仕事してる方が楽だから──司法書士として“逃げてる自分”に気づいた日

仕事してる方が楽だから──司法書士として“逃げてる自分”に気づいた日

ふとした瞬間、「逃げてるだけかも」と思った

ある日、夕方にふと立ち止まったとき、「あれ、自分って仕事から逃げてるんじゃなくて、何かから逃げるために仕事してるんじゃないか?」と思った瞬間があった。普段は忙しさに流されて意識する暇もないけれど、少しでも手が空くと、どこかで押し寄せる焦燥感や空虚感がある。頑張っている“風”の自分に安心していたけれど、実は自分を見つめるのが怖くて、仕事に逃げていたのかもしれない。

「忙しそうですね」と言われるたびに思うこと

知人や業者さんに「先生、いつも忙しそうですね」と言われることがある。その言葉に対して、決まり文句のように「いや〜ありがたいことに」と返しつつも、心の奥では微妙な違和感を感じていた。「忙しいですね」と言われると、まるでそれが“正しい姿”のように感じてしまう自分がいるのだ。実際は、忙しさに縋っていた。忙しくしていないと、自分の存在価値が揺らぐ気がして怖かった。

本当は、誰にも会いたくなかっただけ

仕事を詰め込みすぎて、予定をパンパンにしていた頃がある。一見すると多忙な職業人だけれど、実際の動機は「誰にも会わずに済む時間がほしい」だった。プライベートで誰かと食事に行くとか、休みの日に人と会うのが気まずくて、だったら仕事を理由に断れるようにしておこうという発想。仕事が好きというより、人間関係から逃げたいという気持ちの裏返しだった気がする。

予定が詰まっていると安心する

一日の予定表が真っ黒だと、なぜかホッとする。逆にぽっかり空いていると、何かしら不安になる。「何をすればいいんだろう」と考える余地ができてしまうからだ。仕事に追われていれば、考える暇もない。だからこそ、予定に埋もれていたいという気持ちがあった。これは“充実”ではなく、“思考停止”に近い感覚だったのかもしれない。

自分に向き合わなくて済むのが“仕事”だった

ひとりで事務所をやっていると、基本的に誰にも自分を問いただされない。ましてや独身で、帰っても誰もいない。そうなると、自分で自分に問いを立てない限り、内省のきっかけがない。でも、それが嫌だった。だから、ひたすら働いた。書類の山に埋もれていれば、自分の内面と向き合わずに済む。仕事は、ある意味で一番手軽な“逃げ場”だった。

一人の時間が怖かったあの夜

以前、金曜の夜に急にキャンセルが出て、ぽっかりと空いた時間ができた。家に帰っても何をするでもなく、テレビをつけても集中できず、結局コンビニで酒を買って独り言をつぶやいていた。そのとき、「自分ってこんなに孤独だったのか」と、急に現実を突きつけられた気がした。何かをしていないと、何者でもなくなってしまう感覚。それが怖くて、また翌日も仕事を入れた。

「忙しいから」が便利な盾になっていた

誘いを断る理由、疲れてる自分を正当化する理由、感情から目を背ける理由――全部、「忙しいから」で済ませていた。便利な言葉だった。でも、それに慣れすぎると、何も考えない自分に気づかなくなっていく。結果として、“頑張っているように見えるだけの人間”になってしまっていたのかもしれない。

司法書士という職業と“逃げ”の相性のよさ

司法書士という職業は、一見すると社会的信用があり、人に頼られる仕事のように見える。でも実際には、かなり孤独な仕事だ。黙々と書類に向かい、誰とも話さず一日が終わることもある。そんな環境だからこそ、何かから逃げていたい人間にとっては“ちょうどいい逃げ場”になりやすいのかもしれない。

やることは常に山積みで、思考の余白がない

登記、相続、商業、成年後見…とにかく業務が途切れない。考える暇がないくらい、次から次へと処理すべき案件が降ってくる。やるべきことに追われることで、“考えること”から逃げられるのだ。タスクを一つ一つこなすことで、“生きている実感”のようなものすら錯覚していた時期もあった。

無限に湧き出る確認作業

戸籍を読み、登記簿を確認し、日付をチェックする。そのすべてに“ミスできない”というプレッシャーがついてくる。だから集中せざるを得ない。集中している間は、余計な感情が入る余地がない。目と脳を酷使していれば、心の奥底にある“不安”や“孤独”が押し込められる気がしていた。

頭を使っている間は、心が静かになる

複雑な案件に集中しているときは、奇妙に心が落ち着いている。人間関係のもやもやや将来の不安なんてものは、頭の中から消えている。ただ「この登記をどう通すか」「この書類はこれで足りるか」だけを考える時間は、逃げ場としてはとても機能的だった。まるで、自分の感情をフリーズさせるスイッチのようだった。

誰とも深く関わらなくても成立する仕事

司法書士という職業は、人と“会う”ことはあるけれど、“深く関わる”必要はあまりない。必要事項をヒアリングして、書類を作って、手続きして終わり。そういう淡々としたやりとりが、自分にはちょうどよかった。感情の起伏を出さずに済むという点で、仕事に逃げていたというより、心を守っていたのかもしれない。

書類と向き合う時間が、自分を救っていた

白黒の文字だけが並ぶPDFを前にして、誰の視線も気にせずに黙々と処理している時間。それはまぎれもなく、自分にとっての“静かな避難所”だった。誰にも否定されず、誰にも期待されず、ただ「できて当たり前」のことを粛々とやる日々。それが、自分をギリギリ保っていた日常でもあった。

「人と向き合うのが苦手な人間」にはちょうどいい

根本的に、人との深いやりとりが苦手なのだ。雑談も苦手だし、ましてや自分の気持ちを話すなんてことはできない。そんな自分にとって、司法書士の仕事は“適職”だったのかもしれない。必要最低限のやりとりだけで成果を出せる。でもそれって、仕事としては成立しても、人間としてはどうなんだろう、と最近思うようになった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。