今日も登記と格闘中

今日も登記と格闘中

登記との終わらない戦いが、今日も始まる

気づけば朝。寝ぼけ眼のままパソコンを立ち上げると、すでにメールが10件超。FAXも鳴りっぱなし。依頼者からの「進捗どうですか?」の電話を皮切りに、今日も戦いが始まった。登記業務というのは本当に「終わり」がない。何件こなしても、また次の依頼がやってくる。地方の事務所だから数は少ないはず…なんて思ったのは開業前の甘い幻想だった。

朝の電話ラッシュで、すでに疲弊

午前9時の時点で4件の電話。1件目は「まだ完了してませんか?」という催促。2件目は「書類、間違ってましたよ?」というクレーム。3件目は不動産会社からの急ぎ案件。4件目は相続人の高齢者から、世間話半分の確認の電話。ありがたいけど、こっちはまだコーヒーも飲めてないんだよ…というのが本音。電話の後、しばらくパソコンの前で固まってしまうこともある。

法務局とのすれ違いに、もう慣れたつもりだったが

「前回と同じ書類なのに、今回は補正?」と思った瞬間、心が沈む。登記官ごとに解釈が違うことはわかっているつもり。でも、あまりに理不尽な補正理由に、つい机を叩きそうになる。「また行き違いか…」と思いながら、提出書類を見直す。完璧な書類など存在しないと分かっていても、訂正印ひとつで「こちらのミス」とされる世界に、未だに慣れきれない。

「補正ですね」の一言で崩れ落ちる精神

電話越しに「補正が入りました」と言われた瞬間、胃の奥がギュッと掴まれる感覚になる。原因がこちらにないときでも、まずは謝罪。なぜか、こっちが悪い空気になる。あの独特の「間」がつらい。補正通知を受け取ったあと、深呼吸しても心は落ち着かない。処理をミスした自分を責め、相手に申し訳ない気持ちが重なって、心がずっしり重くなる。

原因はこっちじゃないのに、謝る日々

実際のところ、登記の補正の中には「そっちの解釈おかしいだろ!」と叫びたくなるようなものもある。でも、現実はそうはいかない。こっちが折れるしかないのだ。依頼者に対しても「すみません、法務局の指摘で…」と伝えざるを得ない。誰も悪くないのに、どこかで誰かが謝る。結局、いつもその役を引き受けてしまうのが司法書士の宿命なのかもしれない。

事務員さんとのチームプレイが唯一の救い

唯一の事務員さんとはもう数年の付き合いになる。阿吽の呼吸で動ける部分も多く、本当に助けられている。でも、彼女に頼りすぎるわけにもいかず、こちらも疲労がたまると配慮が足りなくなる日もある。「これお願いできる?」の一言にも気を遣う。チームプレイで成り立つ小さな事務所。感謝と申し訳なさが同居する毎日だ。

一人ではできない仕事、でも任せすぎも不安

登記業務は細かい確認作業の積み重ね。任せすぎるとミスが怖い。かといって全部自分でやっていたら体がもたない。だからこそ信頼が大事。でもその信頼が裏切られることもあるし、逆にこちらが信頼されていないのではと悩むこともある。人を雇うって、ただの労働力確保じゃない。人間関係のマネジメントが付きまとう重たい責任だ。

お互い忙しすぎて会話が業務連絡だけ

昼休みに「おつかれさまです」だけで終わる会話。最近は雑談すらできないほど、事務所全体がピリついている気がする。事務員さんも余裕がないのは見ていてわかる。でも、だからといってこちらが愚痴をこぼせば、空気はもっと悪くなる。人と人の距離って、物理的な距離よりも気持ちの距離の方がずっと厄介なんだと、つくづく思う。

ミスのプレッシャーが、心にじわじわ刺さる

司法書士の仕事は、常に「正確さ」と隣り合わせ。完璧を求められる世界にいながら、自分が完璧ではないことも痛感する毎日。小さなミスが大きな信頼の損失になると分かっているからこそ、プレッシャーは積もる一方だ。そしてその重みが、心の余裕をどんどん削っていく。

小さな間違いが大きな損失に変わる世界

例えば「1文字の誤記」で登記が却下になることもある。たった1文字。誰にでもあるミスのはずなのに、司法書士という肩書きがついた瞬間、それが許されなくなる。責任の重さを感じれば感じるほど、慎重になって作業時間は増えるし、気疲れも増していく。正確であることに縛られすぎて、自分が壊れそうになることもある。

「確認したつもり」が命取りになる現実

チェックしたはずなのに、見落としていた。そんなときの「しまった…」という気持ちは、言葉にならない。しかもそれが他人に迷惑をかけると分かっているから、後悔と自責の念でいっぱいになる。「もう少し集中していれば」「昨日のうちにやっておけば」…そんな後悔が、仕事のたびに積み重なっていく。

疲れていても確認だけは怠れない

眠くても、体がだるくても、最後の確認だけは外せない。それを怠れば、すべてが水の泡になるから。でもその確認作業こそが、最も集中力を要する。矛盾してる。体は休みたいのに、頭はフル回転を求められる。疲労との戦いと、神経の消耗戦。その結果、仕事終わりに残るのは「やりきった」という充実感より、「もうやりたくない」という徒労感の方が強い。

でも集中力が切れる午後2時

昼食後の13時〜14時、この時間が一番危ない。眠気、疲労、焦り、すべてが襲ってくる。電話が鳴っても気づかないことがある。書類の確認も甘くなる。この時間帯に限って、なぜか面倒な案件が来るのだ。「何かの呪いか?」と本気で思うくらい、不思議な現象が起きる。

そのとき、なぜか来る「緊急の依頼」

集中力が途切れている午後2時台に限って、なぜか飛び込んでくる「急ぎでお願いします!」の依頼。余裕がない時ほど、世の中は追い打ちをかけてくる。もちろん断れない。登記はスピード命。依頼人の事情も分かる。だから引き受ける。でもその分、さらに自分を追い込む。そして終業後に、どっと疲れが押し寄せる。

それでも、この仕事を続けている理由

愚痴ばかりこぼしてしまったが、それでも毎日仕事場に向かってしまうのはなぜだろう。やっぱり、誰かの人生に関わっているという実感があるから。登記というのは、人生の節目と向き合う仕事。そこに関われることは、光栄でもある。苦しいけれど、意味のある仕事だと、心のどこかでは思っている。

「ありがとう」の一言が、心に染みる

「急ぎで助かりました」「あなたにお願いしてよかったです」。そんな一言をもらうと、疲れが少し和らぐ。仕事をしている意味を思い出す。効率や利益だけじゃない、人とのつながりがこの仕事の根底にある。苦しさの中に、温かさがある。だからまた、明日も机に向かってしまう。

誰かの人生の一部を支えている実感

登記の背景には、家族の思い出や、新たな生活の始まり、相続という人生の節目がある。書類の向こうには、そんな人たちのドラマがある。司法書士はそれを見届ける影の存在。表に出ることはないけれど、確かにそこにいる。だから今日も登記と格闘する。誰かの人生の一部として。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。