終わらない業務に追われる日々
朝起きた瞬間から頭の中は「今日やること」でいっぱい。気がつけば夜で、夕食を済ませて寝るだけの毎日。司法書士という仕事は、書類の山と終わらない電話対応に囲まれ、終業の鐘なんて鳴らない。独立してもう何年も経つけど、仕事量は減るどころか年々増している気がする。心を休める暇どころか、息をする余裕さえ感じられない。まるで水の中で浅く呼吸しているような、そんな感覚の中で日々をこなしている。
「とりあえず今日中に」の連続
「この案件、今日中に対応できますか?」という依頼が1日に何件も届く。そのたびに心がザワつく。急ぎの案件に追われると、他の業務がどんどん後ろにずれていく。結果として、自分の予定は常に後回し。夕方には「今日中に」の案件が3つも重なり、どれから手をつけるか悩むだけで疲れてしまう。まるでゴールの見えないマラソンを走っているような気分だ。
事務員に任せきれない不安と責任
うちの事務員はよくやってくれている。でも、最終的な責任を負うのは自分だ。だからどうしても重要な書類確認や連絡は自分でやらないと落ち着かない。任せたい、でも任せられない。そんなジレンマに心がすり減っていく。もしミスがあったら、自分だけでなく事務員にも迷惑がかかる。その思いがさらにプレッシャーとなってのしかかってくる。
リフレッシュの時間が取れない現実
「休める時に休んでくださいね」と周囲に言われるけど、その「時」がそもそもやってこない。スマホの通知を切って外に出たとしても、頭の中では「明日の準備大丈夫かな」とぐるぐる。結局、心の底から休めたと思える瞬間なんて、ここ数年で数えるほどしかない気がする。リフレッシュなんて言葉、もう自分とは縁遠いものになってしまった。
休んでも頭の中は業務のことでいっぱい
以前、無理やり一日だけ休みを取ってドライブに出かけた。でも道中ずっと「登記簿の提出ミスってないか」「あの案件の電話かかってきてないか」が気になって、景色も上の空。結局、道の駅でコーヒーを飲みながらスマホを開き、メールを確認してしまった。休んでいるつもりでも、心は職場に置きっぱなしなのだ。
休日に来る着信が心をすり減らす
たった1本の電話で、一気に休日が崩れることがある。「先生、すみません、至急で対応してほしい件がありまして」──その一言でスイッチが入り、休日モードから現場モードへ。着信音に敏感になり、休日でも常に気を張ってしまう。スマホを見ない勇気が欲しい。でもそれができない。怖い。結局また、心を休めるチャンスを逃す。
仕事が趣味?いや、違う
「先生って仕事好きそうですよね」と言われたことがある。好きか嫌いかで言えば、やりがいはある。けど、趣味かと言われると違う。これは責任の塊であり、生きるための手段。毎日がサバイバルみたいなもので、心から楽しいと感じる余裕はない。趣味だったら、こんなに疲れない。仕事に追われて心が消耗していくのは、決して「好きでやってる」からじゃない。
人間関係が回復の妨げになることも
人と接することが心の癒しになるというけれど、司法書士という仕事ではその「人間関係」がストレスの種になることも多い。相手は一般の方から不動産業者、銀行員、役所の担当者まで様々。丁寧に接しないといけないし、時には理不尽な要求やクレームもある。それを一人で受け止めるのは、なかなかにしんどい。
顧客のクレーム対応が精神を削る
書類の不備や進行の遅れが、こちらのミスでなくても責められることがある。「なんでこんなに遅いんですか?」「もっと早く終わると思ってましたよ」──そんな言葉を浴びるたびに、申し訳なさと理不尽さの間で心がすり減る。理屈じゃない。感情のぶつかり合いで、自分が悪くなくても疲れることがある。
「先生」と呼ばれることの重さ
司法書士という職業柄、「先生」と呼ばれることが多い。でもその「先生」という肩書が、逆にプレッシャーになることもある。「ミスしないのが当たり前」「完璧なのが当然」といった期待の目が常にある。たまには失敗もしたい。愚痴も言いたい。でも「先生」にはそれが許されない空気がある。正直、しんどい。
一人で抱え込むことの限界
人に弱音を吐くのが苦手なタイプだ。だから、どんなに忙しくても「なんとかなる」と自分に言い聞かせて無理をしてしまう。でも最近、ふと気づいた。一人で全部やるには限界がある。心がどんどん摩耗して、ある日突然、動けなくなってしまいそうな気がして怖くなる。
「助けて」と言えない性格
昔から、弱音を見せるのが苦手だった。人に頼るより、自分で抱えた方が早いと思ってしまう。でも実際は、抱えすぎて苦しくなるばかり。たまには「手伝ってほしい」と言えたら楽になるのに、それができない。気づけば心がパンク寸前になっている。
相談相手がいない孤独
この仕事をしていると、仕事の悩みを気軽に話せる相手がいない。友人に話しても、専門的な話は伝わりにくい。同業者に話すには気を使うし、愚痴ばかりになるのも気が引ける。結局、誰にも話せず一人で悩んでしまう。孤独は、思っている以上に心を消耗させる。
愚痴を言える場所がほしい
心が回復するために必要なのは、誰かに思いきり愚痴をこぼせる場所なのかもしれない。誰にも否定されず、「そうだよね、大変だよね」と共感してくれるだけで救われる気がする。けれど現実には、そんな場所がなかなかないのがつらいところだ。
心を回復させる小さな工夫
大それたことはできないけど、小さな習慣で心を守ることはできるかもしれない。完璧を目指すのではなく、ちょっとした「休憩」を意識的に取ること。それが、自分を保つための唯一の手段になっている。
事務員との雑談が唯一の癒し
忙しい合間の何気ない会話が、意外と大きな救いになっている。天気の話や、昨晩のテレビの話。そんな何でもない会話が、ギスギスした心をちょっとだけ柔らかくしてくれる。気づけば、笑っている時間が増えた日は、少しだけ疲れが軽く感じられる。
自分だけの時間を意地でも確保する
どんなに忙しくても、「この30分だけは絶対に何もしない」と決めている時間がある。たとえ電話が鳴っても、その時間だけは取らない。そうでもしないと、ずっと仕事に飲み込まれてしまう。意地でも、自分の心を守る時間を死守する。それが、自分なりの回復法だ。
あえて何もしない勇気
スマホも開かず、テレビもつけず、ただじっと座ってボーッとする。最初は罪悪感すらあったが、今ではその「何もしない時間」が、心を整える唯一の手段になっている。何かをしなきゃというプレッシャーから、一時的にでも逃れられる時間の大切さを、今は痛感している。
机に突っ伏して5分だけ目を閉じる
本当に疲れた時は、何も考えず机に突っ伏して目を閉じる。たった5分でも、心がふっと軽くなることがある。眠っているわけではない。ただ、頭と心を一時的にシャットダウンするだけ。その時間があるかないかで、午後の踏ん張りが変わってくるのだ。