「今どこですか?」が届くたび、逃げたくなる夜がある

「今どこですか?」が届くたび、逃げたくなる夜がある

「今どこですか?」に感じる言葉以上の重さ

司法書士という職業は、一見すると自由に見えるかもしれません。予定を自分で組み、外出もできて、誰かに出社時間を縛られることもない。それなのに、「今どこですか?」と聞かれると、なぜか息苦しさを覚えることがあります。ただの一文なのに、そこには説明責任、応答義務、そして所在を明かす義務のようなものがにじんでいて、まるでGPSで自分の居場所をリアルタイムに追われているような気分になるのです。

ただの確認のはずが、なぜか胸がざわつく

「今どこですか?」という言葉に、純粋な好意や確認の意図があることは分かっています。依頼人や金融機関の担当者にとっては、業務連絡の一環にすぎません。でも私にとっては、心のどこかで「まだ仕事してるの?」「どうしてそこにいるの?」と問われているような気がしてなりません。そんなとき、スマホを握る手にうっすら汗がにじむことさえあるのです。

その一文に詰まった“監視されている感”

ある日、休憩がてら車で少し遠回りして昼ご飯を買いに行った時のこと。昼過ぎにLINEが鳴って、「今どこですか?」の文字が目に飛び込んできました。依頼者からでした。悪いことはしていない。でも、なぜか咄嗟に言い訳を考えてしまう。「銀行回りの帰りです」「法務局に寄ってました」…そう、正直に“コンビニ”とは言えない自分がいるんです。

「今どこ?」は愛か、支配か

この感覚、昔の恋人とのやり取りにも似ています。たったひと言の「今どこ?」に、愛情を感じるどころか“支配欲”を感じていたあの時期。自分の居場所を知っていないと不安になるのは相手なのに、なぜかこちらが責められているような気持ちになる。司法書士としての生活にも、この感覚がリンクしてきてしまうのです。

過去の恋愛とリンクしてくるトリガー

元恋人に「今どこ?」と何度も聞かれて、自由がないと感じた過去。たとえば、事務所の裏の公園で5分だけ休憩していたときも、電話で「なにしてるの?」と問われて、結局小言を言われることもありました。その感覚が、司法書士としての毎日の中でふと蘇ってきてしまう。「どこにいても安心できない」という気持ちが蓄積していくんです。

地方の司法書士が抱える「逃げ場のなさ」

都会ならば、少し姿を消すこともできるでしょう。でも地方で司法書士をしていると、そうはいきません。誰と会っていたか、どこで昼を食べていたか、どこに車を停めていたかまで、知人の誰かがどこかで見ています。地元密着型の業務の良さもありますが、これは裏返せば「常に見られている生活」でもあります。

知り合いだらけの町での孤独

知っている人に囲まれていながら、心の中は孤独。コンビニに行けば元同級生、ガソリンスタンドに行けば取引先の奥さん。誰に見られても不思議ではないからこそ、どこにいても背筋が伸びてしまう。逃げ場のないプレッシャーの中で、「今どこですか?」の一文が、妙に響くのです。

外にも出られない、家にも帰りづらい

忙しさが重なったある日、夕方にはもうぐったりでした。でも、帰るとまたメールが来る、電話が鳴る。「今どこ?」が怖くて、事務所の椅子にしばらく身を沈めたまま、何もできずに時間だけが過ぎていくこともあります。家にいても仕事が追ってくる。そんな状況では、どこにいようと落ち着ける場所なんてありません。

「あの先生、今日どこにいる?」と噂される日常

地域に根付いた仕事には、人付き合いという避けられないテーマがつきまといます。「あの先生、今日は姿を見ないね」「こないだ〇〇の食堂で見かけたよ」…まるで町の観察対象のようです。好奇心なのか親しみなのかは分かりません。でもその一言が、じわじわと私の精神を削っていきます。

スマホの通知音が怖いときがある

ある朝、何気なくスマホを手に取った瞬間、通知音が鳴って心臓が跳ねました。見ればメッセージが2件、着信履歴が1件。何もやましいことはしていないはずなのに、心が構えてしまう。たったひとつの音に、これほどまでに身構えてしまうようになったのは、いつからだったのでしょうか。

依頼者、金融機関、家族、そして…

仕事関係の連絡に加え、最近では高齢の親からの「今どこ?」も増えてきました。心配してくれるのはありがたい。でも、四六時中誰かが自分の動きを気にしているという状況は、思った以上に精神を削ります。気が休まる暇がない。まるで社会の中に組み込まれた歯車のようです。

事務所の外でもオンのままの感覚

事務所を出ても、どこか気を抜けません。ちょっとした買い物や散歩でも、突然の電話に対応できるようにしておかなければいけない。誰かに見られていないか、声をかけられないか、そういった緊張感を常に抱えながらの生活です。結果として、休んでいるようで休めていないんですよね。

スーツを脱いでも消えない緊張感

帰宅してスーツを脱いでも、肩の力は抜けないまま。司法書士の仕事は“役割”が付きまといます。「人の信用を扱う仕事」という自覚が、どこにいても私の背中に乗ってくるんです。そんな中で「今どこ?」と聞かれると、心の底に隠れていた不安が一気に噴き出してきます。

それでも誰かの「どこ?」に応え続けている理由

正直、逃げ出したいと思う日もあります。でも、それでも「今どこですか?」に応えることで、安心してもらえる誰かがいる。その小さな信頼の積み重ねが、この仕事の意味なのかもしれません。不器用で、愚痴っぽくて、どこにいても疲れてるけど、それでも私は司法書士を続けています。

この仕事の先にある誰かの安心

手続きを完了させた後に、「本当に助かりました」と言ってもらえる瞬間があります。そのたった一言で、「どこにいてもいいから頑張ろう」と思える。たぶん、司法書士としての報酬って、そういうところにあるんだと思います。居場所を問われる毎日も、意味のあるものだと信じたい。

誰かの不安を受け止めるための場所でありたい

今はまだ自分の心をうまく守れていないけれど、少しずつでも、人の「不安」や「孤独」に寄り添える司法書士でありたいと思っています。だから、今日も通知音にびくびくしながら、電話に出て、「はい、今〇〇にいます」と答えるのです。心のどこかで、誰かの安心になれていると信じながら。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

働くって、なんだろう

働くって、なんだろう

「働く」ことに意味はあるのか?

気がつけば、20年以上この仕事をしている。司法書士として日々、登記や書類の山に追われているけれど、ふと「これって意味あるのかな」と思うことがある。働くことが生活の中心になり、気づいたら趣味もない、友人とも疎遠になった。疲れて帰る夜、湯船に浸かりながら、ぽつりと「俺、なんでこんなに頑張ってるんだろう」と呟いていた。働くって、誰のため?自分のため?正直、わからなくなる日もある。

朝起きて、机に向かうだけの日々

朝6時に目覚ましが鳴る。顔を洗って、弁当を詰め、昨日の書類の続きを頭の中で整理しながら事務所へ向かう。8時にはもう机に座ってパソコンの前。そんな毎日がもう何年も続いている。外に出るのは法務局か銀行ぐらい。昼食もコンビニおにぎりで済ませ、夜になっても仕事が終わるとは限らない。なんとなくやり過ごしているような日々。でも「やりがい」なんて言葉は、もう口に出せない。

なぜ今日も同じ場所にいるのか

「一歩踏み出せば、人生は変わる」なんて言葉があるけれど、それができたらこんなに苦しんでいない。資格を取って、独立して、事務所を持って、でも気づけば同じ場所に立ち尽くしている。相談に来る依頼人の顔がどれも同じに見えてくる時もある。電話が鳴るたび、また新しい案件が積み上がる。逃げ出すわけにはいかない。でも、前に進んでる感覚がないまま、ただ毎日が過ぎていく。

前に進んでいる感覚がない

昔は「いつかはこうなりたい」とか「もっと成長したい」と思ってた。でも今は、目の前の仕事をどうこなすかだけで精一杯。新しいことに挑戦する余裕もなく、勉強会に行く気力もない。SNSで同業者がセミナーに登壇しているのを見ると、すごいなとは思う。でも、それよりも「俺は今日の業務をこなすだけで精一杯なんだ」と小さく呟く自分がいる。止まってるのか、回ってるのか、それさえ分からない。

司法書士という仕事に憧れたあの頃

司法書士を目指したのは、20代の後半。安定した職に就きたいという現実的な理由と、法律の知識を使って人の役に立ちたいという理想とが混ざっていた。勉強漬けの毎日も、合格通知を手にしたあの日の達成感がすべてを洗い流してくれたように感じた。「これで人生は変わる」と信じていた。でも、それはスタート地点に立っただけだったのだと、今になって思う。

資格を取ったときのあの達成感

合格発表の日、掲示板の番号を見て手が震えた。嬉しくて、実家に電話して、母が泣いて喜んでくれたのを今でも覚えている。「ようやく報われた」そんな気持ちだった。だが、それからが本当の戦いの始まりだった。開業準備、資金繰り、営業、そして実務。誰も教えてくれない現実が待っていた。それでも「あの時の自分が喜んでいたんだから」と、なんとかやってきた。

「これで安泰」と思ったのは錯覚だった

資格さえあれば、仕事には困らない。そんな風に思っていた時期があった。でも実際には、仕事を得るには人脈も信頼も、そして運も必要だった。地方ではなおさらだ。新人の頃、営業に回って門前払いされた時の虚しさ。紹介がなければ相手にもされない世界で、何度も心が折れた。「資格持ってるだけじゃダメなんだ」と思い知らされた瞬間だった。

理想と現実のギャップがじわじわと

自分が思い描いていた司法書士像とは、正直かけ離れている。もっとスマートに、落ち着いて、安定した生活を送っているはずだった。でも実際には、書類に追われ、電話に追われ、予定はズレ込み、休日も気が休まらない。忙しさの中で、なぜこの道を選んだのか、自問自答する日が増えた。「こんなはずじゃなかったのに」と心の奥で呟きながら、それでも毎日、机に向かっている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。