「専門的な判断が必要だから」と言いながら、自分のタスクがどんどん積み重なっていく。任せたくても任せられない。そのジレンマが、また一つため息を生む。
結局、自分がやるしかない現実
「忙しいなら断れば?」と簡単に言う人もいるが、田舎の事務所でそれは現実的じゃない。口コミが命。誰かが困っていて、それを自分が断ったら「冷たい人だ」と言われかねない。結局、引き受けてしまう。それがクセになってしまっているのも事実。依頼者の「助かりました」の一言で、また次も頑張ろうと思ってしまうのだ。
後回しにすればするほど厄介に
やっかいな案件ほど、先送りにすればするほどこじれる。連絡の行き違い、書類の不備、期限切れのリスク…。それを知っているから、余計に「後でやろう」ができない。だからこそ、気づけば朝イチで手をつけてしまっている自分がいる。誰にも頼めないから、結局は「今すぐやる」の一択しかない。疲れた顔でパソコンを開くのが日課になった。
誰かに頼ることができない環境の重さ
「信頼されてる証拠ですよ」と言われるたびに、苦笑いしてしまう。そうじゃない。頼られるのと、任されすぎるのは別物だ。今はもう「任されすぎて身動きが取れない」状態に近い。誰かに頼ることができないのではなく、頼ろうとする気力がなくなってしまったのかもしれない。重さに慣れてしまった自分が怖い。
「代わって」と口に出せない事情
本音では「誰かこの案件代わってほしい」と思っているのに、それを声に出せない自分がいる。どう思われるかが気になるし、そもそも頼める相手が近くにいない。そんな現実が、心の中の叫びを封じ込めていく。声を出すほどの余裕が、もうないのかもしれない。
地方の司法書士という孤独なポジション
都会と違って、地方では司法書士同士の横のつながりが少ない。みんな自分の仕事で手一杯で、相談できる人も限られている。町内会や地元の役職にも顔を出さないといけない。相談したくても、そもそも“同じような悩みを共有できる仲間”が周囲にいないことも多い。「気軽に頼れる人」がいない現実は、想像以上にこたえる。
頼れる同業者はいても頼みづらい
同業者はいる。でも「お願いできる?」と聞いたときの相手の負担を思うと、やっぱり口に出せない。互いに仕事が山積みなのはわかっているから。「手伝ってもらってばかりだな」と思われるのも嫌だし、下手すると今後の関係にも響く。「頼めるけど頼めない」――この距離感が、一番しんどいのかもしれない。
見栄とプライドが素直にさせてくれない
「しんどい」「助けて」と言えないのは、自分の見栄とプライドのせいだと思っている。45歳、独身、事務所を構えて十数年。いまさら「無理です」とは言いにくい。それを言った瞬間に、自分の立場が崩れてしまうような気がして。でも本当は、言ったっていいはずなんだ。自分を追い詰めてるのは、自分自身かもしれない。
断られる恐怖と、自分の責任感
頼んで断られたらどうしよう――。そんな恐怖が頭をよぎる。そうなったら余計に傷つくから、最初から言わない。言えば楽になるのに、言えない。誰かに助けを求めることを「甘え」と思ってしまう責任感が、いつの間にか自分を縛っていた。
結局、引き受けるのが早いと自分に言い聞かせる
結局、引き受けてしまった方が早い。説明する手間もないし、後からトラブルにならないように自分でやる方が安心。そう思い込むことで、自分を納得させている。誰かに助けを求めるより、自分が黙ってやった方が楽なんだ――そうやって、また一つ重い仕事を背負う。
本当はもう少し楽に働きたい
「代わってくれませんか」と本音で言える日が来るなら、それだけで少しは肩の荷が下りる気がする。完璧でなくてもいいから、誰かに助けてもらいながら働けたら。そう思うことすら、贅沢なのだろうか。
「逃げたい」気持ちと戦う日々
仕事が嫌いなわけじゃない。ただ、重すぎるだけだ。逃げたいときもあるし、もう投げ出したいと思うときもある。それでも事務所の看板を背負っているから、簡単には逃げられない。「自分がやらなきゃ」と言い聞かせながら、今日もまたメールを開く。
心の中では毎日「誰か代わって」と叫んでいる
誰にも言えないけれど、実は毎日、心の中で叫んでいる。「誰か代わってくれ」「今日はもう無理だ」って。でもそれを口に出した瞬間、自分が崩れてしまいそうで怖い。だから今日も何食わぬ顔で、依頼者の電話に出る。笑顔の裏には、叫びがある。
それでもやり遂げる理由
苦しくても、疲れていても、やめられない。なぜか。結局、自分の仕事が誰かの安心や助けになっているからだ。「本当に助かりました」「先生に頼んでよかった」その一言で、張り詰めていた糸が少しだけ緩む。その瞬間のために、今日もやり遂げる。
依頼者の「ありがとう」に救われる瞬間
全てが報われるわけではない。でも、ときどき届く「ありがとう」の一言で、何とか続けられている。大したことはしていないと思っていた案件が、実は依頼者にとっては人生を左右する重要な一歩だったりする。そんな瞬間が、たまにあるからこそ、「もう少しだけ頑張ってみるか」と思える。