そろそろ現実見ろって?老後資金なんて残ってませんが、何か。
「老後資金」という言葉が胃にくる年齢になってしまった
45歳。もうアラフィフと呼ばれる年齢になって、さすがに「老後」という二文字を聞くと笑えなくなってきた。テレビで老後資金の話題が出るとチャンネルを変える癖がついていたが、最近は変えたあとに少しだけ後悔する。「俺、このままで大丈夫なんだろうか」と。昔は「独身最高」「自由で気楽」とか言ってたけど、今となっては“老後はひとりでどうすんの?”という現実がヒタヒタと近づいてきている。かといって、今から結婚して共働き…なんてドラマの中だけの話だ。
目の前の仕事で精一杯。将来なんて考える余裕なし
「先生、今週も書類山積みですよ」と言う事務員の声に「ありがとう…」と返しながら、頭の中では“老後資金”の四文字がリフレインしている。自営業、しかも地方の司法書士。案件はあるが収入は波がある。年末年始や連休は急に案件が減る。定期的な収入じゃないから、「貯金をするぞ」と思っても月によっては赤字スレスレだったりする。そんな中で老後のことなんて考えられないのが本音だ。目の前の依頼をこなすだけで日が暮れる。土曜の夜に仕事してる俺、偉いな、と思う一方で、どこか情けなさも感じる。
事務所の経費も人件費も、気がつけば自分の貯金を削ってる
個人事業主って、収入が自由な分、支出も自由という名の地獄。事務所の電気代、水道代、事務員の給料、コピー代、交通費、全部自腹。で、赤字の月はどうするかって?自分の口座から“支援金”ですよ。気づいたら、30代の頃にせっせと貯めた老後資金のはずの口座が、事務所の補填口座に変わっていた。「あれ? これって俺の未来から金借りてるってこと?」と気づいた夜、さすがにひとりで苦笑いした。いや、苦笑いで済ませていい話じゃないのは分かってるんだけど。
あのとき結婚していれば…という“タラレバ”がまた浮かぶ
40を過ぎてから、昔の同級生の“結婚報告”よりも“離婚報告”の方が目立つようになってきた。でも正直、それすらも羨ましい。誰かと一緒に何かを築く、という経験がないから、貯金も家も老後設計もすべてひとり。たまに「あのとき、あの人と結婚してたらな…」なんて、若気の至りを都合よく振り返ってみたりするけれど、結局は「どうせ相手の親に嫌われたしな」で終わる。今さら誰かと一緒になる自信もないし、それを考えるだけで“老後資金”の話がますます他人事に思えてくる。
年金定期便を開けたら、笑えるほど少なかった
先日、郵便ポストに年金定期便が届いていた。なんとなく嫌な予感がして、数日間放置。意を決して開けてみたら「お、おう…」と、変な声が漏れた。額面を見た瞬間、頭に浮かんだのは「これ、月じゃなくて週の額だよね?」という現実逃避。どうやら、このままいくと老後は“質素どころか極貧生活”が待っているらしい。これが現実か…と思ったと同時に、「やっぱり俺、何か間違ってたんじゃないか?」と過去の選択がどっと押し寄せてくる。
「司法書士は稼げる」なんて言ったのは誰だ
昔、資格予備校のパンフレットに「年収〇〇万円超え!」と大きく書かれていたのを覚えている。あれを信じて司法書士を目指した人、少なくないはずだ。俺もそのひとり。確かに開業当初は、知り合いのツテや紹介で仕事も入った。けど、今の時代、登記だってネット申請が当たり前。しかも他士業との競争もある。稼げるどころか、固定費との戦い。見えない努力と見合わない報酬。稼げる人は一部のやり手だけ。現実は地味で、稼げない司法書士も山ほどいる。
毎月の収支を見直しても、貯まらない現実
毎月Excelで収支をつけてはいる。「今月は外食控えた」「雑費削った」「移動は自転車」など小さな節約の積み重ね。でも、それでもプラスにならない。税金、社会保険、国民年金、事務所維持費。そこに不意にやってくる修繕費や、PCの買い替えなど。帳簿上は黒字でも、口座残高を見ると増えていない。貯金を増やすって、ほんと難しい。自分の時間を切り売りしてる感覚ばかりが残って、「この努力、誰が報ってくれるんだろう」と思う日がある。
“老後2,000万円問題”が他人事じゃなくなる瞬間
ニュースでよく聞く「老後2,000万円問題」。以前は「そんなの都市部の話でしょ」「うちは田舎だから家賃も安いし」とどこか楽観的だった。でも、固定資産税、車の維持費、医療費、全部考えたら、田舎だって決して安くない。むしろ、公共交通もないし車が必須だから出費がかさむ。2,000万円? それで足りるの? と思いながら、自分の口座を見て「あれ、あと何年でこれを貯めるの?」と電卓をたたく。結果はいつも、笑えない数字。
忙しいけど、将来への不安が止まらない
毎日忙しい。書類、電話、相談対応、裁判所への提出、銀行とのやりとり…気づけば一日が終わっている。でも、忙しさが老後への不安を打ち消すわけじゃない。むしろ、忙しければ忙しいほど「この先もずっと走り続けなきゃならないのか」と思ってしまう。今が踏ん張り時、そう思いながら20年きた。でも、いつまで“今”なんだろう。
一人で事務所を守るという“重さ”が、老後にものしかかる
雇っている事務員はいるけれど、基本的にはすべて自分が判断し、自分が責任を負う世界。仕事を任せるにも限界がある。もし自分が病気で倒れたら、誰がこの事務所を守るのか。今の時点で引き継ぎ相手もいないし、事業承継も未定。老後以前に、“老後にたどり着けるのか?”という不安すら出てくる。こんなに仕事してるのに、何一つ安心がないってどういうことだろう。
定年がないってことは、いつまでも働けってこと?
会社員には定年がある。退職金もある。羨ましいと思ったことが何度もある。こっちは定年がないぶん、いつまで働いていいかの線引きができない。世間的には「自由でいいですね」なんて言われるけど、実際には“働けなくなる=収入ゼロ”という恐怖がある。老後資金なんて、稼げなくなってから考えても遅い。でも、いま準備できる余裕がない。このループ、どこかで終わるんだろうか。
せめて今、できることを考えてみた
ここまで散々嘆いてきたが、さすがにこのままでは終われない。老後資金が足りない、将来が不安だ、と言ってばかりでは前に進めない。だからこそ、今この瞬間にできることを見つけることにした。完璧じゃなくていい。少しでも備えられるように、地に足をつけて考えていく。それが、せめて自分にできる“老後への抵抗”だ。
積立?投資?現実的な選択肢と向き合う
最近はiDeCoやNISAの情報を調べている。正直、よくわからない部分も多いし、投資に回す余裕があるのかという不安もある。ただ、銀行に寝かせておくだけでは増えないどころか、目減りすらする時代。だったら少しずつでも“自分の未来に投資する”という気持ちでやってみようかと思う。怖さはある。でも、何もしない方がもっと怖い。
「老後もこの事務所で…」が正解かは、まだわからない
このまま事務所を続けるのか、いずれは誰かに譲るのか、いっそ畳むのか。どれが正解かはわからない。ただひとつ言えるのは、「いつか」のために「今」を蔑ろにしてはいけないということ。日々をきちんと生きることが、結局は未来の自分を助けることにつながるのかもしれない。今日もまた、事務所のカーテンを閉めながら、そんなことを思っている。