なぜ「疲れているのに休めない」のか
体はもう限界なのに、なぜか休むことができない──そんな状態が何日も続いている。司法書士という仕事柄、責任の重さと期限に追われる毎日は当たり前だと自分に言い聞かせているけれど、ふと気づけば、休むこと自体が怖くなっている自分がいる。誰かに休むなと言われたわけでもない。むしろ周りは「ちゃんと休んでくださいね」と気を遣ってくれる。それでも「でも…」と、言い訳のように事務所のドアを開けてしまう自分がいる。今日はその理由を、自分なりに掘り下げてみたい。
「やることが終わらない」から抜け出せない
とにかく業務が終わらない。書類の作成、確認、電話対応、郵送手配に、急な相談の対応。事務員さんが一人いてくれるとはいえ、最終的な確認や署名、判断は全部こっちの責任。結局、作業が一巡してもすぐ次がやってくる。「あとこれだけやれば」と思って動き続けていたら、もう日付が変わっていたこともしばしば。気づけば1ヶ月丸々、休みを取っていないこともあった。
結局は自己責任?誰も助けてくれない現実
もちろん「自分で選んだ仕事なんだから仕方ないでしょ」と思うこともある。誰に強制されたわけでもないし、自営業なのだから、好きな時に休もうと思えば休める。でもそれは“理屈の上では”の話。実際には「今休んだら、あの案件が遅れる」「あの依頼者に迷惑をかける」と、自分の中の責任感が邪魔をする。誰かがカバーしてくれる職場でもない。だからこそ、結局は自分で背負ってしまう。
「あと少しで終わる」に騙され続ける日々
「あと30分で終わるから」「この案件だけ片付ければ明日休もう」。そんなふうに自分を励ましながら仕事を続ける。でもその「あと少し」が終わる頃には、次の急ぎ案件が滑り込んでくる。結局、休むタイミングなんて一生こないんじゃないか?と思うようになってきた。まるで無限ループにハマっているかのような日々だ。
休むことでかえって罪悪感が生まれる
仮にポツンと時間が空いたとしても、いざ休もうとすると、何とも言えない罪悪感に襲われる。「こんなことしてていいのか?」「この時間に電話がかかってきたらどうしよう」そんな思考が頭の中をぐるぐる回る。心のどこかで“働いていない自分”を責めている。
自営業ゆえの「休む=収入減」のジレンマ
休めばその日の収入はゼロ、でも支出は変わらない。事務所の家賃、光熱費、スタッフの給与、毎月のローン。休んでしまえば、目に見えてマイナスになるのが怖い。1日休んだだけで、週明けのスケジュールが雪崩のように崩れることもある。だからこそ、「働いてた方がマシだ」と自分を追い込むようになった。
事務所を閉める勇気が持てない
電話もメールも受けられない“完全休業”の状態にする勇気が、どうしても持てない。もしかしたら「電話に出なかったから別の事務所に頼まれたかも」とか「休んでいる間にクレームが来てたらどうしよう」とか。妄想が先に走って、結局は事務所に足が向いてしまう。頭ではわかっていても、感情がついてこないのだ。
心と体のバランスが崩れていく瞬間
「気力だけで乗り切ってる」そんな日が続いてくると、どこかでふとした拍子に心が崩れる。体の疲れは寝れば回復するかもしれないが、心の疲れはそう簡単に元には戻らない。特に一人で仕事を抱える日々が続くと、誰かと感情を共有する場がなくなっていき、気づけば孤独感だけが蓄積していく。
「忙しさ=生きている証」と思い込んでいた
忙しい=必要とされている、という錯覚。それにすがることで、自分の存在意義を確認していた時期があった。でも今は違う。忙しさに支配され、逆に自分の価値を見失っている気さえする。予定が詰まっていないと不安になる。でも詰まっていてもしんどい。この矛盾が、さらに自分を苦しめている。
休まないことで自分を保っている皮肉
「俺は今日も頑張った」と思えることで、かろうじて自分の存在を保っている。でもそれは健全な状態じゃない。まるで“働いていない自分=ダメなやつ”というレッテルを自分で貼ってしまっているようなもの。皮肉なことに、休まないことでしか安心できない自分がいる。
限界がくる前に気づけない鈍感さ
ある日、ふと鏡を見て愕然とした。「なんでこんな顔してるんだ?」と。目の下のクマ、くすんだ肌、無表情。これは自分なのか?限界って、はっきりとしたサインが出るわけじゃない。ただ、ある日突然「ガタッ」と崩れる。そこまで気づけなかった自分の鈍感さが、今は怖い。
本当に必要な「休む技術」とは何か
ただ休むだけじゃ足りない。心から「休めた」と実感するためには、スケジュールを切り離す技術、自分を許す勇気が必要だと思う。仕事の量ではなく、自分の回復ペースを最優先にする考え方に、少しずつでもシフトしていきたい。
休み方を忘れた司法書士という生き物
気がつけば「休日の過ごし方」がわからなくなっていた。なにをすればいいのか、なにをしたいのかが浮かばない。ただぼーっとして過ごすのもいいはずなのに、「この時間がもったいない」と感じてしまう。休むことに罪悪感を感じる癖が、身体に染みついてしまっている。
仕事以外の時間に「自分」がいない
昔は趣味もあった。音楽を聴いたり、本を読んだり。でも今は、空いた時間ができたら結局メールを確認してしまうし、考え事は全て仕事のこと。気づけば“仕事以外の自分”がどこにもいない。休もうとしても、そこにいるのは“仕事を忘れられない自分”なのだ。
それでも今日も出勤してしまう理由
そんなことをわかっていても、今日もやっぱり事務所に来てしまった。疲れていても、体が勝手に動く。ルーチンになってしまった日常からは、なかなか抜け出せない。だけど、この記事を書くことで少しでも自分を見つめ直したいと思った。こんな風に悩んでる人、他にもいるんじゃないかと信じて。
クライアントのために休めない、は本音か建前か
「依頼者のために」と言えば聞こえはいい。でも本当は、そうやって自分を追い込んでいるだけじゃないかと思うこともある。誰かのためという名の“自分の評価”のために働いているのかもしれない。それを認めるのは怖い。でも、そこからがスタートかもしれない。
「誰かに迷惑をかける恐怖」に支配されている
迷惑をかけるのが怖い。仕事が遅れるのが怖い。怒られるのが怖い。すべて「恐怖」が原動力になっていた。でも本当は、それが自分を壊している。他人の期待を満たすために、自分を犠牲にしていることに気づいた時、なんだか涙が出そうになった。
休むことへの許可を自分で出せない人へ
「休んでいいんだよ」──誰かにそう言われたいのは、自分自身だった。でもその言葉を一番出すべきは、自分自身なんだと思う。今日、この記事を読んでいるあなたがもし同じように悩んでいたら、自分に言ってあげてほしい。「今日は、休もう」と。